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사이카쿠(西鶴)의 우키요조시(浮世草子)에서 본 자연 -『본조이십불효(本朝二十不孝)』의 ‘천(天)’의 용례를 중심으로 -
한국일본사상사학회 日本思想 제24호 2013.06 pp.3-23
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5,700원
17世紀中後半の近世日本の不孝の諸相を写実的に描くとともに懲悪的結末をもつ『本朝二十不孝』に見える作家の認識は近世期日本人の<天>に関する世界観(宇宙観)を複眼的に内在させている。一つは17世紀東アジアの漢字文明圈に到来した実学的世界観に基づく世俗のレベルでの科学的、合理的、実用的認識であり、自然の道理と理致を考える世界観である。二つは片一方で合理的かつ世俗的な認識では解明できない宇宙の諸相に対して観念的、形而上の観点で理解しようとする思想家や宗教家などの世界観である。三つは先の二つの世界観の外に神話や説話などを多様な方法で内在させつつ創作された文学作品を通じて伝承されてきた怪異的で不可思議の民俗世界の世界観である。西鶴は近世期以前の中国の古典と平安期以後の日本古典の超自然的世界を小説世界の内に導き、これを江戸期日本という人為の世界のなかで相対化する写実的描写を行っている。先行古典文学が持つ超自然的でロマンチクな文学の原初的要素を基盤に近世紀の人知のレベルで描かれる浮世のリアルな不孝の行態を具象化することによって先行古典にみる超自然的現象を相対化する、興味を誘発するレトリックを提示する。そして中世の勧善懲悪的な描写方式ではない、当代人の想像力の世界中に実存でき、納得できるような超自然的な結末方式を行っているのである。西鶴は勧善懲悪的不孝談が一文学作品として面白く読まれる可能性を当代人の世界観を通じて提示している。
6,400원
この論文は、在野思想家凡父金鼎卨(1897-1966)が朴正煕と理念的にどのような関連があるかを明らかにすることである。金凡父は在野思想家としてさまざまな形で朴正煕と対話し元老顧問の役割をする中で朴正煕の建国に必要な、セマウル運動、国民倫理、風流(風流道)、国風、花郎(花郞道)の確立を提案した。また凡夫は、‘民族的民主主義’ということ概念を提案し、国民の精神改造のために必然的に‘軍人政治’の必要性を提唱したとみられる。それゆえ、金凡父は朴正煕の初期政権の理念を提供し、民族的団結の記憶と象徴を作っていたイデオルログとして一応考えることができる。特異なのは新生国家として民族的統合を成し遂げなければならない難しい時期に彼は、その求心点になるロジックを韓国の固有の精神・思想の原型に還元させてそれを軸に解決しようとする一種の‘民族的記憶’の共有・復活という方法を選択した。しかし、在野思想家としての金凡父の純粋な学術・思想的想像力と情熱が韓国という具体的な空間の政治と会ったとき、彼の意図していなかった誤解やギャップを呈露したこともある。それでは、果たして金凡父と朴正煕はどのような関係があったのか。この論文は、基本的にこのような問題意識に絞ってこの点を明確にすることである。それによって、従来の研究で指摘される金凡父は朴正煕の強力なイデオログであったなどとの議論をより明確に究明することができると思う。
5,400원
司馬遷は『春秋』の王道と道義の精神を受け継いで太初から自分の当代までの歴史を編纂した。しかし彼は春秋の筆法ではなくて左丘明の事件の全体を表す文学的表現を使った。ここで『史記』は読者に深い感動を与えることになった。日本は平安時代に仮名文が使われるようになり、既存の漢文による歴史、つまり六国史の後を仮名文で継ごうとした。最初の物が『源氏物語』の文学的表現技法に学んだ『栄花物語』であり、後を継いだのが『大鏡』である。これらの歴史物語は共に藤原摂関時代の宮中の栄華を細部まで生々しく書いて興味深い。『栄花物語』には宮中の大事な儀式の中で『史記』が読まれており、『大鏡』は『史記』の紀伝体を真似ているが、王道や道義の精神は見られない。また天皇や藤原貴族は平民と血筋によって完全に掛け離れていて、作者の意識の根底には人間の平等意識がない。
전후 일본의 히키아게(引揚) 담론 구조 - 해외 귀환자의 초기 정착과정에 나타난 담론의 균열과 유포 -
한국일본사상사학회 日本思想 제24호 2013.06 pp.71-101
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7,200원
終戦後、海外の植民地や占領地から日本本土へ引揚げた人口は630万から700万人に至ると言われている。彼らに対する戦後日本の認識は、「戦争の被害者」という公的記憶と住宅や失業などの民生問題を悪化した「迷惑集団」という社会一般の視線が異るレベルで共存していた。その一方、旧植民地である韓国や中国などでは、依然として植民地支配の実体や加害者であるという認識がつよい。本稿は、これらの引揚者に対する様々な認識のなかで、「戦争の被害者」という戦後日本の支配的な言説がどういうプロセスをへて形成し、社会的に流布したのかを分析したものである。とくに、「引揚げ」という用語は、引揚げの原点である日本帝国の海外侵略にともなう植民者の海外移駐と植民者としての外地体験を排除した概念である以上、彼らの歴史的な性格をトータルに反映できないという盲点をもっていると指摘し、それにもかかわらず戦後日本社会ではどうして「戦争の被害者」という公的な言説が定着したのかを解明しようとした。このために、まず戦後日本列島を中心とした人口移動の現況を整理したうえで、「引揚げ」という用語の中で投影した戦後日本の歴史認識とその問題点を指摘した。そのあと、引揚が盛になった1945-1947年の新聞記事を中心に、引揚者の初期定着実態、定着援護をめぐる本土の戦災民や疎開民、そして復員集団との葛藤の様子を考察した。そして、最後に、1947年4月の国会議員選挙を切っ掛けに引揚者の政治勢力化がすすむ中で、1952年恩給制度の復活と共に引揚者団体が主張した戦争被害均分論と日本政府の戦争被害受忍論の対立関係の展開過程を追跡し、なぜ日本人の引揚者が「戦争の被害者」として位置づけられたのかを考察した。
6,000원
本論考察では、柳田の「鄕土硏究」からからみられる研究方法に関する「道程」を明らかにしようとしたものである。柳田は日本内部の「過去」を研究することを「西欧」のハイネから学び、本居と平田の方法論を応用する研究方法、つまり混合性を育てていた。それは、初めには新渡戸稲造が提示する「地方学(ヂガタガク)」を受容していた。それをきっかけに「郷土」を認知することになり、田舎と農村を研究する方法を「受け入れる」こととなった。ところが、柳田は新渡戸が主張する地方経済に関心を持ち続けながらも「新しい」地方学を煩悶していた。その結果として、柳田は『郷土研究』という雑誌を編集することになった。高木敏夫の力を借り、『郷土研究』を運営していったが、高木とも方法論的差異が浮かび上がってくることで、高木は『郷土研究』から手を引いていった。つまり、柳田は自分の意思、つまり「地方の資料」を掲載し、学問的な論考を選考しなかったことが、大きな違いであった。これをもって、柳田一人で雑誌を発刊していくのであるが、やはり内容に関して、南方熊楠からも批判をうけることになった。柳田は、「巫女考」と「毛坊主考」などの原稿を掲載し、漂泊民への関心を露にした。これは、また、南方から山人論は批判をうけることになるが、その「山人」が理論的に正しいとか間違っているとかのことより、柳田が「定住」ではなく「漂泊者」に関心をもっていたことが重要であろう。つまり、柳田は一般論的な「一般」から離れていて、まるで、一人の「認識」を形成していく道程の真ん中に立たされていたことが、見え隠れしている。つまり、柳田は新渡戸と南方とは違った「地方学」を考えていたし、高木とも異なる「伝説」論への「認識」を形作っていたのである。それは、また折口ともまた違った「方法論」を持つようになった。折口のような文献中心主義とはまた距離をおくことで、郷土研究の新しい方向を「独自」に切り開いていたのである。その一端が『郷土研究』に携わっていた時期の柳田の新しさであったことが浮かび上がった。
우치무라 간조(内村鑑三)의 비전론(非戦論)에 관한 연구 - 의전론에서 비전론으로의 사상적 전환을 중심으로 -
한국일본사상사학회 日本思想 제24호 2013.06 pp.127-152
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6,400원
内村に関する研究は、彼が近代日本史と近代日本キリスト教史に及ぼした影響が多大であったため今までも少なくない研究が行われた。それにもかかわらず、彼の非戦論だけを対象にした研究は少数に過ぎない、これさえも主に露日戦争を前後にした非戦論の提唱問題にだけ限定されがちであり、彼の非戦思想の全体を把握することにあって限界があった。しかし、内村が非戦を主張する前に義戦を叫んでいた点、すなわち彼の思想が時間的流れ、および現実と彼自身の信仰の変化に合わせて変化していた状況を考える時、内村の義戦論から非戦論への思想的転換という問題に注目するのは必要で不可欠な作業である。既存の研究では、清日戦争を内村の非戦論の境界とし、以後、露日戦争で非戦論を主張したというパタンであったら、本稿では彼の非戦論が段階的に変化、完成されていく過程、内村自身の言葉で表現すれば「変節」過程に焦点をおいて考察する
<記憶>のポリティクス - 教科書『中等国語』と教材「少年の日の思い出」 -
한국일본사상사학회 日本思想 제24호 2013.06 pp.153-177
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This paper analyses textbook and teaching material of post-war Japan taking inspiration from the need to examine how education for children provided platform to reconstruct a “Memory” in post-war period. The main focus is laid on Japanese language textbook “Chuto-kokugo” (Ministry of Education, 1947) and one of its chapters “Shounen-no-hi-no-omoide” (Jugendgedenken, Hermann Hesse, translated by Kenji Takahashi). The “Chuto-kokugo” was the first government-designated textbook after the war, prepared in line with policy of GHQ and the Ministry of Education, which required revision of textbook. In other words, “Chuto-kokugo” was an apparatus developed together by GHQ and Ministry of Education, to disseminate crucial national policy of education reform. Needless to say, objective behind this preparation of textbook was linked to intention of reconstructing “National Memory”. In this sense, it can be said that “Chuto-kokugo” was expected to create a new “National Memory” for the children of postwar Japan, and “Shounen-no-hi-no-omoide” was purposefully included to meet that expectation. “Shounen-no-hi-no-omoide” is a story where protagonist thinks of his mistakes of youth as traumatic and starts telling those traumatic experiences when he became adult. It should be noted that there is a hidden deceptive mechanism, which uses experience of moral reflection for transforming long sealed and never expressed “Traumatic Memory” of “Guilt” and “Self Denial” into positive “Memory of Self-Affirmation”. As a result, this paper reveals that the textbook “Chuto-kokugo” and its chapter “Shounen-no-hi-no-omoide”carried the function making children of the time believe that “Memory” of crime particularly “Memory” of war and “Memory” of colonial rule can be altered by reciting words of “Human Culture and World Peace”.
本論は、戦後占領期における<記憶>の再構築が、子供世代を対象とする教育の場においていかに実現されていったかを検討すべく、当時の教科書と教材を分析したものである。分析対象としては、国語教科書の『中等国語』(文部省、一九四七年)とその収録教材「少年の日の思い出」(ヘルマン・ヘッセ作、高橋健二訳)を重点的に取り上げる。『中等国語』は、敗戦直後、教科書の改訂を必要とするGHQと文部省の方針によって編纂された戦後初の国定国語教科書である。つまり『中等国語』は、GHQと文部省の合作により、教育改革という重要な国家政策を発信する装置として誕生したものである。戦後占領期における教科書の編纂問題が、「国民の記憶」を再構築する問題と連動することはいうまでもない。そのような意味で『中等国語』には、戦後日本の子供たちに新しい「国民の記憶」の創出という期待が託されていたといえる。またその期待を実践する教材のひとつとして「少年の日の思い出」は選ばれたのである。「少年の日の思い出」は、少年時代の過ちをトラウマ的経験と見なす主人公が、そのトラウマ的経験を大人になってから語り出す物語である。注目したいのは、長い間、言語化されず、封印されてきた「トラウマの記憶」を、しかも加害の<記憶>を道徳的な反省を行ったという経験によって自己否定の<記憶>から自己肯定の<記憶>へとすり替えるという欺瞞的なメカニズムが隠されていることである。結局、教科書『中等国語』と教材「少年の日の思い出」は、「人類の文化や世界の平和」を建前に据えながら、加害の<記憶>、とりわけ戦争の<記憶>や植民地支配の<記憶>をも変容可能であることを当時の子供たちに教え込む機能を担っていたことが明らかになった。
1930년 전후 일본프롤레타리아 아동문화와 사상 - 무라야마 토모요시(村山知義)의 그림ㆍ만화ㆍ영화를 중심으로 -
한국일본사상사학회 日本思想 제24호 2013.06 pp.179-202
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村山にとって映画との関係の端緒でもあった『子供之友』と『少年戦旗』における活動を取りあげた。幼い時期から接した『子供之友』は、絵を通じて雑誌の消費者から生産者になった村山に、自由な想像力を養う場であった。子供を想像の世界から創造への世界に導きだした『子供之友』での村山の「3びきのこぐまさん」は、のちにアニメージョン映画として製作された。絵が映画になった過程には、村山が『少年戦旗』に描いたパラパラ漫画があった。本を読みながら1本の映画を観るような感覚を子供に与えたパラパラ漫画はアニメーション映画への可能性を示したことを確認した。イデオロギー性を強調する『少年戦旗』に村山は反感も抱いたが、絵と絵を繋ぎ合わせることで漫画になり、漫画のキャラクターを動かすことでアニメーション映画になる過程の実践を試みたのもこの『少年戦旗』であった。また映画『三匹の小熊さん』は、映画製作の前段階である絵や漫画を通じた、アニメーション映画製作への挑戦であり、子供に思想を強調するプロレタリア児童文化への挑戦でもあったことを明らかにした。固定した階級闘争の考え方に疑問を持っていたと思われる村山は、弱者の存在に注意しながらも、既成の左翼運動とはある程度距離をとっていた。このような村山の姿勢は、政治色が濃いプロレタリア児童文化に反対し、プロレタリア思想をもちながらも面白みを追求した彼の児童文化作品を制作し、プロレタリア児童文化と大衆児童文化を繋げる回路を準備したものとして、重要な役割を果たすものであろう。
5,400원
The assertion examines details that Nogi Maesuke was held in high esteem as a war hero, and his reappraise in the current of the times through Japanese textbooks, to investigate a reason why Japanese are immersed in modern war heroes and a necessary cause of a war hero in modern Japanese society. After defeat, writings about General Nogi that could be found from a second-term government designated textbook went into smoke completely. General Nogi appeared in textbooks again, by far-right organization ‘Meeting to make new historical textbook’. Although the organization introduced not patriotism, a sense of loyalty and exemplary service person but Japanese warrior’s code and personal characters, their textbook after the 2000s referred to General Nogi directly so it is obvious to arouse a glorious past when Japan consummated an entire triumph in Russo-Japanese war and made a long drive taking advantage of victory. When there is a period of unrest and state peace is risky by wars and so on all time, a hero as superman is asked for. Modern Japan is in trouble because of the rapid economic recession started from the middle of the 1990s and a big earthquake in the northeastern districts of 2011, so the resurgence for General Nogi in textbooks may follow the logic of social integration.
日本人が近代戦争英雄に大きな関心を持っている理由と現代日本社会で戦争英雄を必要とする原因を明らかにするために、本稿では乃木希典を研究対象として軍神として評価された経緯を確認し、以後どのように再評価されているかを日本の教科書を通して考察した。2期国定教科書から載せられている乃木将軍の話は、敗戦後削除されている。乃木将軍が教科書に再登場するのは、‘新しい教科書をつくる会’によってである。愛国、忠義、模範的な軍人としての姿を強調しないで、日本の武士道、個人の人格について書かれているものの、2000年代以降の歴史教科書が乃木将軍を紹介することによって、日露戦争で「完全な勝利」を収めた古きよい時代を思い出させているのは確かである。時代を問わず、社会が不安な状態であったり、戦争で国家が危機に直面していたりすると、社会は英雄を必要とした。1990年代半ばから始まった経済的な不況、2011年に発生した東北地方の大地震など、危機に直面した現代日本にとって乃木将軍が教科書に再登場したのは、社会の統合論理によるものとして見ることができるだろう。
6,900원
本稿の対象としている間島の地域という歴史的に韓民族と深い関連を結んできた地域である。ここは韓民族が古代から古土という考えが潜在していた。中国とロシアの立場で、ここは歴代で自分たちの主権が及ばない地域で、韓国では至近距離に位置した自分たちの生活圏だった。その条件下で、間島は様々な韓民族の文化が節合(articulation)された空間で、韓民族の多様な思想が開花なることができた基盤だった。知識は権力の影響を受けやすい。そのために価値と真理は中立的、客観的ではない。権力を持った者が自分が擁護する主観的な意見を、客観的な真理のように言っているのだ。徳富蘇峰は自分の知識を権力に割譲し、知識と権力の密着の関係を強固にした。その過程で徳富蘇峰は機能的知識人に変身をし、権力の利益に徹底的に服務するため、社会に介入した。このような状況は、帝国日本の思想に、直接的に朝鮮に影響を及ぼすこととなった。しかし、満州国が樹立されるとともに帝国日本は満州に対する独占権を持つようになる。ご存知のとおり、満州国は、帝国日本の傀儡政権だったのだ。3.1運動後、改編された関東軍は満州国の建設のための準備の過程だったのだ。満州国が作成され、帝国日本は朝鮮南部の過剰人口による社会経済的問題を解消し、満州地域での水田の開発及び抗日勢力に対する対応の次元で多くの朝鮮人を移住させ、満州という空間に漠然とした期待心という幻想を植えた。このような政策の一環として帝国日本は安全農村と集団部落を建設して水田を開発するようにした。このような時代的状況で多くの文学者たちが満州に対する関心を持つようになったのは極めて自然な現象だった。本稿では紀行という観点から李箕永と姜敬愛の紀行文を分析した。李箕永は朝鮮よりもこの地域での収穫が多いにも関わらず、生活に安定を見つけることができないのは浮動性と、一攫千金の夢想と診断している。しかし、姜敬愛は間島の悲惨な現実認識をもとに、満鉄によって調整される満州国の虚像を正確に指摘して作家としての自己省察と痛烈な自己反省を通じて自分の作家認識を示した。
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