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9,700원
戦後日本の社会における歴史認識をめぐる矛盾の存在は、戦後日本思想史上での深刻な問題でもある。日本は1945年8月15日の敗北を通して、過去の侵略戦争責任や台湾・朝鮮の植民地支配責任を教訓とし、過去の清算と克服を実行することを通して現在と未来とを再創造する機会を与えられた。しかし、戦後日本社会を覆う過剰までの保守主義やナショナリズム、さらにはアメリカとの同盟関係、その結果としての対アジア外交や認識の希薄化という状況のなかで、戦後の日本人は過去の歴史と正面から向き合うことを怠り、歴史を教訓化する方途を真剣に見出そうとしなかった。さらには、冷戦体制という日本にとっても有利な国際政治社会が存在し続けたことも手伝い、戦後日本の思想史学会においても、歴史問題及び歴史認識論が十分に議論されてきたとは言い難い。本稿は、以上の問題意識を前提とし、歴史事実の隠蔽や忘却、そして恣意的な歴史解釈の押しつけが依然として日本社会で横行する背景と原因を考察することに最大の目的を置いている。戦後日本社会で再生産される新たな国民意識としての「帝国意識」が、ポスト冷戦の時代を迎え、新世界秩序=新体制創出の過渡期に入った現在でも歴史認識の深まりを阻んでいる現実を論じたい。この「帝国意識」の基盤は、高度成長期に生まれた日本人及び日本社会の経済大国意識によって大枠が形成されたものだが、それは自民族中心主義(エスノセントリズムあるいはエスノナショナリズム)に支えられた歴史観念を特徴とする。そこでは民族の歴史総体が、一貫して栄光の歴史として評価され正当化される。それゆえに日本社会では、アジア太平洋戦争が《日本民族》の歴史にとって負の遺産ではあってはならず、その戦争目的において日本国家・日本民族発展のための大いなる試みであった、とする歴史解釈や認識が依然として有力なのである。以下本稿では、先ず、「1 植民地支配の歴史を忘れ去った戦後日本人」において、台湾・朝鮮の植民地支配が戦後日本社会で忘却されていく歴史的思想史的なメカニズムについて分析する。そして、「2 アジア太平洋戦争の評価はなぜ分かれるのか」において、依然として日本の歴史学会や日本思想史学会、さらには一般の国民意識のレベルでもアジア太平洋戦争(1931年から945年)の評価が相当程度に乖離している現状を述べつつ、その内容を紹介・分析する。最後に「3 植民地近代化論を超えるために」では、近代日本の政治過程において一貫して内在していた暴力性や抑圧性の特徴を指摘するなかで、日本の近代化の本質を分析していく。以上の分析を踏まえ、歴史認識の深化を図り、今日にも連続する日本の近代化に孕まれた暴力性や抑圧性が将来の戦争発動の可能性を全否定できない課題をも念頭に据えつつ、そうした事態を回避するためにも、新たな視点からする積極的な平和思想の創造及び構築が不可欠である点を強調する。そうした作業を通して、初めて日本社会が韓国をはじめ、かつての被侵略・被植民地諸国から受け入れられ、歴史和解の途が開けることを結論としている。
진달래를 사랑한 아베 요시시게(安倍能成) - 경성제국대학(京城帝國大學)의 설립과 폐교의 사상사적 의의 -
한국일본사상사학회 日本思想 제15호 2008.12 pp.51-66
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4,900원
安倍能成(1883-1966)は1926年京城帝国大学教授・法文学部長となり、1940(昭和15)年5月、第一高等学校校長に転じている。その15年間の京城帝国大学の教授生活を彼は「苦しみ」と「恥」と表現している。安倍の随筆から朝鮮文化への敬意と日本の植民地政策への思いを探る。また、同様に京城帝国大学の職にあった人々の「知のありよう」を考察する。そして敗戦後、安倍は貴族院・憲法改正委員会委員長として「日本国憲法」制定に関与し、文部大臣ともなった。日本の戦後民主主義・平和主義を思想的に支えた人物であるといえよう。
20세기초 동아시아에서의 전쟁과 평화사상 - 기독교인과 사회주의자를 중심으로 -
한국일본사상사학회 日本思想 제15호 2008.12 pp.67-88
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5,800원
淸日戰爭に勝利した日本は帝國主義國家に變貌しながら、福澤と德富の先導の中、帝國主義的膨脹主義がより强まった。又、三國干涉によって遼東半島を得られなかった爲に臥薪嘗膽のスローガンの下、ロシアに對する主戰論が高まった。このような日本の社會的雰圍氣の中で主戰論に眞っ向より對抗しながら、平和思想運動を展開したのが社會主義者幸德秋水と基督敎者內村鑑三である。幸德秋水は戰爭は道德的に恐ろしい罪惡であり、政治的に害毒であり、經濟的に大きい損失である故、社會の正義は破壞され、萬民の福利は蹂躪されるとし反戰平和論を主張した。內村鑑三も當初淸日戰爭を義戰であると誤った主張をし、後にその戰爭の帝國主義的實態と本質を把握した敎訓から、露日戰爭に際しては開戰前より平和思想を打ち出し、戰爭は人類にとって不利益であり害惡であると戰爭絶對廢止論を主張した. 幸德秋水と內村鑑三を中心とした平和思想とその運動は結果的に帝國主義戰爭であった露日戰爭を防ぐことは出來なかった.しかしその後も日本の侵略的膨脹と不道德を激しく批判し、このままでは日本がいつかは亡びると言った內村の豫言通り、第2次世界大戰の敗戰により日本帝國は滅亡した。特に基督敎的眞の韓日融合を主張した、內村の朝鮮論に表れた平和思想は、今日、葛藤のない望ましい韓日關係實現の爲にも示唆するところが大きい。そして、日本で今だに帝國主義的膨脹主義が影を落とす現實において、今日東アジアにおける歷史認識と平和思想の共有が切實に要求される中、過去日本の戰爭時の良心であった平和思想を發掘、再檢討することは非常に意味があり重要であると思う。
5,400원
日本人は桜に熱狂する文化を持っている。そのような意味からすると, 桜を對象にしている花見は, 日本民俗における一つの原形であった。それによって民俗學でも花見に関する硏究が活潑に行われている。民俗學の父と言われる柳田国男は、花見を古代信仰の習俗だと見た。その反面,折口信夫は桜は稻花の象徵として信仰の對象になると解釋した。それを受け継いだ民俗學者たちは、敎祖が立てた說をそのまま受け入れ發展させた。その代表的な例が桜井満の理論で、桜は秋の收穫の兆しだといって、花見は穀靈に対する祭儀が遊樂化されたものだと見なしたことである。こうした說は、今も日本では有效であり、海外の硏究者たちに及ぼす影響力も、まさに大きい。しかしその說は、幻想にすぎないことは、次のような理由からもわかる。一番目は そのようなことが證明できないし、二番目は コンテキストから見ると様々な解釋が可能であるにも拘らず、それを無視していることであり、三番目は外の国との比較觀點が足りないことである。特に日本人の独特の花見の特徵を把握するためには、遠く離れている国との比較より、日本と面していて,米を主食し、また桜の群落を持ち、それを楽しむ文化を持っている国と比較するのが、遥かに效果的だと言える。これからこれに関する硏究が必要だと思われる。
A Study on Mamoru Oshii : Identity and Border in Japanese Animation
한국일본사상사학회 日本思想 제15호 2008.12 pp.109-140
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7,300원
일본 애니메이션(아니메)에는 다양한 장르가 있는데, 그 중에는 지적 예술형식으로서 지적 설명을 요하는 문화형식을 보여주는 사례가 적지 않다. 가령 미야자키 하야오(宮崎駿)라든가 다카하타 이사오(高畑勳) 등의 지브리계 아니메 및 오토모 가츠히로(大友克洋)라든가 오시이 마모루(押井守) 등의 이른바 사이버펑크계 아니메가 그것이다. 전자가 주로 휴머니즘과 자연주의에 입각한 아니메를 지향해 왔다면, 후자의 경우는 컴퓨터 그래픽과 디지털 테크놀로지를 활용한 마니아적 SF 아니메가 주류를 이루고 있다. 이 중 본고의 목적은 후자의 장르를 대표하는 오시이 마모루의 아니메 작품, 특히 ≪천사의 알≫ ≪공각기동대≫ ≪아바론≫ ≪이노센스≫ 등을 중심으로 일본대중문화에 있어 아이덴티티와 경계의 문제를 분석하는 데에 있다. 이를 위해 본고에서는 사이보그의 구원론, 경계의 상상력, 인형과 고스트의 존재론 등을 매개틀로 삼으면서 일본문화에 있어 아이덴티티의 애매성과 경계파괴가 보여주는 의미를 규명하고자 한다. 이 때 본고는 특히 크리스테바(Julia Kristeva)의 ‘아브젝시옹’ 개념에 주목하고 있다. 매우 다의적 개념인 ‘아브젝시옹’은 ‘아브젝트’(분리되어 내던져진 것, 배제된 것, 기각된 것, 그래서 사람들에게 두려운 금기 대상이 된 것)에 있어서의 기각행위 또는 그 공포스러운 성격을 나타내는 말이다. 정신분석학적 차원에서 아브젝트는 모성적인 것과의 분리를 의미하며, 사회문화적 맥락에서 그것은 추방된 자, 아웃사이더, 여성, 아이, 이방인, 타자와 같은 경계적 존재와 밀접한 연관성을 가진다. 한편 종교적 차원에 있어 ‘아브젝시옹’은 모든 종교가 억압해온 것이면서 실제로는 종교의 일측면으로서 종교 그 자체를 존립시켜 온 원동력에 다름 아니다. 이 점은 오시이 마모루의 작품세계에 있어 두드러지게 확인되는 풍부한 종교성과 아이덴티티 및 경계라는 모티브의 상관관계를 규명하는 데에 중요한 시사점을 던져 준다. 즉 종교란 원래 모든 경계적인 존재양식의 일원천이며, 극적인 경계파괴를 보여주는 오시이 마모루의 작품세계는 그런 경계적 상상력의 산물이라는 것이 본고가 도달한 궁극적인 통찰력이라 할 수 있다. 예컨대 오시이 마모루의 아니메에서는 인간의 아이덴티티를 둘러싸고 다양한 방식으로 신, 천사, 동물, 인형, 사이보그, 기계 등의 인식론적 재배치가 이루어지고 있는데, 본고에서는 결론부에서 이런 시도를 ‘신휴머니즘’ 또는 ‘신 · 근대의 초극’이라는 개념으로 요약하면서, 근대적 휴머니즘의 부정이라는 측면에서 오시이 마모루의 작품세계를 재조명하고 있다.
遺傳學으로서 동아시아 유학 다시읽기 - 習熟ㆍ習染ㆍ習合의 유전양태 비교 -
한국일본사상사학회 日本思想 제15호 2008.12 pp.141-160
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5,500원
この論文の目的は、中国宋明時代の新儒学の登場以来、19世紀まで韓・中・日、東アジア思想の主流を形成してきた新儒学の歴史を、遺伝学的立場から再解釈することにある。考えてみると、東・西洋の思想史に全く新しいものがない理由も、そこにある。たとえ自生的思惟方法だとしても、個体群が内部から進化の変化を経るのも当然であろう。生物学的個体が、配偶者(gametes)によって、持続的に配合され遺伝されながら、正体性を変えていくだけで、消滅されないように、思惟方法の進化、或は思想の遺伝も同じである。思惟方法の進化や遺伝もまさに配偶者の交替により配合―習熟や習染、または習合の方法を通じて―され、正体性を変えていくだけである。例えば(広い意味で)中国・韓国・日本の儒学史を<儒学遺伝史>として、さらには多様な観点と立場の<道統遺伝史>と見做す理由もそのためである。さて宋代に至って、実現された新儒学の隔世遺伝以後の、東アジアの思想地図をどのように考えれば良いのだろうか。東アジア三国は、なぜ新儒学の遺伝家系図、つまり一つの遺伝子地図の中に包摂されたのだろうか。東アジア儒学が遺伝学的である理由は何であろうか。さらになぜ遺伝的欠陥を持つことしか出来なかったのだろうか。一つ、北宋以来、韓・中・日の思想地図は、儒学遺伝子決定論的であった。長い間、潜伏された道統の遺伝子が宋明理学を決定したように、朝鮮と徳川幕府の思想も程朱学の遺伝子によって決定されたことに他ならない。潜伏中の道統遺伝子は「状況の変化」によっていつでも優性形質の表現型で実現可能であったからである。二つ、東アジア儒学が一つの遺伝子地図としてまとめられるのは、儒学が持つ統摂力のためである。儒学の力は、内外的に統摂する力である。遺伝的にも儒学の中には、統摂する力が内在している。それが遺伝的優性形質である理由もそこにある。三つ、儒学の遺伝性は、先天的病理性である。堯・舜・文・武・周孔の道統は、孔孟のユートピアである。孔孟の道統が先天的・胎生的病理性である理由がそこにある。道統遺伝が病理的である所以も同じである。前述したように、東アジアの遺伝家系図で、道統の実現遺伝率が高いときは、いつも病的兆候に対する治療的要請がその分強い場合であった。四つ、儒学の遺伝性は発生学的奇形性である。道統遺伝は、基本的に同系交配か系統種分化を選好するからである。しかし同系交配(近親婚)は、同一な先祖の対立遺伝子を受けて、悪い対立遺伝子が対になるので、同形接合の可能性もそのくらい高くなるはずである。自然流産、胎児死亡、先天性奇形、血友病などの原因がそこにある。特に宋明理学と朝鮮性理学が習熟と習染だけでは、画期的な遺伝的変異を期待できなかった理由も同じである。従って遺伝強迫症、つまり保存的移動欲望に苦しめられた東アジアの儒学が有る程度完成度を高めることはできたのだが、西洋の思想地図程、多様性を持ったなかった弱点を改善できなかったのも、当然の結果であっただろう。最後に、19世紀以後の東アジアにおいて、新儒学の遺伝進化はなぜ断絶されたのだろうか。それは何よりも対立遺伝子の消滅によって、もはや儒学の複製と遺伝が不可能であったからである。それは20世紀の東アジア三国に吹いてきた民主主義と、資本主義のイデオロギーが非統摂的相違主義を基盤としていることに原因があるだろうが、儒学的統摂の解体を前提とする反統摂的共産主義のイデオロギーが儒学の遺伝を優先的に剔抉しようとしたからでもあろう。
5,500원
本稿は、日本近代の文学テキストあるいは文学者が、「東京」をどのように表象し想像してきたかについて分析し、これを土台にして「東京」という地理空間が近代日本人の自我形成にいかに機能したかを究明しようとしたものである。分析対象の時期は、江戸の終焉とともに始まる明治初期の東京表象から近代的自我が形成されていく1910年代の東京、関東大震災による精神的恐慌や第一次世界大戦似寄る経済的ショックが合い重なる1920年代の東京、15年の間戦争が絶えることがなかった1930-40年代までの東京、長かった戦争や敗戰による惨めで荒廃した心象を見せる1930-40年代の東京, 敗戦と米軍政による傷痕やコンプレックスを覚える、屈折した心象を表れ出している1950-60年代の東京, そして高度な経済成長や近代化が終わったあと、現代日本人に残された破片化した病理的心象を表す1980年代以降現在に到るまでである。その間の東京の表象を通時的に眺望し、その時代時代、東京を生きる日本人によって作り上げられた、都市の基底に流れる日本人の心象を文学テキストを通じて見いだすことによって、日本人の心象地理的文化論の基層を総論的かつ実証的に分析することを本稿の目的とする。
6,700원
都市が持つ特有の性質はそこに住む人に影響を与え、独特の美意識を形成し、それが行動理念となり、全体的な都市の性格となる。文運東漸後の江戸においては江戸っ子意識が形成され、江戸を自慢、賛美する文学が現れ始める。俳諧や天明狂歌では江戸賛美の句が詠まれ、戯作や歌舞伎では江戸の美意識を体現する主人公が活躍する。江戸で独自に発生したジャンルである戯作とは違い、人形浄瑠璃や歌舞伎は各都市の異なる観客の嗜好によって上方と江戸で各々発達してきた。上方では濡れ事を中心とした和事が好まれ、江戸では荒事が好まれたということに基づき、当時の歌舞伎作者は京、大坂、江戸と作品の作りようをかえていた. 18世紀になり、江戸には上方から浄瑠璃作者や座元、歌舞伎作者が移動してくる。彼らは江戸の観客に受けられるような内容を既存の作品から選び改作する形から作品作りを始めている。実際に起こった火災事件を素材とした「お七吉三物」や隅田川の梅若伝説を素材とした「隅田川物」がそうであった。その後も上方の舞台背景を江戸に移す形で歌舞伎が作られるが、そこには登場人物の気質や職業、地名、流行り物などで江戸らしさを出す工夫がなされている。以降、頽廃的な世相を反映し、より写実的な描写で作劇する生世話、白浪物などの方法や悪婆や色悪などの新しい役柄も発生するようになる。明治に入ってからは散切物などの中で「東京」にかわった新しい世の中を描き出してはいるが、観客からは「古き良き江戸」を描いた作品が好評を得、現在も引き続きそのような傾向を持つ。黙阿弥が残そうとした江戸は歌舞伎に表象、象徴化され現在もなおその様子を偲ぶことができるのである。
5,100원
『尾形了齋覚え書』は『新潮』(1917.1)で発表した芥川のいわゆる切支丹物の二番目の作品である。禁教令下の江戸時代、棄教を迫られた母子の話であるが、未だに出典についてはまったく知られていない。石割透の指摘によって芥川が『日本西教史』、『内政外教衝突史』、『山口公教史』などの切支丹文献を熟読していたことが知られ、これを継承して、建田和幸は切支丹文献主に『日本西教史』、『内政外教衝突史』が彼の諸作品の執筆にどのように関わっているかを考察した。本稿は両氏の教示を踏まえて、建田が取り上げなかった『尾形了齋覚え書』が『内政外教衝突史』や『尾形』成立以前の作品などとどのように関わっているかを考察したものである。方法としては、『尾形』成立以前の、初期未定稿の作品を含めたキリスト教関連作品と作者が参考した切支丹資料、主に『内政外教衝突史』との関連性について考察した。
『太子傳宝物集』의 역사관 — 불법 전래 이전의 일본과 백제 인식 —
한국일본사상사학회 日本思想 제15호 2008.12 pp.227-247
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『太子伝宝物集』は、巻頭に神代の歴史を記す、いささか特異な聖徳太子伝である。神の問題を正面から取り上げているという点では、中世的な問題意識のもとで記された太子伝と言うことができるであろう。ただ、そこに描かれる神と仏の関係は、当然ではあるにしろ、仏の側に大きく傾いたものとなっている。仏法という新たな信仰を日本に定着させた太子は、無仏世界を教化した偉人として喧伝されていくのである。『太子伝宝物集』において興味深いのは、百済聖明王の役割を大きくとりあげている点である。日本を、仏法が存在しないために殺生が横行している国、と規定し、日本の衆生は、その殺生の罪により、「苦海」に沈むと規定する。そして、日本に仏法を伝えようとする聖明王が慈悲深い王と評価され、百済からの仏法伝来が強調される。印度・中国・日本という「三国史観」が一定の力を持っていた中世においては、いささか特異な歴史観を披露していると評価出来るだろう。 しかし、聖徳太子伝には、一つの大前提がある。日本仏法の起源は、聖徳太子だという問題だ。聖明王が日本に仏法を伝えたのは、聖徳太子誕生以前の、欽明天皇の時代。したがって、一度伝わった仏法が、弾圧され、それを克服する人物として聖徳太子が登場する、という流れになる。日本の中世おいては、神祇思想が様々な形で仏法と交錯していた。神仏習合が進むなか、仏の本来の姿が日本の神であったという、いわゆる本地垂迹説が、様々な形態をもって現れるようになる。そうした思想的背景の中でするされた『太子伝宝物集』は、聖徳太子が日本に誕生したことを、神道的な歴史観を取り込みつつ、仏法の優位性を再確認している、と評価できるだろう。
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