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日本思想 [일본사상]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본사상사학회 [Korean Association For Japanese Thought]
  • pISSN
    1229-9235
  • 간기
    연3회
  • 수록기간
    1999 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 철학
  • 십진분류
    KDC 153 DDC 181
제17호 (13건)
No
1

6,900원

本考察では、江戸を象徴する都市空間としての神社と寺院に注目し、それらの空間的な役割の内実を把握するために、それを文芸と芸能の場、信仰の場、余暇の場などに区分し、主として文学テキストを通してその具体的な様相を分析し、それを通して都市表象の形成過程の一端を明らかにしようとした。そして、具体的な分析方法としては、主として多様な文学テキストの事例と分析を通して、都市表相の形成過程を提示した。すなわち、最初に文芸・芸能の場は連歌と俳諧興行、落語と講釈の場所としての役割、二番目に江戸人の行動文化としての信仰の場は参拝、祈願、開帳の役割、三番目に余暇の場は富籤(宝くじ)、茶店、花見の役割などの分析を通して、江戸の都市空間の心象地理的表象の形成過程を具体的に提示した。紙面の制約上今回の考察では扱えなかった他の文学テキストの内容中にも、江戸の都市表象の具体像が表れている描写が頻出していることは言うまでもない。これらについてのより広範囲な調査と分析が補完されれば、より精緻な江戸都市表象の構造が明らかになるだろう。

2

時代浄瑠璃における推理小説的手法の考察

韓京子

한국일본사상사학회 日本思想 제17호 2009.12 pp.33-53

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5,700원

本稿は、謎が謎を生む意外な展開を好んだ宗輔が、その趣向を近松の浄瑠璃から採り入れていることに注目し、複雑な筋立てや謎解き劇のような展開などの推理小説的要素が近松の浄瑠璃においてどのように用いられ、さらに並木宗輔の浄瑠璃においてどのように展開していくのか、その様相について考察したものである。 近松の浄瑠璃は後の浄瑠璃や歌舞伎などに多くの影響を与えており、近松半二や並木宗輔の作品には近松の作品から詞章や趣向、筋などを採り入れた作品が多い。特に近松没後の合作による浄瑠璃は、全体の劇構成が複雑化しており、並木宗輔の作品にはさらに推理小説的な手法が好んで用いられているという特徴がある。それらの作品には、「心底」の趣向、首無し死体の趣向、死んだと思っていた人物が実は生きているなど、観客の意表をつくような趣向を、さらに複雑に発展させている。 推理小説的な要素が浄瑠璃に導入されるのは、浄瑠璃の発達による筋の複雑化のほか、比事物の影響や文学全般における知的遊戯性への傾斜、そして享保期(1716-1735)以降の作者部屋、合作の体制などの影響があり、近松没後の浄瑠璃はより複雑な内容が好まれるようになる。しかし、宗輔の作品は複雑ではあるが、謎解き的要素がその場だけのものとして遊離することなく、推理小説的展開に伏線を敷いて脈絡をつける、劇全体の構成として絡んでおり、その中でより精巧な「悪」の描写への工夫が見られるのである。

3

6,400원

『古事記』上巻と『日本書紀』神代巻に描かれている「韓」はどういう意味を持っているのか。両書に記されている「韓」という地名が出てくる記事にはすべて「スサノヲ」という神と直接または間接に繋っているという共通点がある。まず、『古事記』の場合は、「スサノヲ」の末裔に当る大年神の系譜に「韓神」が見つかる。しかし、この神は神名だけあり、神話上にどういう役割を果たすのか伝承も伴わず、確かな意味も分からないものの、この神と共に登場している神々の名前の分析から、稲作及び農耕生活に深い関連をもつことから、古代朝鮮から日本に渡っていった所謂渡来系の神と考えられる。また、「韓神」に関して蓄積された研究成果によると、古代日本への大規模な渡来系氏族である秦氏と深い関係をもっていることや平安時代に宮内省で祭っていた神であったことが『三代実録』にも記してあるなどから『古事記』の編纂過程にもある程度関与したことが窺える。また秦氏の出自が新羅系だったことは『日本書紀』の「スサノヲ」の神格と相応する。一方、『日本書紀』における「韓」は神代卷の本文にはまったく触れず、その類似伝承とされる一書に見られるが、すべて「スサノヲ」と直接に関わってくる。関連伝承によると、「スサノヲ」は天上から追放され出雲に天降り、ヤマタのヲロチを退治する英雄神に変る。そのとき使った刀を「韓劍」と呼んだのは古代砂鉄を採取し刀剣を作るなどの製鐵技術を保持した韓國系移住民集團の活躍を反映した表現と言える。そして、「スサノヲ」神話傳承の空間的な背景が「新羅」や「韓地」等を起點にしていること、しかもその移動ルーツが偶然にも地理的に今の日本海に面した出雲を始め、尾張・吉備・紀伊など西日本地域にわたって分布していることから、所謂渡來人集團と地域の土豪が古代朝鮮半島と人的․物的交流を擔當しながら重要な地位を確保していったことが窺われる。そこに描写されている韓國像は鐵劍を始めとする製鐵技術の原鄕とともに樹木信仰の發祥地であり、樹木の使い方の傳播起點として、さらに金銀などの宝物に富んでいる理想的な異郷と描かれている。つまり、スサノヲは砂鉄の精練と刀剣の製作技術、そして進んだ稲作及び林業の技術と經驗といった朝鮮半島の高い文明を保って日本へ渡った古代韓國系の移住民集團によって、ある一時期を定め日本に渡来した豊饒神かつ英雄神としてのイメージをもつことになる。同時にその伝承は西日本地域の海人の活躍と移動に伴ってシャマニズム風の信仰的要素を加えつつスサノオ神社と信仰を各地に伝播したことを神話的に描いたもう一つのスサノヲ伝承と言える。

4

『古事記』‘東方十二道’考

李權熙

한국일본사상사학회 日本思想 제17호 2009.12 pp.81-104

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6,100원

本居宣長にとって『古事記』は、多くの制度を含む世のなかのすべてのものごとに対する根源を説明してくれる「古言」の集合体であった。本稿で取り上げている宣長の「東方十二道」を取りまく『古事記伝』の言説もまた、このような脈絡で把握しなければならないだろう。宣長は『古事記』と『日本書紀』の記事を適当に組み合わせることによって、自分自身が信じて疑わなかった「古代史」を新しく作りあげた。これを無批判的に信じこんだ後代の多くの研究者たちによって、これは一つの歴史的正実として受け入れられた。言い換えれば、宣長は『古事記』の「東方十二道」を国家の制度史のなかに位置させることで、「東海道」という現実の行政区域が「東方十二道」というはるか昔に制定された制度から綿密に受け継がれてきたという、古代の律令制から近世時代まで、長い間変ることのなかった制度史的問題として「東方十二道」とらえようとしたのである。その具体的な方法というのは、『古事記』の記事を『日本書紀』が作り出した歴史と接続させることだった。しかし『古事記』は、「東山道」もしくは「東海道」の前身としての「東方十二道」ではなく、「東方十二道」そのものとして完結する話の構成になっている。『古事記』「東方十二道」征討説話は、その地域がどこかということをあまり問題にしていないのだ。この説話の本質は、「現人神」として、伊勢神宮の神力に負ったヤマトタケルによる「東方」の、「服属しない者(摩都楼波奴人等)」や「乱暴な神(荒夫流神)」たちの「言向和平」という神威譚というところにある。八世紀初の律令国家が新たにつくり出した制度の伝統性を、景行天皇の代のヤマトタケルの活躍によって保障し、これを確信する王権の問題として「東方十二道」征討の本質を把握しなければならない。

5

5,500원

昭和初期の芸術大衆化論争の背景には、公共圈のナショナルな再編がある。また、それはナショナルな象徴としての天皇を世俗化する傾向を示していた。ここでは、こうした現象を大正文化の典型的に示している「おもしろさ」の普遍化という問題に結びつけて考察した。結局、大衆化論争のみならず、昭和の新しいナショナリズムも大正の大衆文化と出版資本がもたらした「おもしろさ」の普遍化に拘束されるかたちで展開された、異なる二つの政治的運動であった。 プロレタリア芸術における大衆化論争とナショナリズムとの平行性は、こうした「おもしろさ」の内在化に限らない。両者はともに、大衆的公共圈のなかで、それぞれ「階級」と「臣民」という集合的なアイデンティティーをめぐって対立した。このような点からすると、両者の政治的な基盤は葛藤的といわざるをえない。しかし、大衆=個人を集団の論理に結びつける論理の側面からみるならば、両者は同一性を持つ。というのも、両者ともに、個人を集団の一員として表象したからである。一方、中野重治はこうした表象の仕方を拒否した。彼は、大衆の争奪という政治的な問題より、こうした政治的な競争が行なわれる公共圈の内的論理を射程にいれていたのだ。したがって、中野の大衆化批判論が、これまで評価されなかったことは、中野がこうした異質的な視線の持ち主だったからではなかろうか。

6

8,400원

近代日本国家に内在した侵略主義や暴力主義を除去するために、一方では平和主義や平和哲学への関心や学習は決して小さなものではなかった。そこでは哲学者だけでなく、文学者やジャーナリスト、政治家など多くの職域にある者が鋭意平和思想・平和哲学の構築に情熱を傾けた。しかし、結果的には、近代日本が繰り返した戦争発動や植民地支配(他民族支配)という反平和・脱平和の行為を抑止することは出来なかった。 なぜ、戦前期日本の平和思想・平和哲学が戦争と暴力に歯止めをかけることができなかったのかは、戦後日本社会においても極めて重大な検討課題となっている。小論では戦前と戦前における日本の平和思想や平和哲学、またその実践者を紹介しつつ、その実践過程の実態と限界性が何処にあるのかを問う試みである。 それは今日、日本を含めたアジア地域における軍事化の動きのなかで、改めて平和思想・平和哲学の鍛え挙げが求められている、という課題を意識している。筆者は今後、韓国における平和思想・平和哲学の系譜をも射程に据えつつ、韓日両国社会で展開されてきた平和思想・平和哲学を比較検討し、共有可能な新たな平和思想・平和哲学の共同的発展を目指したいと思う。可能であれば韓國日本思想史学会においても、「韓日平和思想史の比較検討」なるテーマを取り上げて頂きたいと思う。

7

7,500원

虛無感、諦め、悲しさ、不安、寂しさ、哀れみ、疎外感、妄想などは、個人のレベルをこえて共同體全体を特徵づけるような共通感情として表れることもあろう。そうした共通感情は、傷付きやすい人間の弱さに対する特有の感覺や反應樣式を産み出すに違いない。日本の場合、そのような文化的な共通感情や反應樣式は通常「もののあわれ」という槪念をめぐって言われてきた。本稿の目的は、日本文化の核心的な一要素とみられる「もののあわれ」的な共通感情の特性について文化史的․思想史的に考察しつつ、現代日本を代表するようなサブカルチャーであるアニメーションにつき、それを一種の「日本文化論」とみながらそこに表れている「もののあわれ」のもろもろの在り方を究明していくことにある。このために、まず江戸時代の作家近松門左衛門(1653-1724)や國學者本居宣長(1730-1801)などを中心にして近世に出来上がった「もののあわれ」システムの形成とその特徴について考えていくことにする。さらに「もののあわれ」という槪念をめぐって旋回してきた近現代の代表的な「日本文化論」について簡單にまとめる一方、それらを日本のアニメーションにおける主なモチーフと結び付けて檢討を加えていこうとする。

8

5,800원

東アジア世界の知的遺産(代表的なものとして、儒教、仏教、道教など)と「知」の系譜は、各地域の知識人の出会いやコミュニケーションが行われた結果である。知識人たちは、それぞれの時代ごとに「時代の精神」を盛り込んだ知識を通じて、各自が暮らしていた地域はもちろん、その他の地域の知識人層と幅広く交流していた。交流のかたちがどのようなものであったのかにもかかわらず、それはコミュニケーションのための交流であった。自分の意志に応じて、自発的に行われる交流の形が正常的なことであるが、他意によって行われた場合も、前近代の東アジアの歴史においては、一つ二つでなく数多くあることであった。その結果、東アジア諸国間の知識人の出会いやコミュニケーションを通じて、変形された状態として新しい知識の文化が発生したのである。そこで、具体的にこの論稿の主題は、他意によって行われた交流の一形態として、戦争捕虜という身分をもって、敵国の知識人との出会いや交流を行っていた、ある一人の朝鮮知識人の敵国認識である。すなわち、「17世紀における朝鮮知識人の日本認識」というテーマのもとで、壬辰倭乱の時、日本軍の捕虜となった、朝鮮の朱子学者であるガンハン(姜沆、1567-1618)の日本認識になるだろう。 特に、日本滞在の経験にもとづいて帰国した後、彼自身の記録した『ガンヤンロク(看羊録)』を中心に、その中に含まれている日本や日本の知識人層に対する認識の様相について検討しようとした。姜沆(ガンハン)は、日本での捕虜生活の中において日本朱子学の開祖と呼ばれる藤原惺窩(1561-1619)との出会いによって、国籍を越えた知的交流を行うことになり、日本国内での朱子学の普及に一定の影響を及ぼす。したがって、この論稿は、このような両国の知識人の出会いやコミュニケーションの軌跡などをリアルな、あるいは立体的に把握し、知識人たちの他者認識と自己認識に焦点を合わせることとする。

9

6,100원

1392年。この年に韓半島と日本列島では歴史的な政治事件が起こった。韓半島では高麗王朝から朝鮮王朝へと王朝交替があり、日本列島では南朝が滅亡し長年にわたって続いてきた南北朝の分裂状態が終結した。しばしば歴史的事件とは事件それ自体より思想家とくに戦略的な思想家によって歴史解釈の対象となってもっと重要なことになる。朝鮮の鄭道伝(1342-1398)と江戸の新井白石(1657-1725)は各地域で起こった1392年の事件に対する戦略的な解釈を通してイデオローグとしての真面目を表した。 儒学という総合的理論体系を共有した二人が自分の直面した現実の政治的課題、すなわち各々が属している朝鮮王朝と徳川武家政治体制を正統王朝として確立するため各々の歴史をいかに解釈したのかを比較してみるのが本稿の目的である。それによって儒学者官僚が統治する朝鮮と武士が支配する江戸時代がもっている異同の一面を浮彫りにすることができよう。

10

公議輿論과 民意

노병호

한국일본사상사학회 日本思想 제17호 2009.12 pp.245-276

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7,300원

本稿は幕末・明治期に大流行した政治用語「公議輿論」を「民意」という軸から照明したものである。 公議輿論の形成には、間接的には天という観念が、直接的には幕末・明治期の政治史や政治思想史が伏在している。すなわち、幕末・明治初期のダイナミックな政治状況の真只中で、反幕府勢力には忠誠の主体の確保という課題が待ち構えていた。したがって、維新のリーダーは、各藩の大名から一部の下級武士に、下級武士から一般の武士や庶民に、漸次下降していく。これは、幕末以来頻繁に出現しつつあった外国の船舶による危機意識がもたらしたもので、幕藩体制という枠からの離脱を強いるものであった。このような状況のなかで、民が政治的な主体として成長していく条件が整ったといえる。加藤弘之が「民政」で主体としての民を述べているように…。 一方、明治維新を前後して登場した公議政体論・公議所・公議人などの観念は、前面に「公議」を飾っている。その理由としては、民の意思の収斂という方法論的な側面のみならず、友軍として民が必要とされた状況が挙げられなければならない。維新のリーダーたちは、彼らが経験した「政治」という現実の中で身につけた観念を実際化しょうと試みたのである。 ところが、民が国民として生まれようとしたそのとき、公議輿論の本質としての政治・軍事的な現実主義は新たな生命の誕生から目をそらした。つまり、その観念がもつ力動性は発揮されず、公は明治の主役によって独占されてしまう。その結果、民は彼らによって臣民として静態化していく。 要するに、公議輿論は生まれながら不安的なため、明治政府が安定したあとには、公は政府によって独占されてしまい、民は決まった公を受動的に行なわざるをえない臣民に転落してしまう。結局、明治憲法の施行以来現在の憲法に至る旅程は、臣民に縮まった民の順応と挑戦と反発によって鏤められた情念あるいは多元的な忠誠の併存に違いない。

11

6,000원

1949年以降2007年まで「言語」「言語生活」というの視點で収集した137,000件の新聞記事資料「ことばに関する新聞記事見出しデータベース」(国立国語研究所)を分析の対象に、文章言語における「家庭」関連語彙の使用実態を分析し、現代日本語における「家庭」に対する使用意識の一面を考察した。 「家庭」が含まれている記事は601件で新聞記事資料の約0.4%を占めている。「家庭」関連記事の件数は1980年代半ばまで増加し、1980年代末急激に減少してからまた徐々に増加する様相を見せている。1962・1965は<言語教育>、1978・1979・1981・1982・1983・1984・1986および1995・2002・2007は<言語教育>および多様な<対話および手段>という中心主題により、「家庭」関連記事が急増する様相が見られる。<言語生活および教育>という主題の記事が合計301件で、総601件の52%に至る。次に、<対話および手段>の193件、32%が続く。 「家庭」関連語彙は完全一致(「家庭」), 前方一致(「家庭+○」, 後方一致(「○+家庭」)に分類して分析した結果、完全一致は家庭単位の状態や家庭使用品、前方一致は家庭使用品や家庭活動,後方一致は家族指定,家族的雰囲気に関わる提示形態が中心であり、家庭という空間自体や家庭という空間が前提となる使用品や家庭活動、家庭の状態に関わる提示意味が主なものになる。

12

전후 일본의 동아시아공동체 구상의 전개와 인식의 변용

김현성

한국일본사상사학회 日本思想 제17호 2009.12 pp.301-325

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6,300원

2009年に鳩山政権が登場した以来、アジア諸国では日本の東アジア共同体への期待が高まりつつあるものの、東アジア共同体をめぐる日本での議論はそれほど新しい概念とは言えない。そこで、本稿は戦後日本で議論されてきた東アジア共同体構想の展開とともに国家間関係と交流メカニズムに対する認識がどのように変容してきているのかを考察した。その結果は次のようにまとめることができる。 第一に、国家関係においては、1990年代半ばごろまでの日本はアジア太平洋という地域コンセプトに基づき、競争の観点からアプローチした。それ以来、アジア太平洋からアジアへの回帰が東アジア共同体にアプローチする認識の基盤となってきた。学術レベルでの議論は、その方向性の変化に論理の基礎を提供した。その認識の転換を言い換えれば、日本の東アジア共同体構想は、19世紀後半の‘脫亞入歐’から‘脫歐入亞’へと再構築される過度期の中で変容してきたといえる。 第二に、共同体での交流メカニズムに対する認識は、1960年代と1970年代は国益に焦点を当てることによって経済分野に限定した共同体論が主流であった。しかし、国益からの切り放すことによって思想や社会・文化分野での交流拡大へとその論点が広げられてきた。共同体として連帯感という課題が先決の問題であるという認識の転換が反映したものである。 以上の2点は、戦後日本の東アジア共同体の展開過程においては、国家間関係からみた地域カテゴリは限定されつつあったのに対し、交流メカニズムはソフトな分野にまで拡大してきたとの特徴の現れであるといえる。

13

조용필의 노래와 맹자적 전통

홍호표

한국일본사상사학회 日本思想 제17호 2009.12 pp.327-354

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6,700원

Korean Superstar Cho Yong Pil is a ‘singer of meta-genre’ from the viewpoint of various music genres which he writes and sings. We may also say that he is a ‘singer of the Supreme Ultimate(t'ai-chi)’ in the sense of ‘non-chi being t'ai-chi’(無極而太極). He has not only inherited the tradition of Korean music, but also absorbed the popular elements of western music and created his own unique style mixing and melting all the elements. This research is an inquiry into the musical backgrounds and philosophical roots of the songs by Cho by analysing his lyrics in light of Mencius' thought. Korean people have cherished the thought of Mencius for long time and invested it with their heartstrings and emotions. Mencius' main idea is that human nature endowed by ‘Heaven’ is good and as pure as the heart of infants is. It is called the theory of ‘the original goodness of human nature’. Everyone has to cultivate his mind continuously by reducing and overcoming selfishness and greed and to rehabilitate ‘human nature’ if lost. Then every human being takes root in ‘Heaven’(or God) and is connected each other to be ‘one’ through the root. The idea is called ‘the union of Heaven and humanity’. The point is that every individual is not separated from each other, but has one root shared with all other individuals. Understanding this, we can recover our original nature. Seeking lost mind and ‘serving Heaven’ leads to the real world paradise where all the people enjoy everything together and be happy as harmonious as an excellent orchestra. That is the key to the throne of the righteous government with ‘the rule of right’ instead of ‘the rule of might’, according to Mencius. Ideal is reality in Confucius-Mencius tradition. Then the ‘ideal-real’ world ruled by itself could be real as it has been. But men make mistake of understanding that the Nature is not real precisely because his(her) own greed functions as something like a wall between the Nature and himself(herself). Mencius emphasized that the practice of love(humanity) must start with the family and expand it to the world. Cho covers various kinds of themes such as dream, the world of children's heart, friendship and nature including love and separation. This analysis tells that most of the songs come from ‘pure heart’, not from ‘selfishness’. This means that humanity and heaven are not separated in his songs and the songs seek to be at the stage at least. For example, Cho's dream songs represent the dreams which exist in real world and should be real, premised on the thought that every human being is infinite. His songs on the world of children's heart lead us to some ‘infantalizing experience’. He excludes themes such as flirting, passion, temptation and wooing which are to appeal directly to five senses in oder to seek interests. The crucial point, his creativity aside, is that Cho as a longrun outstanding superstar always stays in ‘centrality’ and has shown it to the people timely whatever genre and theme he sings, acclimatizing himself to new surroundings as the times change. ‘Centrality’ is more important than ‘commonality’ in the tradition. Even if his ideas were well in advance of the age, he would try to read and represent ‘the people's mind’ staying in ‘centrality’ while not simply to play to the gallery. This means his songs are the expression of the people. Cho says “Music is the expression of something in my mind”. The most important in Mencius tradition is the challenge that the singer restores the human nature of compassion and righteousness by ‘enveloping his or her mind to the utmost’. Cho is “the only Korean singer whose songs are sung and heard with equal enthusiasm in the elementary schools as well as in the senior citizens centers.” This shows why he is ‘the national superstar’ with the widest possible range of popularity. In this mundane world of putting interests first, everyone is forced to live as ‘an atomized individual’ and feels lonely in spite of affluence. Interests breed more interests. People have no way of feeling to be ‘one’. This era could be characterized as the age of ‘the rule of might’, not of ‘the rule of right’. It is predictable that bestiality replaces humanity under the rule of might. The Cho Yong Pil phenomenon should be defined as an ‘ideal-reality’ of the rule of right and practically approaching the stage in the world imbued with Mencius tradition. That is the conclusion of this study and it is a process of ‘enveloping the researcher's mind to the utmost’.

 
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