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日本思想 [일본사상]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본사상사학회 [Korean Association For Japanese Thought]
  • pISSN
    1229-9235
  • 간기
    연3회
  • 수록기간
    1999 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 철학
  • 십진분류
    KDC 153 DDC 181
제12호 (8건)
No
1

『古事記』와 아마테라스(天照大御神)

이창수

한국일본사상사학회 日本思想 제12호 2007.06 pp.5-25

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5,700원

記紀神話における天照大御神は、その神名に現れているように太陽を象徴する自然神かつ上代日本の皇祖神としての神格を持ち合う至高神であることは言うまでもない。ところが、記紀神話に記されているアマテラスに関する記事を注意深く見ると、文献の性格によって、その表記や神格に各々少なくない違いが見つけられる。本稿では、記紀神話におけるアマテラスの登場記事を各段ごとに分析するうえ、特に古事記 におけるアマテラスのイメ ージを探ってみたい。 記紀神話におけるアマテラスの登場は、「三貴子の誕生と分治」、「スサノヲとの誓約」、「天石屋戸隠もり」、それから 「天孫降臨」 といった神話が挙げられる。アマテラスの神名の表記から、日本書紀 の場合、最初の神名に統一性が見られないが、天石屋戸隠もり神話以降、「天照大神」 という表記が定着されていたことがわかる。一方、古事記 には一貫して 「‘天照大御神」 という二重的敬語表現がみられ、ちなみにイザナギがアマテラスに御頸珠を授け、高天原の統治を命じるということは、アマテラスを特別に取り扱われていたことが窺える。さらに、日本書紀での神名及びスサノヲとの誓約記事におけるアマテラスは女神のイメージが現れるが、天石屋戸隠もり神話以降は、そのイメージが見られない。一方、古事記 におけるアマテラスは女神としてのイメージは見いだせない。しかも、日本書紀 とは異なり、古事記 ではアマテラスが直接的な身体的被害を受けることも描かれていない。これはアマテラスの尊厳性を損傷する記述方式を避けることにより、皇祖神の至高性に細心な配慮が施されたことを窺える。天孫降臨の段においても 日本書紀 での司令神はタカミムスビに焦点を合わせている一方、古事記 ではアマテラスにその重きを置いている。つまり、古事記 におけるアマテラスは、自然神のイメージを脱皮し、すでに至高性を確保した皇祖神としての神格が定着されたことが窺われる。

2

후지신앙과 여신 : 고노하나노사쿠야히메ㆍ센겐신사ㆍ후지강

박규태

한국일본사상사학회 日本思想 제12호 2007.06 pp.27-54

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6,700원

富士山の麓の静岡県富士宮市宮町にある富士山本宮淺間大社は日本全国に1300を数える淺間神社の根源社であって、日本の最高峰である富士山を神体山とし、記紀神話において天孫ニニギの后とされる女神木花之佐久夜毗賣を祭神としている。そこで富士山は昔から宗敎的信仰の對象として、特に近世後期以來數多くの人々が參拜のためにあつまる靈山と言われてきた。この富士山および富士山の神を崇敬するような様々の信仰を富士信仰とよぶ。本考の目的は、このような富士信仰の対象が淺間大神または淺間大菩薩といい木花之佐久夜毗賣という女神であること、にもかかわらず女人禁制といって長年のあいだ女性たちの富士山への登山が禁じられていたことに対し、それを一つのパラドックスとしてとらえつつ、そうしたパラドックスの意味について、日本文化論および日本の宗敎史におけるいくつかの爭點、たとえば母性原理、場の倫理、あまえといった日本文化論的な諸槪念にかかわる問題、そして日本の神道神話、佛敎、儒敎、新宗敎などにおける性差別を隱蔽するようなアリバイ現象に照らして究明することにある。その過程において特に食行身禄(1671-1733)、参行六王(1746-1809)、小谷三志(1765-1841)など、富士講および不二道の指導者たちの改革的な女性觀にも注目している。

3

5,700원

慈円は仏教界の最高位置である天台座主に4回も命じられた大僧でありながら、立派な多作歌人でもある。特に彼は和歌詠みをきっかけとした後鳥羽院との関係が厚かったし、実際に 新古今集 の入集歌数面において第二位というほど、たくさんの歌が選ばれている。ということから本歌集の編纂における彼に対する注目の程度がうかがえるだろう。 新古今集に収録してある慈円の和歌の内、仏教的な述懐が歌われているのを調べてみると、これらにはその頃の時代的な雰囲気、すなわち無常․遁世․求道を悟っていく人間の心が歌われているといえる。しかし、慈円はその段階に留まらず、佛道を教育するによって末法思想を克服して時代的な限界をのりこえさせたのである。またそれは天皇中心の政治を再定立していける救済の可能性を提示したことであるともいえる。慈円も藤原摂関家の絶対性を信じていた者であったから、このような立場は彼の政治観に明確に表われているが、それは国家の原理であると同時に伝統への尊重とのことである。 すなわち天皇が中心となり、藤原一族を中心とした公家がその補佐役を担当していく政治を主張するのである。したがって仏法は王法、即ち天皇中心の政治が実見できるようにするための重要なものであった。 そういう面から和歌は天皇と貴族との共通コードとして、指導者の権威を守り、貴族内の秩序を維持してくれるという立場で国家秩序を保っていくものであると大切に扱われていたのであるだろう。こういうことから勅撰和歌集の編纂は天皇の善政を見せ、天皇に対する忠誠を表わすための行為でもあったと言えるだろう。従って、動揺している政治秩序を再定立するために仏法を利用した方法として王法守護の大切さを強調していた慈円の和歌は本歌集において大した意味を持っていると言える。

4

‘쓰다 사학(津田史學)’의 신대사(神代史) 해석과 한ㆍ일 민족의 계통관계

세키네 히데유키

한국일본사상사학회 日本思想 제12호 2007.06 pp.77-107

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7,200원

第二次世界大戦以後、日本の古代史の基本的なパラダイムとして、神代史を史実究明の対象としてではなく、古代人の思想研究の対象と看做す 「津田史学」 が君臨してきた。その方法は全く画期的でないにもかかわらず、国家権力に弾圧を受けた学者の象徴的なイメージ、国内に造成された単一民族イデオロギー、そして戦後採択された象徴天皇制などの背景で、この間絶大な評価を受けて来た。近年になって 「津田史学」 批判の声が聞かれるようになったが、既存の津田批判はいわゆる 「実証主義史学」 としての方法論に集中し、目的や動機に対する考察が充分になされているとはいえない。彼の師匠の白鳥庫吉がそうだったように、彼もやはり方法論に先立ち日本民族を単一民族として規定しようという目的に主眼をおいているため、「津田史学」 の問題点は方法論より目的や動機に求められるのだ妥当だといえよう。いなかる研究者でも日本人の単一民族性を証明しようとするとき、韓国人との系統関係を否定するという課題を通過しなければならないが、津田もやはり両民族の系統関係の否定に腐心して来た。この間、「津田史学」 は韓民族と日本民族の系統関係を否定するのに強力を機能を果たしてきたが、津田が神代史を作り話として解釈しようとした隠された動機と目標は、皇室が韓国から渡来したとう渡来説を否定し、日本人の単一性を維持することにあったといえよう。80年代から隆盛となった日本国内の単一民族イデオロギー批判と竝行するように 「津田史学」 批判が台頭してきたが、以前として日․韓民族の系統関係の認識にたいする検討は見過ごされているようである。その理由は日本国内で相変わらず日鮮同組論を禁忌視する風潮が健在していることと関連があるように思える。

5

창가학회의 차별화와 사제불이 이념의 사상사

박승길

한국일본사상사학회 日本思想 제12호 2007.06 pp.109-143

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7,800원

創価学会は、他の宗教団体と比べてみると、非常に差別的なアイデンティ ティを持っている。本稿は、このような差別的なアイデンティティを把握す るために、その差別化の進行過程と、学会で 「創価精神」 と呼ばれている 「師 弟不二」 理念との思想的形成過程が一致することに注目し、それを分析する ことを目的とする。 SGI会員にとってこの師弟不二の理念は、歴代会長と池田大作名誉会長の いわばスピーチを教学の主要テキストにすること、また日蓮の妙法を布教す る広宣流布での問題解決の方式にすること、さらに日常行動においても師匠 である会長たちの行動を模範にすることなどの機能をする。韓国SGIにおい ても変わりはない。こうような行動様式をよく言われている狂信的カルト (cult)的な行動パターンの一つとみなすことは軽率な判断であろう。なぜかと いうと、現在韓国SGI会員たちの階層的特徴をみれば、高い学歴のホワイト カラー青年層が中心になっているからである。従って寧ろこの 「師弟不二」 の理念こそ創価学会の差別的アイデンティティを理解するための主要ポイン トになる。 特に池田大作は師弟不二を強調するが、彼は、これを'師匠が原理と理想 であれば弟子はその実践と展開である'と表現する。要するに、師匠が目標 と理想を設定すれば、師匠の説を実証するために、それを実践し展開するこ とを自分の任務と受け入れて、最善を尽くして闘争する人が真の弟子である という。そのため、末法時代の唯一の正法である'南無妙法蓮華経'を唱え ることによって生じる力、即ち躍動する生命力が師匠から弟子へと流れてゆ くという。その結果として、妙法信心の血脈が弟子へ継承されて、弟子はそ れを自己召命意識として理解することになる。このようにして 「師弟不二」 の理念は、「破邪顕正」 として示されるように、不幸の根元と闘う現実の戦 場で勝利を保証する力の原泉とみなされる。従って、「師弟不二」 の精神がな くなると、日蓮の授記(釈迦から来生に仏になるという予言を受けること)し た成仏という絶対幸福の境涯を、今の現実で開いてくれる、即ち大生命力の 展開も不可能であるとみなされる。故に、'個人の幸福達成に寄与しようと する'創価学会の歴史は、まさにこの 「師弟不二」 精神の現実的展開過程と みることができる。要するに、初代会長が提示した‘幸せの敬愛を現実で実証 しようとする理想’を、二代会長が創価学会の再建と日蓮正宗の大折伏運動に よって実証したのである。また三代会長は、日本という歴史的で地域的な限 界を持った環境で成立した日蓮正宗の主要実践課題であった政教一致として の 「王仏冥合論」 と 「国立戒壇論」 を廃棄してSGIを創立することに至っ た。甚だしくは彼は‘不幸を作る堕落した宗門’とも別れるなど、師匠が作り上 げた学会の活動地平を全地球村までに展開して師匠の理想を実証しようとし たのである。 このように 「師弟不二」 の精神は、会員個人にはみずから実践すべき理想 を現実で挑発的に実証しようとする、積極性と自信感を与える理念的な原泉 である。しかしながらそれと同時に、そのような態度と行動様式は、禁欲主 義的態度をもっている個人がみせてくれる現実問題に対する徹底的な熟達を 図る姿勢とは異なって、寧ろ徹底的な楽観論によって熟考しないままで挑発 的な行動をとってしまう傾向を産み出す恐れがある。とにかく創価学会は、 末法時代の法華経信仰を維持する、いわば旧約時代の一種の先覚者の学校の ように夢を持っている集団であって、形式的には今日の一生教育形態をとっ ており、多くの平信徒を対象にして日蓮妙法の一生教育を指向する。従って なおさら 「師弟不二」 は創価学会の差別的なアイデンティティをよく表す理 念体系であるといえよう。

6

국가신도와 야스쿠니신사ㆍ초혼사의 통합과정에 대한 재검토

박진우

한국일본사상사학회 日本思想 제12호 2007.06 pp.145-178

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7,600원

この研究では、近代日本における国家神道が明治維新から敗戦に至るまで 国民精神を支配してきたという村上重良の説に対する反論として、国家神道 という制度の中で靖国神社と招魂社がそれぞれどういう位相で役割を果たし ていたかを再検討することを目標としている。最近の靖国神社をめぐる議論 をみても、そのほとんどが村上説を大きな前提としてその問題点を論ずる傾 向が強く、韓国でもそれがそのまま受け入れられているように見える。しか し、こうした村上説に基づく場合、明治初期の神道国教主義と日本ファシズ ム期の国家神道の強制という二つの時期の差異だけでなく、明治時代から 1930年代に至るまでの多様な宗教現象と国家神道との間の葛藤や相剋の関係 を看過してしまう恐れがある。したがって、本稿では1880年代の 「信教の自 由」 が規定されてから1930年代のファシズム期に至るまで国家神道がいかな る形でいかなる役割を果たして来ており、それに対して仏教をはじめとする 他の宗教はいかに対応してきたかを具体的に検討する必要があると思うので ある。 こうした問題意識から1930年代までの靖国神社と招魂社の役割を検討して みた結果、明治から敗戦に至るまで国家神道が一貫して日本の国民精神を支 配してきたと見ることはできない。すくなくとも、1930年代まで国家神道が 地域の末端まで浸透していなかったことは、靖国神社と招魂社の連動性がほ とんど見えないことからもわかる。もっと細部的にみれば、戦没者を慰霊 し、顕彰する論理には靖国神社を頂点として画一的に統合されていなかった だけでなく、むしろ国家神道とは相違姓をもつ要素も含まれていた。こうし た相違姓が国家神道の強制によって国家的なレベルで整備、拡充されるよう になるのは総力戦体制が本格化する30年代後半からのことである。しかし、 こうした国家神道と靖国神社の強化過程でも葛藤と紛糾が絶えなかったこと は、特に1940年代にはいって神宮冒涜、不敬罪などで基督教、仏教、教派神 道等に対する弾圧が一層強化していることからもわかる。 但し、ここで留意しなければならないことは、国家神道と靖国神社に統合 されず、また葛藤や紛糾が絶えなかったとして、それが直ちに戦争に反対 し、反国家的であったことを意味することではないという点である。すなわ ち、基督教、仏教、教派神道などもそれぞれの宗教的な立場から積極的に戦 争に協力した側面も看過してはならないのである。そういう意味で国家権力 は仏教的な要素であれ、民俗信仰的な要素であれ、それが自発的な戦争協力 を調達し、かつ天皇制に対して 「不敬」 でない限り、それを積極的に抑圧し たり排除したりしなかった。それはすなわち、靖国神社にまつられることが 無限の光栄として宣伝され、認識されたとしても、その実相は国家神道とは 異なる多様な宗教的次元で受け止めることも少なくなかったことを物語って いる。そして、こうした多様性を国家神道のもとに画一化し、それがまるで 先験的なことであるかのように信じ込ませたのが天皇制イデオロギーであっ た。

7

무사도와 양명학에 관한 소고 - 습합의 사상 구조 -

신현승

한국일본사상사학회 日本思想 제12호 2007.06 pp.179-199

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5,700원

本稿 「武士道と陽明學に関する小考」 においては、日本の明治時代の主要な思想的土台として武士道と陽明学という二つの思想体系を取り上げ、日本人の文化融合の方式である 「習合」 という用語を通して日本の明治時期の武士道と陽明学に関する実像を考察した。本文の中でのべたように、「習合」 とは相異なる教理などを折衷․調和することを意味している。具体的な事例として 「神仏習合」 「神儒習合」 などがある。本文の二つの章は、主に 「習合」 としての武士道や 「日本化」 された陽明学、或は 「武士道の中の陽明学」 という基本前提に焦点を当て、日本の武士道と陽明学について 「習合」 思想史的な観点から分析しようとしたものである。すでに繰り返し述べたように、日本において武士道と陽明学とは、それぞれ明治帝国を思想的に支えたものであり、日本の近代の知識人層を魅了させた主要な二つの思想体系であった。武士道とは、広義に理解すれば、武士社会の発生とともに武士階級をにない手として漸次形成された倫理的な規範であって、そのにない手が武士階級として身分的な特権をもたぬ 「士族」 インテリゲンチャへと変じた明治維新以後も、エリートの人間形成における規範意識として生き続けたものである。武士道は西欧におけるキリスト教的な個人倫理に拮抗しうる近代日本の知識階級の倫理的な支柱たる役割を演じた。周知のように、陽明学とは、中国の明代の王守仁が唱えた儒教の一つの流派である。はじめは朱子学の性即理說に対して心卽理說、後に致良知説、晩年には無善無悪説を唱えた。もともと陽明学という用語は、本場中国では存在していなかった。この近代的用語は、日本で生まれて流行した 「日本の陽明学」 であった。その故、本場中国の 「心学」 或は 「姚江學」 は 「習合」 の過程を通して、新しい 「日本の陽明学」 になったのである。この新しい陽明学は、王守仁とその後学たちが置かれていた歴史的․社会的環境を捨象し、「習合」 という文化の融合方式を通じてのみ形成された表象に基づく「心学」․「姚江學」 の再構成であり、本場中国の 「心学」․「姚江學」 からは大きくはずれたものになっていた。このような事情は同じく日本の封建時代に形成された 「武士道」 についても言える。そこで本稿は、こうした点に注目して、武士道と日本陽明学の実像或いは全体像を 「習合」 という用語によって明らかにしようとしたものである。

8

「画中画」 기법을 통해 본 우키요에(浮世絵) 표현기법 고찰

김지영

한국일본사상사학회 日本思想 제12호 2007.06 pp.201-216

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4,900원

絵の中で屏風や衝立は単に空間を区分するだけでなく、室内に自然のイメージを再現する装置として作用する。すなわち、閉鎖され限定された絵画空間を拡大するために使われた重要なモチーフである。 鏡も単純に事物を映す道具として用いられたものではなくて、事物を見つめる視線で登場するのである。時間と空間を超えて広がる絵のイメージは現実と虚構を混同させる。絵の主題は多様な絵の中の絵という技法を通じて、より具体的に説明されるのである。

 
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