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2007년도 일본유학 및 국학사상 연구동향 - 에도시대 사상가 연구를 중심으로 -
한국일본사상사학회 日本思想 제14호 2008.06 pp.3-28
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6,400원
This report introduces the papers on Japanese Confucianism and Kokugaku thought written in Japanese, Chinese and Korean during 2007. In this paper the data is based on the periodicals index databases of the digital libraries such as the National Diet Library of Japan, the China Academic Journal of China, the National Central Library of Taiwan and the National Assembly Library of Korea. There were 25 articles on the Japanese Confucian School, 11 ones on Yangming School, 27 ones on Kohaku School or Mitogaku School and 15 ones on Kokugaku School. Totally 78 articles were published in 2007 throughout the East Asian area. This report is divided into 4 chapters, such as Chapter 1 - Syusigaku School, Chapter 2 - Youmeigaku school, Chapter 3 - Kohaku School and Mitogaku School and Chapter 4 - Kokugaku School. In each chapter, some articles are briefly introduced and some are in detail.
일본근세사상사 연구방법론 시론 - ‘공공(公共) 탐구’의 공시성과 통시성을 중심으로 -
한국일본사상사학회 日本思想 제14호 2008.06 pp.29-59
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7,200원
本研究は日本近代の黎明期(近世)と呼ばれる徳川時代の思想史的な鳥瞰図のための新しい方法論的な枠組みの提示を目的した試みである。ここでは日本近世社会のもつ朱子学の受容および変容などの思想史的条件の特色、そして丸山眞男や安丸良夫などの従来の思想史的なアプローチに対する再検討を通じて、「公共探求」といった新しい方法論的視点の可能性を模索してみたい。そのために、すでに同時代的おるいは現代的に重視されてきた主要思想家たち、とくに朱子学の「日本的変容」とも呼ばれる伊藤仁齋(1627-1705)の「古學」․荻生徂徠(1666-1725)の古文辭學などの「日本的儒学」、本居居宣(1730-1801)の「日本中心主義」としての國學, 石田梅岩(1685-1744)の心學、そして「東洋のマルクス」とも呼ばれた安藤昌益(1703-1762)や二宮尊德(1787-1856)のような民衆的思想などの言説に対する思想史的な再検討のもつ必要性とその方法論的な可能性などの新しい試みをこの研究では提起したい。従来これらの思想家たちは、近代化論あるいは歴史発展段階論的な研究のような特定の構図においてだけ取り扱われるか、それとも内在的脈絡とは異なる哲学史的な流れにおいて、高評価あるいは低評価された場合が少なくない。そのため各々の個別分析においても、あるいは思想史的分析においてもテクスト内在的な、そして同時代的な脈絡で総体的․立体的にその思想構造が捉えられるより、特定の部分だけが抽出され強調されることによって、結果的にそれらとの部分的あるいは全面的なズレがもたらされてきたと思う. 本研究で試みられる方法論的な接近は、徳川時代の主要な思想家たちに対して、共時的に、そして通時的にみていかなる捉え方がはたして「穏当」なのかといった問題意識にもとづいている。ここでは、これらの思想的著作を歴史的․社会的地平とのかかわりにおいて内在的に接近することの重要性、すなわちそこから表われる自他関係の形成、彼らの立脚する世界との交渉、政治とのかかわりなどをめぐる思考を視野に入れ、それを「公共探求」といった視点から捉え直すことのもつ重要性に対して強調しようとするものである。こうした方法論的接近を通じて、徳川時代に対するより深められた理解たけでなく、もう一歩進んで、古くて依然として新しいテーマといえる「東アジアと近代」への捉え直し、近代以前の東アジアおよび西洋の諸思想との比較思想史的な見地への確保といったところにも一助できるのではないかと思う。
7,300원
本稿は日本近世国学者、本居宣長(1730~1801)の他界観を青年期を中心に近世史の二つの人間観追求の流れの中で考察したものである。日本の近世は西欧に近似して理性を中心とした人間観、そして心霊を中心とした人間観という思想の二極構造の流れの中で近代の幕を開けた。このような思想史の流れと近世から近代への移行期において本居宣長の思想は形成された。よって、その時代の影響を免れ得なかった宣長においても、以上二つの人間観追求の思想を見ることができる。一つは理性主義の流れを受けた、『古事記伝』に見られる‘文献学的思想’。さらにもう一つは心霊復興の流れを受けた、全て神の所為と見る‘敬虔的思想’である。この神への敬虔的思想は彼の幼年期、青年期において接し影響を受けたと思われる家の宗教、浄土宗のよるものと推察する。それは、幼、青年期における彼の信仰生活の記録もさることながら、筆者は『俳蘆小舟』、『石上淑言』、『紫文要領』といった歌論、文学論を中心にその浄土宗の影響関係を見るのである。浄土宗の凡夫、念仏行、救済論、慈悲といった観念を初期の宣長の思想から読み取ることができる。さらに、宣長が欲望肯定、特に僧の恋の歌を肯定する点において、日本浄土宗の開祖、法然(1133~1212)の欲望肯定論の一致を見るのである。法然は雑念があっても、まず第一に念仏を唱え、阿弥陀にゆだねる絶対他力の信仰を説いた。それは現世において欲望をもちつつも救済される世界である。宣長の欲望肯定も単なる動物的、肉欲的に貪るものではなく、法然の影響下にありつつ、より宗教的、高次的な欲望肯定として展開されたのである。そこには、人間をありのままにとらえ、そこに生命の貴さを強調した宣長の人間観を垣間見ることができる。つまり、来世において希求される永遠の生命でなく、今現在一瞬一瞬に感得することができる永遠の生命であった。それは、法然の他界観を受け継ぎつつも、来世の期待だけを取り除いたもの、つまりこの現世が彼にとって生命の貴さを感じることができる極楽浄土の世界であったといえる. よって、ここに筆者は現世と浄土の連続性、そして根本的には現世における永遠の生命の感得という宣長の青年期における他界観を考察した。
5,500원
亡霊論とは、祭祀共同体論的言語に揺さぶりをかけ、解体を促そうとする言説的実践を意味している。そして、祭祀共同体論的言語とは、「死者」と「祭祀」と「共同体」とを不可分なものとして語る理論的言語を指している。その端的な例が、「死者」と「祭祀」と「国家」を結びつけて語る政治的発言である。祭祀共同体論的言語は、現在でも日本ナショナリズムを強力に支える理論的言語となっている。亡霊論とは、「祭祀」を介して「共同体」と結びついていない「死者」の視点、すなわち「亡霊」の視点に立つことによって、祭祀共同体論的言語が前提としている「死者」と「祭祀」と「共同体」との結びつきが決して必然的なものではなく、それが恣意的なものであることを露わにし、その結びつきを解きほぐそうという私なり試みである。以上の亡霊論の問題構成の可能性を教えたのは、逆説的であるが、第二次世界大戦中、狂信的な日本ナショナリズムの代名詞であった江戸時代の国学者、平田篤胤であった。本稿は、篤胤の私なりの読み直しを通じて、亡霊論の問題構成の過程を提示するものである。まず、思想史家の子安宣邦氏の本居宣長への視点を紹介する。その理由は、宣長が平田篤胤の先生だからである。篤胤は、宣長の強い影響を受けながら、しかし、宣長を超えるようにして、自らの思想を形成していくことになる。それに加えて、私が篤胤の思想を亡霊論的に問題構成するうえで、理論的な示唆を与えたのが、子安氏の江戸思想史に関する諸研究、特に、その宣長論であったからである。宣長は、18世紀後半の江戸後期社会において、日本のナショナル・アイデンティティーを学術的な体裁をとって初めて語り出した国学者である。「敷島のやまとのくに」、「敷島のやまとことば」、「敷島のやまとごころ」といった宣長が語り出した言説の内側にある近代の学問(国語学、国文学、国史学…)によって、宣長はその先駆者として、現在に至るまで、賞賛の言葉とともに、繰り返し再生してきた。子安氏によれば、この「宣長の再生」をもたらしているのは、宣長による『古事記』の発見であり、その注釈作業『古事記伝』であった。この注釈作業には、あるイデオロギー的な前提が持ち込まれているという。それはこの漢字だけの文章の向こう側に、「純粋な日本語」が存在するという前提である。そして、神々の時代から、この純粋な日本語を話す日本人という集団がそもそも最初から存在するという前提である。こうした前提をもってはじめて、純粋な日本語を探るという宣長の作業は可能となる。宣長は、学問的体裁をとりながら、純粋な日本語、そしてそれを話す日本人という概念を、強力に語り出していくことになる。以上の子安氏の指摘を踏まえて、本稿が注目するのは、日本古代文化においては、言語をはじめとして、制度、儀礼、習俗にいたる文化全般が、朝鮮経由の中国文化に由来すると説く考証学者の藤貞幹『衝口発』に対する、宣長の『鉗狂人』における反論である。『鉗狂人』という「狂人に首枷をはめる」という意味である。そこで宣長は、自文化の中に他者の痕跡を見出そうとする藤貞幹に対して、異文化の中に自己の痕跡を見出すことで反論する。宣長の国学的言説の特徴は、基本的には、自己と他者の文化的差異を前提として、両者の間に同一性を認めないことで成立する「自己防衛的言説」である。しかし、ここでは自己と他者の文化的差異を前提としている点は同様だが、両者の間に同一性を認めることで成立する「自己拡張的言説」を認めることができる。これは、起源における他者との間の文化的同一性を根拠としながら、他者に対する自己の文化的優位を主張する言説と言える。ここには宣長が語り出した日本ナショナリズムの起源神話がはっきりと姿を現わしている。この宣長における自己拡張的言説の側面を積極的に引き出して展開したのが、弟子の平田篤胤であった。実際、明治近代以降、植民地を拡大し、さらに太平洋戦争に没入していった日本は、篤胤を高く評価していくことになる。しかし、逆説的なことに、この同じ篤胤の発言のなかに、日本ナショナリズムを超えていく視点、亡霊論的視点の可能性もまた包含されている。次に、篤胤の視点形成の契機となった「死」と「死後」の問題に関する宣長の議論に注目する。宣長は「人情」という観点から二つの主張をしている。一つは、死後を知りたいと思うのは人情として当然であること。もう一つは、死ねば人は皆、穢れた黄泉に行くのであり、死ぬことほど悲しいことはないということである。ところが、宣長は、前者の人情を不可知として棚上げし、後者の人情のみを取り上げて議論を展開する。しかし、死後を知りたいという人情を認めないことは、人情を重視する立場からは受け入れ難いことになる。この宣長の矛盾を鋭く突きながら、死後の霊魂の救済について語ろうとするのが、篤胤である。 篤胤は『霊の真柱』において、死後に人の霊魂が「黄泉」に行くとする宣長の説を批判して、後に「幽世」として結像することになる別の死後世界を主張する。篤胤は、宣長の人情を重視する発言を利用することで、宣長の不可知論を突破しようと試みるが、注目すべきは、この人情が死んだ後の状態に関する不安に関するものだという点である。言い換えれば、死者の立場に身を置くことで生じている不安なのである。さらに興味深い点は、人は死後も生前の人情が存続するとこと、したがって、死者がその親族の祭祀だけしか享けないという理由はないと主張したことである。篤胤は、死者の視点に立つことによって、祖先祭祀を語る祭祀共同体論的言語を批判する視点を提出しているのである。この死者の視点は、祭祀共同体論的言語から切断された死者、すなわち「亡霊」に相当するものと言える。篤胤は、「亡霊」の視点を、祭祀的共同体論的言語を批判的に乗り超えるための脱構築的視点として構成するのである。 もちろん、篤胤が語り出した亡霊の視点は、祭祀共同体論的言語が支配的である以上、極めて周辺的なものでしかない。しかし、私は、この篤胤の視点は、現代社会において、とても重要であると考える。それは、死者と生者との間の個人的で親密な関係に基づいた、死者に対する生者の「弔い」のあり方の重要性を指摘しているからである。それは、死者と生者との間の個別的な関係性の回復が切実な課題となっている現代社会にとって、極めて重要な視点である。さらに、死者と祭祀と、そして国家という「大きな共同体」との結びつきが自明なものとされて語られることで、日本ナショナリズムの現代的問題が引き起こされている現状において、篤胤が提示する亡霊の視点は、改めて読み直す意義があると考えられる。
일본의 ‘인종’ 경합 논리와 제국주의 - 비교방법론의 양상을 중심으로 -
한국일본사상사학회 日本思想 제14호 2008.06 pp.113-138
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本論では、日本における人種の起源をめぐる理路の競り合いによって生じた『古事記』と『日本書紀』の解釈論理の形成過程を明らかにした。日本人種論をめぐって、日本内部で繰り広げられた近代的方法論は比較方法論の輸入であった。いわゆる西欧に倣った方法論をもとにして日本人種の起源を探し出す論理であった。日本の人種の起源を南部に求める論理を南種論とそれを北方におく北種論が競争する形で現れていた。この時、南方に日本人種の起源を求める木村鷹太郎等は、ユーフラテス川にまで遡った。ユーフラテス川に居住していた人種が、日本へ移住してくる過程で、セム族、マレー人種、ポリネシア人種が混合しながら移住したと見做した。同じ南方論であっても、インドまでしか遡及しない南方論とは線を引いた。南方論理のなかで、木村は『古事記』と『日本書紀』に掲載されている神話が、ギリシャ神話と類似していることに着目し、それを証明した。ギリシャ神話に現れる固有名詞、そして言語の一致を一つ一つ細かくしめした。その一方、『古事記』と『日本書紀』に登場する日本の神の名が、ギリシャ․ラテンのそれと同一であると明言した。それを受け継いだ酒井は、ペルシア王の名称と日本の天照御神の関係を明らかにし、その同系統論を示した。このような木村と酒井の命題をより進化させた三島は、バビロニアの神宮と日本の神宮との関連を説明し、神宮の神の名の同一性を確認した。その延長で、文化のみの移動に止まらず、人種の移動を証明する身体論にまで押し進めた。最終的には、世界文明の始原であるギリシャ、ラテンが日本人種の起源であることを明らかにすることに成功した。これは和辻が主張するように「新日本民族」の誕生を意味した。この新しく形成された日本民族は、シオニズムでいうところの「復活の民族」であり、万世一系の帝国として生まれ変わったと説明した。世界の中心は日本であり、その日本が高天原であることを主張した。神の総体である「日本の皇室」は理想国家の甦りであると言い、人種的優秀民族の現れだまとめた。これは結局、日本人種の起源を探し求め、それを南方にルーツを遡及し、ギリシャ·ラテンと比較することで証明可能であったが、それは日本の『古事記』と『日本書紀』を再発見する論理として変形され、日本のアイデンティティを維持する天照御神へ収斂した結果となったことを示している。
6,100원
Japan’s modern period is the time when the theoretical basis of the modern Japan’s imperialism, Asianism, national polity, and the Greater East Asia Co-prosperity Sphere existed and was introduced. Among them, Kongzi and Mengzi’s advanced Confucianism, Zhuzixue started from Song Period, and Neo-confucianism(新儒敎) were introduced and transferred to Japan with Edo(江戶) era. It became one part of Japan’s spiritual history regardless of being negative or positive. Also, Neo-confucianism created Japan-styled thoughts or Japanized thoughts different from the form of China’s Neo-confucianism through Shugo(習合) process, since it was introduced to the modern Japan. At the outset, Kogaku revolted against Zhuzixue, and then Kokugaku carried on. Then, Mitogaku significantly affected the national polity of Japan’s modern period. Such thought school formed one part of Japan’s spirits. This study was intended to execute the discussion ranging from the introduction of Neo- confucianism and to the birth of Kogaku(古學). This discussion was the process which extracted the core ideological factors in the consecutive process that Zhuzixue and Yang-ming Studies of Neo- confucianism were introduced to Japan and then were re-born as the new Japanese Zhuzixue and Japanese Yang-ming Studies. Accordingly, it described the active role of Yang-ming Studies in Japan’s modernization process. Besides, how modern Japanese intellectuals understood Yang-ming Studies(陽明學) and what Yang-ming Studies was positioned in Bushido, was discussed. Finally, it was indicated that Yang-ming Studies movement was succeeded as the studies school which was vivid in Japan’s history by taking the period of Yang-ming Studies movement as the example, after Japan’s modern period. Also, in Japan’s modernization process, how much Confucianism was affected in Japan’s society as the ideological basis of Meiji or in Japan’s society after Meiji, was intensively discussed through connecting with Yang-ming Studies. Also, This paper covered the spiritual world of Kogaku appeared as the transcendence and overcoming of Chinese Sinocentrisim or Antithese. It contained the advent of Japanese spirit and the establishment of self-identity. There was the fusion of compromise and harmony. As more detailed proof, the scholarship spirits of Ito Jinsai (1627~1705), Ogyu sorai(1666~1728) and Yamaga soko (1622~1685) who were the representative men of Kogaku were examined. In their scholarship spirits, there was commonly the strong opposition against Neo-confucianism (specifically, Zhuzixue).
6,300원
In Japan, there were seven kinds of history textbooks designated by Japanese government from 1904 to 1946. It would be eight kinds of textbooks if we view the revised textbook of the second as a regular one. The analysis of these textbooks would be meaningful not only to understand the transformation of Japanese militarism from 1904 to 1946, but also to be fundamental work to analyze Japanese history textbooks of these days. And in the long run, it could be helpful to cope with the repeated historical distortion of Japan. Then, what on earth is the fundamental reason for this conclusion? There could be no other reason on the government-authorized textbooks except the recognition of Jingū-kōgō's invasion to the Korean Peninsula written on Nihon Shoki as a actual fact. But it doesn't make any sense that we try to analyze Nihon Shoki with nationalism of 20th century, though Nihon Shoki was filled with that of 8th century. For this reason, a dispute over Japan’s distorted history textbook should be dealt with not by the interpretation of the phrase of Nihon Shoki, but by the viewpoint of East-Asia.
『오토기보코』(伽婢子)의 비판적 주제의식 고찰 - 교카(狂歌)의 역할을 중심으로 -
한국일본사상사학회 日本思想 제14호 2008.06 pp.188-203
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日本近世怪異小説の嚆矢となる浅井了意の『伽婢子』(1666年)は、全68話中、多くの素材を中国の『剪燈新話』や五朝小説から取り入れて新しい作品に翻案している。その翻案の様相を調べてみると、構想的には「竜宮」「地獄」「仙界」「夢」など非現実的な世界を扱っている「異境譚」と、人間と幽霊との交歓をモチフにした「人鬼交歓譚」、そして作中人物に託して作者の思想、価値観などを主張したり、昔の人物や歴史を評判したりする話など、その素材と取り方が多様に表われている。 また、詩歌の用い方では、漢詩のあるところはそれを和歌や狂歌、漢詩に置き換え、漢詩のない場合にも漢詩や和歌を挿入している。『伽婢子』の詩歌を種類別に分類すると、和歌が83首でもっとも多く、漢詩が9首、狂歌が5首歌われていて、和歌が圧倒的な位置を占めていることがわかる。 『伽婢子』の和歌は作中人物の会話、心理描写、情景描写、物語の前後関係などを適切に反映していて、日本の伝統的な歌物語の世界を表していると言われているが、このような和歌に対して、漢詩と狂歌の役割はどんなものであろうか。本論文では『伽婢子』5首の狂歌を『剪燈新話』と比較することによってその役割を考察してみた。先ず、『剪燈新話」の「令狐生冥夢録」を翻案した『伽婢子』の「地獄を見て蘇」の狂歌は死んでから再び蘇った孫平のことを通して地獄の冥官の不義、不正を語り、それに準えて現実世界の地頭、代官の不正腐敗と私利私欲を批判し、指摘するため詠まれたことがわかる。また、『剪燈新話」の「緑衣人伝」を翻案した『伽婢子」の「易生契」は大友左衛門佐の塩の専売権と律令制度下に行われた出挙をまねた貸付金に関する利権と非理を語り、ついに家が滅んでしまったという因果応報を語っている。このように『伽婢子』の狂歌は『剪燈新話』の漢詩の伝統を引き受けて『伽婢子』の批判的な主題意識をもっと明らかに浮かばせる役割を果たしていると言えるのではないだろうか。
일본 민속에서 ‘신’과 ‘요괴’의 분석방법고찰 - 오리구치 시노부의 ‘요리시로’를 중심으로 -
한국일본사상사학회 日本思想 제14호 2008.06 pp.204-222
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5,400원
柳田民俗学による祖霊信仰論(固有信仰論)の成立について、柳田民俗学の政治性および思想史的側面からの批判が多く行われてきた。このような研究の必要性には共感するところである。しかし、民俗学の現代的目的として設定すべきものは、祖霊信仰論に吸収されている民俗事象じたいを再検討し、新しい固有信仰論の展開と考えられる。そのため、本稿では柳田民俗学の祖霊信仰論に吸収された代表的な民俗事象のひとつである「コト八日」の目籠の問題を取り上げる。目籠についての民俗学史を再検討して、柳田民俗学の無批判的援用の問題を明らかにしつつ、折口信夫による依代説の妥当性を検証した。とりわけ、本稿では「神」と「妖怪」を解明する儀礼論的方法の可能性を折口信夫の「依代」にもとめた。それによって、折口信夫の分析概念「依代」が単独ではなく連続概念として捉えるべきと考えた。「依代」に訪れる神は、まれびとの属性をもっているもののあくまでなんらかの物体に依りつくものであり、したがって、その神を「来訪神」と新しく概念化する必要性を主張した。また、外部から訪れる「来訪神」は村落内の「精霊」を鎮圧する神として擬人化の特徴を有していると判断した。つまり、災厄予防のため来訪神が祀られることになるのだ。また、この来訪神が訪れ依りつくところこそ外部と内部の「境界」といえよう。本稿は、折口の分析概念「依代」を単独ではなく、<依代ー来訪神ー境界ー精霊>の連続概念であることを明らかにして祖霊信仰論を打破するための新しい分析基盤を提示したところに最大の意義がある。また、こうした折口の概念の総体から解明される民俗世界は、歴史かつ実態としての「古代」ではなく理念型としての「古代」であり「民俗」といえよう。
청공(靑空)과 대지를 향한 영원한 노스텔지어 미야자키 하아요(宮崎駿) 론(論)
한국일본사상사학회 日本思想 제14호 2008.06 pp.223-248
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Hayao Miyazaki, Japanese Animation director, is one of the biggest icons of Japanese pop culture of late 20th century and we can also call him an unparalleled artist of the world. He has been the king of the animation industry for last three decades and still has a enormous influence on that circle even after the official retirement. The things, which make people has a sincere admiration for his works, are not just the excellent technique, interesting stories, charming characters and striking effects, but also internal - philosophical messages. Therefore, I believe we could have another way to understand Japanese society and culture of present days more deeply by looking what he try to tell with his works. It is well known that Hayao has a great longing for blue sky and the mother earth. In most of his works, the hero or the heroine flies in blue sky, sometimes even without any support, and they are usually running on the green grass. What I try to find in this discussion is the meaning of those metaphorical subjects, which are two biggest symbols of his filmography.
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