2025 (48)
2024 (51)
2023 (49)
2022 (46)
2021 (50)
2020 (54)
2019 (59)
2018 (54)
2017 (59)
2016 (71)
2015 (82)
2014 (99)
2013 (84)
2012 (88)
2011 (87)
2010 (61)
2009 (39)
2008 (33)
2007 (40)
2006 (44)
2005 (31)
2004 (31)
2003 (35)
2002 (10)
5,100원
本稿では、東アジアの説話文学にみる冥土への道程を通じて、各々の他界観の特徴の一面を考察してみた。考察の対象は中国、日本で始めて本格的に地獄関連説話を収録した冥報記と『日本霊異記、韓国の文献説話などである。インドの『倶舎論や『大毘婆沙論などの仏教経典には、地獄の位置について、それは人間が住む世界の地下に重層的に奥深く続く形で存在すると説かれている。とこごが、冥報記、霊異記、韓国の文献説話においては地下にあると記述される例は一話もなく、全て現世の延長線の上にある「水平他界觀」が殆んどであった。その理由としては、第一に、仏教の地獄信仰が伝わってはいたが、徹底化していなかったこと、第二に、仏教の地獄観と異なる水平他界観的な死後の概念が根強く残っていたことなど、二点が想定される。冥報記の成立した当時は地獄への認識がまだ確固たるものではなかったし、と同時に仏法の冥途と道教の泰山など冥府信仰との習合が見られ、他界観念が複雑に錯綜していることが分かった。また、霊異記の成立した平安時代の初期には地獄の概念が一般に定着したというのは無理であって、「黄泉」や山中他界観など古代の日本人の他界観念が確認できる。一方、韓国の文献説話においては仏教と関わる怪力亂神の非現実的な話は排斥すべきであった当時の朝鮮時代の状況も念頭に置くべきで、『薛公瓚傳などには地獄を含めたより広い意味の死後の世界観が確認できた。
5,500원
本稿では、近世庶民の旅と道中記の発生と発展について概観し、近世時代、名所案内記の完結本と言われる『江戸名所図会の名所と俳諧の関係について検討してみた。御蔭参りによって触発された庶民の旅は、近世後期になると貨幣経済の発達によって裕福な者は楽しみを求め、他国へと出かけていく。伊勢だけでなく、その周辺の観光地に足をのばしたのである。その上、京都、大坂、江戸等の繁華な場所を見物しながら旅を楽しむようになる。そういった旅に欠かせないのが道中記であり、初期の道中記は道中の宿駅の順序や距離、名所旧跡などを紹介した実用的なものであった。その後、分間絵図をはじめ、一枚刷の折りたたみ地図が刷られ、寛政期に入ると挿絵の入った名所案内記が刊行される。人々はこれら案内記を手に入れて旅に出かけたのである。次は、名所案内記の完結本とも言われる『江戸名所図会の中に収録された俳諧について検討した。まず、挿絵と作品の関係は大体二種類に分けられる。一つは、名所に関する考証に基づいて挿絵を描き、それに合わせて俳諧作品を選定、配置する方法である。もう一つは、俳諧作品に基づいて挿絵を描く方法である。前者は、「小金井橋」と「富士見茶屋」との例があげられる。すなわち、小金井橋周辺の春の景観と桜の花という素材を結び付け、まるで芭蕉が訪れて俳諧を詠んだかのように配置している。そういった配置方法によって花見の名所としての玉川上水のイメージと憩いの場としてのイメージを一層高める一方、新生都市江戸の名所を作っていったのである。これに対して後者は、「五本松」と「芭蕉庵の旧址」のように、著者が芭蕉作品を前もって考えて描いた挿絵があり、その中には芭蕉の姿も見える。このように著者は江戸名所に似合う芭蕉作品を付け加えるだけではなく、芭蕉の縁の地と作品に基づいて挿絵を描いていく方法も取っていたことが分かった。すなわち、俳諧は江戸名所のイメージを深め、読者に興味を醸し出すだけでなく、新生都市江戸の名所を新しく作りだすに恰好の素材だったのである。結局、著者は近世時代江戸で活躍した、芭蕉の作品を『江戸名所図会に収録することによって名所考証と挿絵を通して作られたイメージを一層強化し、読者の名所に関する好奇心と興味を刺激しようとしたのであろう。実際、江戸のあちこちに足跡を残しながら生活していた芭蕉と生き生きとした江戸を詠んだ彼の作品こそ新興大都会江戸を紹介し、案内するに最適の素材だったかも知れない。
4,200원
일본 기업 홈페이지 공지문에 관한 고찰 -사죄문의 표현을 중심으로-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제19집 2011.11 pp.71-89
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5,400원
本稿では、ビジネス場面において、顧客との問題解決や関係回復の重要な手段である企業のお詫びの告知文を形式的部分と内容的部分に分け分析考察を行った。まず、形式的部分ではお詫び文の特徴を表すタイトルが多く使用された。タイトルを分析した結果、文章型、名詞句型、混合型の3つの類型で現れ、タイトルが使用された93件のうち85件が文章形で表れたことから文章形がタイトルとして選り好まれていることが確認できた。冒頭あいさつは主に感謝の意を表す表現である「ご愛顧」、「ご愛用」、「ご利用」、「ご高配」などがよく使用された。文末あいさつは、理解要求型、感謝型、謝罪型の3つの類型が現れた。よく使用された表現としては、理解要求型は、「ご理解」、「ご理解とご協力」、「ご協力」、「ご理解とご支援」で、感謝型は、「ご愛顧」、「お引き立て」、「ご利用」などがあり、謝罪型は、重複してお詫びの文句が使用されるため、「重ねてお詫び申し上げます」や異なるタイプのお詫び文句が使用されていた。内容的な部分では、ます、事情説明はトラブルの原因や責任を明確にすることが重要であることが分った。お詫びの文句は、お詫びの理由を表す表現と直接的なお詫び文句を分けて分析を行った。お詫びの理由を表す表現はお詫びの内容と関連する表現が使用され、使用頻度の高い順から、「ご迷惑」、「ご心配やご迷惑」、「ご心配」、「ご迷惑とご不便」、「ご迷惑とお手数」などがあった。直接的なお詫びの文句は、多様なお詫びの文句の中で「お詫び申し上げます」が最も多く使われているが、「お詫び申し上げます」のみで使用されたのは少なく、お詫びの意を強く表す副詞と共に使われていた。表現としては、「深く」がお詫びの内容と関係なく使用されていた。今後の対策を表す表現は、お詫びの文句と共に重要な表現と思われるが、その使用頻度をみると、全100件のうち52件にとどまっていた。お詫び文の性格を考えると今後の対策に関する表現が、約半分の割合しか使用されなかったことは以外の結果であった。また、今後の対策の内容をみると、お詫びの理由に適した具体的な対策を表明した企業は少数であり、多くの企業は「再発防止に努めてまいります」や「管理体制の強化に努めております」のような「決まり文句」を使用していた。しかし、今後の対策は関係回復に向けての覚悟や対策などを具体的に表明する必要がある。
5,400원
自己紹介書のような自由作文教育の分野においてはまずコース・デザインをはじめシラバス・デザインやカリキュラム・デザインまで教育の下絵になる資料や研究が足りない実情である。よって本研究では、自己紹介書の作文教育のための効果的シラバス・デザインを試みた。研究方法は、四年制大学で自己紹介書の作成科目を開設し一年間教育を行いその結果を持って必要シラバスを取り出す方法を取った。そのための実験のフロアは「①学生は自由に韓国語で自己紹介書を作成してネットで提出→②教師から自己省察と肯定力教育を受けてから韓国語文の自己紹介書を再提出→③教師フィードバック→④テーマ別必要な日本語表現の教育→⑤フィードバックしてもらった韓国語の自己紹介書を元に学生各自テーマ別に日本語で作文→⑥全体内容をまとめて再修正後ネットで提出→⑦教師フィードバック→⑧個人別就職活動に利用」の順であった。実験は二学期間行われたが、一学期の実験の結果を踏まえて必要なシラバスを取り出してから二学期目の実験を行った。次に両学期の結果に基づいて必要かつ効果的シラバスを取り出した。その結果表れた問題点としてはまず、作文のベースになる韓国語文における矛盾と内容の不十分であった。従って、日本語作文の前に韓国語文における自己省察となめらかな文作りそして肯定力に対する表現練習が必要なシラバスとして取り出された。それから日本語翻訳段階では学生の作文内容の統計から書きたい文の内容に適した日本語表現と語彙教育の必要性が表れた。それは「家族紹介、友人、性格、趣味、希望、授受表現、敬語表現、経験、自分の能力、日本語らしい日本語表現」の項目であった。この10項目が必ず教えなければならない必須シラバスになるわけである。ただしこれは短期間の実験であるので今後実験期間と教育対象を広めて研究する必要性とカリキュラム・デザインを提案するための実験が残っている。
韓・日の対人関係修復行動 -責任の所在が第三者や外的要因にある場合-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제19집 2011.11 pp.111-137
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6,600원
本稿は、責任の所在が第三者や外的要因にある対人関係修復行動の全体的構造とパターンを導き出し、韓・日の会話における修復行動の異同を考察したものである。本稿でいう対人関係修復行動とは、誰かの言動によって生じた不快状況に際し、対人関係の損失を最小限に留めたり自分への否定的評価を軽減して、対人間不均衡状態を取り戻そうとする言語行動を指す。分析の結果、修復行動が誘発される不快状況、修復行動の先導主体、そして修復行動の遂行と対応、終結に至る全段階を連続的に記述して類型化し、修復行動の全体的構造と七つのパターンが導き出せた。各パターンは、修復行動の先導主体が自覚か指摘や喚起か、修復行動が遂行されたか否か、修復行動に対する対応が受諾か拒否か非明示的か、そして修復行動の終結が成功か失敗か保留か判断不可かによって組み合わせられる。これを分析の枠組みとし、主な責任が第三者や外的要因にある場合を中心に、修復行動のパターンと段階別類型に見られる韓・日の異同を探った結果、双方の修復行動は一見似ているようで、確かに違うことが分かった。修復行動に対する韓・日の認識差が各段階の発話に具現され、それが発話連鎖を成すことで修復行動の相違を生み出し、それによって韓・日固有の対人関係修復行動が特徴づけられるものと考えられる。このような結果から、謝罪を含む修復行動は、第三者や外的要因による不快状況でも必要と認識され行われることが自ずと示され、修復行動の全貌を把握するには、修復行動を有らしめる自分の非でない状況をも射程に入れた探究が不可欠であることが実証できた。今後、両言語社会における対人関係修復行動を多角的な視点から掘り下げていくことで、韓・日の異文化間コミュニケーションに先立つべき相互理解を一層深めることが期待できよう。
敬語表現「お~です」形に関する一考察 -「お~です」形の機能性を中心として-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제19집 2011.11 pp.139-159
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5,700원
敬語には種類が多く、各種類にも様々な表現形式がある。同じ種類の中にも、高い敬意を表わすものから低い敬意を表わすものまで、多様な形式がある。それに、発話時の状況と相手に従い、適合した種類の表現を選択して話さなければならないので、敬語表現は難しいとされている。話し言葉における敬語表現の現在の状態を調べる過程で、現代敬語では、敬語使用そのものが丁寧語化する傾向がみられると言われている。このような傾向は敬語使用の「簡略化」と「単純化」とへ繋がっていくだろう。丁寧語である「マス」・「デス」の勢力の進出を考察した上で、本論文のテーマである「お~です」形の機能性についての考察の結果をまとめると下のようである。 1.⌜お~です⌟形は、名詞の形をとって、状態性と動作性とを表わすことができる。 2.⌜お~です」形は、テンス的には、過去と非過去(現在・未来)とを、アスペクト的には、完成相と継続相と完了相と始動相などを表わすことができる。 3.状態動詞(<テイル>の形しかない動詞)を除けば、⌜お~です」形は一つの形態で「お~になる⌟,「お~になっている」,「お~になった」を表わしている。テンスから解放されていながら、アスペクトの意味も実現しているのである。この他にも「お~です」形の活用形である「お~ではない⌟,「お~でしょう⌟,「お~でしたら⌟,「お~でなければ」の場合も「お~になる」形の活用形とスムーズに置き換えができると言える。上記の三つの機能性に加え、「お~です」形は「お~になる」に準じるぐらいの敬度を持っているコンパクトな語形として、敬語使用の「簡略化」の傾向に応じ、これから勢力を広げていくと考えられる。⌜お~です」形は扱われる範囲も広くて簡潔な生産性の高い敬語表現である。「お呼びになっていらっしゃる」や「呼んでいらっしゃる」のような長い言葉が「お呼び」だけで表されてしまうことになるので、この語法はかなり便利である。便利だけではなく、全部を言いきっていないものの余韻が感じられ、品のある尊敬語だと思われる。ちなみに、相手に問い掛けたり、念を押したりする時にもよく使われる。短い一つの語形で多様な機能を果たしている。発話時の状況に応じて、多様なテンスとアスペクトの意味などを表わしうる。このような機能を帯びている「お~です」形についての本格的な研究はこれからであると思う。
5,100원
「わけだ」文は、関連づけを表し、一般的に関連づけられる先行文との関係からその意味が捉えられる。しかし、「わけだ」文と関連づけられる先行文が直接に現れていない場合があり、それが「わけだ」文の特殊な意味を表すものとして扱うべきかの問題がある。また、「わけだ」文が表す当然な帰結とは客観的に位置づけられるものであるが、それが主観的に位置づけられる場合などがあり、先行研究の捉え方からでは「わけだ」文の意味を正しく捉えられない。本稿では、先行文が直接に現れていない「わけだ」文の意味を捉えるために、先行文というものをどう位置づけるべきかについて記述した。また、話し手が主観的に位置づける「わけだ」文の意味を捉えるために、先行文から導き出される当然な帰結という意味をどう解釈すべきかについて記述した。「先行文」というのは「わけだ」文になるための情報や根拠として働いていればよく、つまり、何かの文脈であってもよいのであって、それが「先行文」として「わけだ」文の前に存在する必要は必ずしもないのである。文脈とは、明示的に現れていない事実でも、一般に通用する常識でも、かまわないのであって、こうした文脈も「わけだ」文の先行文としての役割を充分に果たしうると考えられる。また、「わけだ」文における帰結過程とは、客観的な外部の情報から導かれるのが一般的であるが、話し手の内部の情報、つまり、話し手の経歴や経験などから導かれる場合もあり、話し手が自分に関する事柄を述べる際に「わけだ」文が用いられるのであると考えられる。
動詞に接続する「ところで」の意味と機能 -空間から否定への発展経路を中心に-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제19집 2011.11 pp.179-198
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本稿は動詞に接続する「どころで」の意味と機能について分析・考察したものである。特に、従来の研究であまり取り上げたことがない、空間を表す場合から否定を表す場合への発展経路といった観点で記述することを目指した。その結果は以下のようにまとめられる。現代日本語の動詞に接続する「ところで」は大きく次のような5つの場合に分けることができる。①空間的意味のみを表す場合は「Vところで」は「で格」をとった形式名詞の機能を果たす。②空間的意味と時点的意味の両方を表す場合は表す意味によって異なる特色を見せる。空間的意味の場合は「で格」をとった形式名詞と言えるが、時点的意味の場合は「Vところで」全体が時点を表す接続助辞として働く。③時点的意味のみを表す場合は「Vところで」全体が時点を表す接続助辞として働く。④時点的意味と否定的意味との連続性については否定的表現を肯定的表現に変えることで、時点的意味との関連性を探ることが出来そうであるが、基本的にコンテクストに依存しているため、コンテクストを視野に入れたうえで分析・考察しなければならない。⑤否定的意味のみを表す場合は「Vところで」全体が否定を表す接続助辞として働く。述語は「V ところで」を支配しない。以上の①~⑤を総合的に考えると、「Vところで」という形態が空間を表す「で格」をとった形式名詞の機能から否定を表す「Vところで」全体の形態で接続助辞の機能へ発展していく経路を明らかにすることが出来る。この経路には、①前接動詞と述語のタイプ(タイプの変化)、②格体系(「で格」から「Vところで」の形態で接続助辞への変化)、③「Vところで」と述語との関係(支配の有無)、といった3点が複合的に関わっていると言える。
近世前期における時間表現-「仮名草子」 「浮世草子」の<会話文>を中心に-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제19집 2011.11 pp.199-220
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本稿は近世前期の日本語の時間表現について考察している。古代日本語と現代日本語の時間を表す形式が総て混在し、時間表現の変化が表れ始めた中世に比べ、形式の文法化が進んでいたのが近世日本語の特徴とも言えるだろう。古代日本語の時間表現である「キ・ケリ・ツ・ヌ・タリ・リ」そして「裸の形」など七つの形式と、中世から登場した「シタ」「シテアル」形、そして近世から見られる「シテイル」「シテオル」の四つの形式を加えて、このような形式が近世前期の作品『仮名草子『浮世草子の<会話文>にどのように表されているか、また、現代日本語の時間表現体系に合わせて見た時、どのような特徴を見せるかを中心に考察した。時間表現は大きく<状態性述語>と<動作性述語>に分け、次に、<状態性述語>は<名詞述語文><形容詞述語文><状態動詞>に細分化し、該当する形式の表れ方やテンス・アスペクト的意味をまとめた。結論からいうと、近世前期の時間表現は中世に比べて文法化が進んでいるものの、時間表現体系においてはまだ未発達していて、テンス・アスペクトの意味が重なる形式が多く見られる。「シタ」形は過去・完成相の意味を表す外の形式に比べてその数からも優位になっている。「シテイル」「シテアル」「シテオル」の中では「シテイル」の使用が増えてはいるが、まだ確然たる結果が出ているとは言えない。「キ・ケリ・ツ・ヌ・タリ・リ」はまだ形式は残っているものの、大分その数が減っているし、近世語における文法的な変化でもある「係り結び法則」の崩壊と、文末終止形に連体形が用いられるなどの現象も見られた。さらに、「裸の形」は現代日本語の「スル」形に相当近くなり、非過去・完成相の意味を主に担うようになっている。今後は近世後期の時間表現を考察した上、時間表現体系の変化がもっと詳細にまとめていきたい。
2等韻에 반영된 日本吳音 エ段音에 대한 考察 -假․效․山․咸攝을 中心으로-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제19집 2011.11 pp.221-237
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日本吳音の場合、同一の韻に相異な字音形が混在していて、假․山․咸․效攝は吳音での主母音は表記上a形に現れるのが一般的であるが、e形が混在して一種の中層性を表している。本稿で調査した呉音資料の假․山․咸․效攝の2等韻に反映されたエ段音は、共に主母音の/a․ɐ/などが1等韻に比べて相對的に前舌的で、こういう前舌的な2等韻の1等韻との主母音の違いを意識的に表した表記方式及び古代日本人が外国語である漢字音をどのように受け取るかのような受容態度による結果に把握することができる。また、切韻音以前の南北朝音を反映した日本呉音の独特な表記意識だと考えられる。
6,000원
本稿は、接触場面初対面会話における談話展開を検証し、参加者双方の発話から言語調整行動を分析・考察したものである。本研究のねらいは、従来の固定化された「接触場面」「参加者」「言語調整行動」の定義を改め、多文化共生時代の接触場面参加者(日本語使用者)に必要なコミュニケーション・ストラテジーとして言語調整行動の新たな可能性を模索することである。具体的には、多様化した多文化環境で必要な知識・情報として日本語教育現場に「言語調整行動」を取り入れ、非母語話者のみならず、日本語使用者相互の学習・習得を提案することである。本調査では、日本国内の現職非母語話者日本語教師NNT15人を調査対象者とし た。NNTは、会話協力者である日本語母語話者NS6人および非母語話者、初級日本語学習者JL7人と、条件統制された環境下で、二者間および三者間の接触場面初対面会話を行った。会話データ(計3回:15人×30分=450分)は全て文字化し、調査項目のコーディングを行った。その結果、話題導入․選択に関して、5つの項目が抽出された。本稿では、上記項目から主に「話題内容」を中心に、使用傾向と特徴を分析、考察した。また、接触場面初対面会話の話題導入․選択時に用いられた「言語調整行動」を、「自己開示と関係形成」という側面から母語場面会話と比較し、類似․相違を検証した。調査結果、接触場面初対面会話における「話題」のカテゴリーとして、「あいさつ」「自己紹介」「共通知人」「仕事関係」「日本語」「研究関連」の7つの下位項目が見いだされた。特に、本調査参加者間では、「日本語」が大きなウェイトを占めていた。今後、接触場面の「言語調整行動」を、日本語母語話者や既得・既習者だけではなく、会話参加者だれもが使えるコミュニケーション・ストラテジーとして大きく捉えなおし、実践現場への応用を含めて、非母語話者・学習者にも使用可能なストラテジーを模索する必要があると考える。
일본어의 영향에 대응하는 한국어 복언(復言)의 발전적 전개 양상 -근·현대 남·북한의 신문 문장을 중심으로-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제19집 2011.11 pp.263-280
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近代以降、日本による植民地支配によって韓半島全体で日本語の借用語が多く使われていた。しかし、南北両国が開放されて以降、日本語の残滓をなくそうと韓国語を使う運動が積極的に起き、純粋な韓国語が正しく普及されており、近年これに対する研究が活発に行われている。本研究では、日本による植民地支配以降、60数年が過ぎた今日の南北の言語が日本語の影響から抜け出し、純粋な韓国語への復言化がどのように進んでいるのかについて、1920、30年代の近代の新聞と南北両国の現代の新聞に使われている日本語の借用語と純粋な韓国語の実証的な考察を通して、共時的・通史的に対照分析を行ってみた。その結果、開放以降60年が過ぎたが、南北間の言語すべてに今でもなお残滓がかなり見られた。しかし、開放以降国家的、社会的次元で日本語の浄化作業が長い間行われてきた結果、日本語式の語彙の使用が次第に減り、純粋な韓国語の新語が使われているのが、新聞を通して確認することができた。ただし、韓国では日本語の借用語である漢字語や外来語を新しい言葉に変える場合が多いのに比べ、北朝鮮では方言や古語を復活させて使われていることが分かった。ところが、このような変化が一朝一夕で起こることではなく、‘이지메/괴롭힘’, ‘삐라/전단지’と同じ日本語の借用語→日本語の借用語/純粋な韓国語の共存→純粋な韓国語の代替の過程を経て定着されていっている。
5,100원
本研究では、常用漢字2136字の音読み字2059字を対象にして、現用の漢和辭典6種の字音表記の中で、唐音と規定されている字音の問題点について分析した。その結果、唐音については次のような細部規定を定める必要があると考えられる。1)歌韻․戈韻の-o形は唐音に分類しなければならない。2)止攝開口韻の-u形は唐音に分類しなければならない。3)梗攝3․4等韻の-iN形は唐音に分類しなければならない。4)桓韻の-oN形は唐音に分類しなければならない。5)灰韻舌音字の「ツイ」とう字音は、吳音・漢音・唐音で共に出現する。6)模韻の-u形は、吳音と唐音で共に出現する。7)麻韻明母字は、吳音と唐音で共に「マ」と現れる。8)入聲韻尾の省略された字音形や促音形の中には、唐音に分類しなければならない字音がある。9)臻攝合口3等文韻は、新漢音と唐音共に-(w)in形で現れるので、該当する漢語の史的研究を加えて字音を規定する必要がある。唐音を慣用音に誤記したのが現れるのは、唐音の究明が漢音․吳音に比べて遅かったわけもあるが、字音分類の基準を『韻鏡に拠りながら、漢音․吳音の基本的な体系から外れたら慣用音に処理してしまったことがあった所以である。これから、漢和辭典の編纂には、『韻鏡等に拠る演繹的․規範的解釋を脫皮して、實際の資料に基づく歸納的な字音規定の姿勢が必要される。吳音とか新漢音と同形の唐音については、該當する漢語についての史的資料による検討が必要であろう。
5,200원
本稿は推量の助動詞「ん」と「う」の使用様相と文体的特徴および打消の助動詞 「ん(ぬ)」との関連性を通して「ん」から「う」への表記移行を考える時に説明されてきた既存の音韻的な特徴以外の観点から改めて移行要因を考察したものである。従来の研究では「ん」の発生時期は平安時代であり、「う」と音韻的に似ているので平安時代の末期に「う」に変化したと説明している。しかし、音韻的な特徴のみによる、表記形態の変化が生じた要因に対する説明は、「う」の発生を十分に捉えていないと考えられ、他の観点からの考察が望まれる。そこで、大蔵虎明本狂言集を対象に「ん」と「う」の使用様相および文体的特徴について分析を行った。分析の結果「ん」は179例、「う」は3,683例で、「ん」よりはるかに多くの用例が現れた。このことから中世後期からは「う」が一般的な表記形態になっていることが確認できた。そして「ん」と「う」では異なる文体的な特徴が表れた。「ん」は漢詩を引用した歌や謡、節のような地の文などで多く見られ、「う」は普通の会話文に多く使われた。また、「ん」は会話の部分でも神や出家、蝉の精霊、松の精霊、閻魔王などのような話し手による、気取った話し方や格式ばったことばに頻繁に現れることが発見された。その反面「う」は大名、太郎冠者、次郎冠者、婿など、狂言によく登場する人物の日常的な対話で現れた。このことは同じ話し手における台詞の中にも現れ、文章の性格により「ん」と「う」の使用が区別されていた。このことから「う」の使用が増えるに伴い、「ん」と「う」の使い分けが明確になったことが把握できる。そしてその背景要因としては文体に対する作者たちの認識が関わっていると考えられる。すなわち、表記が口語体を取るにしたがい、作者たちの間で「ん」は、「う」より古語的で文語的な文体であるという認識が強くなり、「ん」の使用が減少したと考えられる。また、分析結果からは、少数ではあるものの、打消の助動詞「ん」の用例が現れており、意味に混同が起きた用例も発見された。推量の助動詞「ん」と打消の助動詞「ん」は表記形態と接続形態が同じなので、当然混同が生じやすかったと考える。そしてこのような混同を避けるためには、一方は他の形に変わるしかない。それで文語的な要素を持ち、かつ使用が制限されている、運用性の低い推量の助動詞「ん」の方が発音上似ている「う」に移行しやすかったのではないかと推論できる。
「(し)そうだ」「ようだ」「らしい」の習得調査 -3形式による推量表現を場面別に分類して-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제19집 2011.11 pp.317-339
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本稿は「そうだ」「ようだ」「らしい」が表す推量表現を場面別に分類し、3形式が専属的に用いられる場面において、韓国人日本語学習者が3形式を使い分けられるかを調査したものである。日本語の小説とその韓国語訳版を用いてアンケート用紙を作成した後、韓国人日本語学習者と日本語母語話者を対象としてアンケートを行い、両者の結果を比較することで、学習者の習得状況を調査した。その結果、次のことが明らかになった。1. 3形式が専属的に用いられる場面において学習者は習得レベルが上がると、日本人が自然と評価した形式と同じ形式を選ぶ傾向がある。つまり、どんな場面で3形式を用いるのかが分かるようになることが示唆される。2. 仮想のもとでの推量や、相手の様子を見て「具合いが悪い/顔色が悪い」という場合に「そうだ・ようだ」の判断がやや難しいと思われる。3. 「らしい」の習得が「そうだ」「ようだ」に比べて進んでいない。「らしい」の習得が進んでいないのは、様々な原因が考えられるので、今後さらに詳しく調査する必要がある。また、今回の調査では、おおよそ日本語母語話者は先行研究の指摘どおりに3形式を用いているという結果が出たが、一部の設問では回答にばらつきが見られた。この「ばらつき」が意味するものについても考察していかなければならないだろう。今後は、3形式の意味・用法が重複あるいは近接する部分の母語話者の使用実態や学習者の習得状況ついても調査していき、教育への応用につなげたい。
4,900원
日本語の「テクル」構文と「テクレル」構文については、これらの持つ意味用法が多岐にわたるので数多くの先行研究が存在する。しかし、両構文の相関関係についてはあまり研究されてきていないのが現状のようである。本稿は益岡(1997)の<外的関連>という観点から「テクル」構文と「テクレル」構文を対象とし、其々の類似性と相違点についての考察を行った。この両構文はある程度まではパラレルに文法化の度合いによる意味の変化を示すことが可能であった。すなわち、<空間移動>、<心理移動>、<抽象化された事態の移動>といった文法化の度合いは共通するが、それぞれの対象なり意味等が異なるのみである。すなわち、<空間移動>においては「テクル」が<主体>、「テクレル」が<客体>の移動を表し、<心理移動>においては「テクル」が<迷惑>、「テクレル」が<受益>を表すようにパラレルな関係が成立する。<迷惑><受益>を相互補完的な意味機能を表していることを明白にするために、本稿では<+NEGATIVE><+POSITIVE>のように表した。しかし、もっとも文法化の進んだ例においては、パラレルな対応は成り立たなかった。其々「テクル」は<時間移動>を、「テクレル」は<恩恵の移動>を表し、これらを<抽象化された事態の移動>として取りまとめた。これを<表>にまとめると、以下の通りである。
동아시아 식민지일본어의 존재표현 -중국연변지역과 한국의 비교-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제19집 2011.11 pp.357-374
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本稿は、中国の延辺地域の老年層が日本による植民地下の学習環境で習得してから、70年以上も保持している日本語(以下、植民地日本語とする)の存在表現に見られる言語的諸特徴を韓国の場合と比較しながら記述したものである。日本語母語話者と延辺地域の老年層との談話データや(翻訳式)調査文調査のデータを分析した結果、(東アジア地域の)植民地日本語の存在表現について以下のようなことが分かった。(a)植民地日本語の存在表現の体制は、韓国と中国がそれぞれ方言形オルと非標準形アルが二軸をなしながら、能動的で適切なイルの使用も稀にみられるが、中国は後者のイルの使用も(韓国と同様に)日本語との接触度の高い女性話者を中心によく見られる。また、話者の属性からみて、主にPグループでアルのみを導入する非標準的な使用(過剰一般化)が共通に目立つ。(b)中国は韓国に比べ、すべての領域で構文的制約や主語の性格による存在動詞の使い分けの度合いが弱く、オル・イル・アルが同時に使われる中でアルに移行するプロセスが見出される。ただ、そのなかでオルは「尊敬」より「謙譲」の用法において保持されやすい。(c)調査文調査の結果は、大体談話調査の結果と一致するが、大きく「オル・イルを有情物述語のプロトタイプと考えるグループ」と「アルを有情物述語のプロトタイプと考えるグループ」に分けられる。このことは、第二言語の休止期の植民地日本語の存在表現にオル・イルの保持、アルへの収斂(単純化)という要因が働いた結果だと考えられる。(d)植民地日本語の存在表現の保持とかかわる言語外的要因としては、「化石化」「認知言語学的な再構築」「インプット(input)過程の相違」などが考えられる。
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1930年代、韓国の最先端のモダニストと呼ばれた朴泰遠(1909-1986)は、朝鮮戦争時の1950年に越北し、亡くなるまで北朝鮮でも最高のスタイリストであった。彼の作品世界は、モダニズムの技法のみでなく、精神的な面においても韓国的モダニティを追求した側面で連続性が見られる。本稿では、朴泰遠の文学的土台の中で今までおろそかにされてきた1930年からの東京留学に注目し、彼の作品世界との関連を考察した。留学最初はソウルと東京とを同一視していた朴泰遠は、雨のなか、アリランを口笛で吹きながら歩いている足が不自由な子供を通じて、帝国日本と植民地朝鮮との隔たりを深く認識する。度日前の小説では「足が不自由な人」は人間の嘘と「虚偽」を比喩する言葉であったが、度日後には、植民地近代という跛行の朝鮮にその象徴性が転覆する。韓国的モダニズム文学への出発点は、関東大震災後、昭和の東京を代表する街である新宿の人間に過酷で冷たい「近代的不良性」の発見であった。彼が留学していた1930年という時期は、モダン文化の拡散と同時に昭和恐慌から生じる経済社会的不安が高まる時期でもあった。このような時空間的、社会的背景も彼が「近代」に対する認識を新たにする主な動力になった。彼は帰国後の1933年から本格的に植民資本主義について批判的な省察を行い、韓国的伝統とモダニティを融合した小説を生み出す。その代表的作品が1934年「小説家仇甫氏の一日」である。作品の中で日本は潜伏していて、たびたび顔を出すが、回想の欠片になって散るだけで、日本の痕跡は植民地朝鮮の京城の厳しい現実に置き換えられる。彼の小説は朝鮮の歪曲された近代化を問題視するようになったのである。
사이카쿠(西鶴) 우키요조시(浮世草子) 속 미망인 인식 소고(小考) -후속 작품과의 비교를 중심으로-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제19집 2011.11 pp.397-415
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本稿は西鶴及び西鶴以降の作家の浮世草子に見られる後家が、どのように描かれ、かつ、認識されていたかを考察するためのものである。分析の結果、西鶴は性欲を露にした後家、および、貞節を守った後家、どちらに対しても、その意図を疑っていたと見受けられた。これに反して慈悲深い後家、夫やその家に対し犠牲的であった者は称えていたと。したがって、西鶴は当時の社会的通念に沿って後家を男性の側から「妻」の延長線で認識していたと言える。一方、多田南嶺は『世間母親容気で、後家を母と女性という二重の性格を有する存在として認識し、後家の性欲を人間の普遍的欲望の一つとして描いたと見受けられた。この点、西鶴が当時の社会的通念に沿って後家を認識していたのとは距離がある。また、南嶺は、子に対する先見と遊女的おおらかさを同時に見せる後家をも描いていたが、ここで母性と女性としての魅力という相容れない素材が扱われた。この点もまた、後家を母でありかつ女性として認識した結果だと言えよう。そして、南嶺と同様に上田秋成は『諸道聴耳世間猿で、子のために経済的困難を克服する力強い後家の姿を描きつつ、経済的困難を前後に変貌する普遍的個人である後家の姿を反映していたと見受けられた。これは後家を普遍的人間類型の一つとして認識するものと見受けられ、西鶴とは相違する観点だと言える。つまり、西鶴以降の浮世草子の中の後家は、夫に属する「妻」として描かれたのではなく、普遍的個人として描き出されていると思われる。このように西鶴以降の作家達が後家を普遍的個人として描き出した作品は『世間母親容気、『諸道聴耳世間猿であり、両作品とも気質物であるという点、注目に値する。つまり、類型人物を描いたとされる気質物というジャンルが類型の普遍性に関心を持ち、更に普遍的個人の描写に成功している点、後家の描写を通して理解できるのである。言い換えれば、後家に関しては、西鶴が当時の社会的通念に即して後家を夫に属する「妻」として類型的に描いた反面、南嶺と秋成は後家の性欲、財慾描写を通じて後家を普遍的個人として認識し、より深い人間観察に成功したと言える。したがって、西鶴の後家は気質物を通して「普遍的個人」に発展した点に意義があると言えよう。
「숙종실록」기록으로 본 안용복 -안용복 진술의 타당성에 관해-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제19집 2011.11 pp.417-434
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本論は、『肅宗實錄』肅宗22(1696)年条に記録されている安龍福の陳述を検討したものである。その内容が真実か否かをめぐって多くの議論がなされてきた。安龍福を否定する日本側ではその内容を否定している。特に安龍福が鬱陵島と子山島で会った日本の漁師に両島が朝鮮領であると主張し、関白からその事実を認めた書契をもらったこと、それを対馬藩に奪われたことなどは安龍福の虚言であるとし、事実ではないとされている。しかし、安龍福が江戸に行き書契をもっらたことは『肅宗實錄だけではなく、日本側の記録にも記されている事実である。安龍福を連れ去った大谷家の『竹島渡海由来記抜書控などがそれである。関白の書契の存在を推定できる記録は『抜書控の「相濟順々御贈歸」という部分である。これは送還する前の記録で、調査後に順序に沿って(順々)何かを贈り(贈)、帰らせた(歸)という意味である。当時、朝鮮と日本は漂流民に物品を下賜するのが慣例となっていた。この「御贈」は関白の書契を含めた物品の下賜とみなけらばならない。それは1666年に釜山に漂着した日本人を送還する朝鮮側の対応を通じて立証できる。「則朝鮮國所々ニ而御馳走 順々ニ送歸シ相成事具別有之略ス尤朝鮮國王ヨリ船頭水主江餞別目錄二通有之 于今致所持」との記録は、送還時に朝鮮國王が物品と餞別目録を下賜したとの内容で、「順々ニ送歸シ」は『抜書控の「順々御贈歸」と対応する。『伯耆志も「命有て藤兵衛異人を具して、本府に至る、番士加納氏尾関氏守護たり、異人江戶に召されて本土に送らる。後彼國より竹島は朝鮮の地たるよし頻に言上に及ぶ」のように、江戸にいった後に朝鮮で竹島の領有について頻繁に言及するようになったと安龍福の江戸行きについて触れている。『竹島記事』にも江戸に行って鬱陵島の領有権を主張したことと、そこに渡海した日本人が処罰されたことが記録されている。このような日本側の記録からも安龍福の主張は事実だったとみなければならない。
谷崎潤一郎의 『文章読本』一考察 -비트겐슈타인의 분석철학이론과의 비교를 통해-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제19집 2011.11 pp.435-452
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本稿では、谷崎潤一郎の『文章読本』を分析哲学が言語そのものを対象にしていることに着目して、音声中心主義理論と分析哲学という二つの西洋哲学の観点から『文章読本』を比較考察してみた。第一に、音声中心主義と『文章読本』との比較考察では、音声中心主義理論が文字の限界性、例えば、音声言語の多様で独特な意味表現の不能の限界などを持っているのに対して、『文章読本』でも言語の、思想に一つの形態を与えてしまう欠点があるという音声中心主義との関連性が発見できた。第二に、分析哲学と『文章読本との比較であったが、ここでは理想言語と日常言語、そしてウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を各々『文章読本』と比較して考察してみた。まず、理想言語と日常言語との比較であったが、分析哲学では、日常言語が言語としての矛盾を持っているため、理想言語の必要性を主張し、その理想言語の条件として言語の便利性を強調した。それに対して『文章読本』では、口語体の限界性を説明した。またその限界を克服するためには、言語の実用性を強調したが、これは分析哲学の主張する内容と一致するところであった。 最後に、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』と『文章読本』との比較考察であるが、ここでは『論理哲学論考』で言及されている「神秘的」という用語の持っている意味である言語の限界性と関連して考えてみた。何かをそのまま叙述することができない言語の限界性を意味する「神秘的」という用語は、文章読本でも、言語と文字には表現できることとできないことがあるので、その限界性を知るべきだというふ風に説明していて、論理哲学論考との類似性が発見できた。しかしながら、『文章読本』では一つのことを敷衍して説明していた。それは、そのような言語の限界性は認めるものの、作者はその限界を克服しようとする努力を止めてはいけないということであった。
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1973年に出版された『日本沈沒 上․下』(光文社)は、第27回日本推理作家協會賞と第5回星雲賞を受賞し、また最近になっては「古典に昇格する前の中途半端に古いベストセラー」=「中古典」として評価されている作品である。後二年で、地震と津波で日本列島が沈没するという破格的な設定は、出版当時、日本社会に大きな反響を呼び起こした。国土喪失による喪失感や日本近代システムの不安定さを描き、1970年代にオリンピックでいい気になっていた国民を警めた作品でもある。しかし、この作品のメッセージはこれだけではない。日本沈沒の結末は国土の完全な沈没ではあるが、最後の部分で語られる「丹那婆伝説」(地震で残された妊婦が息子を生み、その子と交合して娘を生んで子孫をえるという八丈島の伝説)に、真の思想(メッセージ)があるのである。「丹那婆伝説」は、八丈実記が紹介する八丈島の伝説で「丹那婆の男児出産→母子交合」の構造を成している。ところが、日本沈沒では、これを「丹那婆の男児出産→母子交合→兄妹相姦」に変容することによって、古事記の伊邪那岐․伊邪那美神話を喚起している。「國土と建国神話」を根幹理念とする『古事記の世界、また子孫を旺盛に生み続ける「丹那婆伝説」で終焉を飾ることによって、日本(国土)は沈没するのではなく、古事記と「丹那婆伝説」のように国土の再創建と永遠なる民族で生き残るというナショナリズム的思想を描いているのである。このような結び方は普遍的で常識的かも知れないが、古代の天皇の「国見」をはじめ、為政者の専有物であった国土を「国民にして国土を感情を持って感じさせ考えさせた」本格的な作品として日本文學史的な意義はあるはずだ。
저항담론으로서의 ‘재일’일본어 -재일여성문예지 『땅에서 배를 저어라』(『地に舟をこげ』)를 중심으로-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제19집 2011.11 pp.471-489
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もう、「在日」を「民族」や「国家」によってのみ規定することはできない。分断された祖国と無国籍の朝鮮、また日本ということも同時に考えてアイデンティティを究明するべきであり、韓国人でも日本人でもないアイデンティティを究明しなければならない。「在日」は、韓国的なものと日本的なものが混ざりあっている状態であり、その両者間の衝突の過程でもあり、その混ざりあっている状態や衝突の過程そのものが「在日」のアイデンティティであるかもしれない。多様な国籍、本名を名乗る者、通名を使用する者、自らの出自に関する特別な位置を認識する女性たちが、新しい表現の空間に集まってきた。在日女性文芸協会によって2006年創刊され、2010年五号まで発行された『地に舟をこげである。脱植民地主義の観点から、忘却を脱し、記憶を辿り、記録することを望む在日女性作家たちにとって「民族」と「国家」、あるいは「母語」と「母国語」にどんな意味があるのだろうか。本稿は『地に舟をこげを中心として、在日女性文学者たちが「母語」と「母国語」の狭間で、「母語」と「母国語」をどのように異種交配させているのか、日本語に浸透させた「母国語」はどんな響きを持って対抗言語を創り、新しい談論を創り出しているかについて探る。在日作家たちが日本語で創作する動機には、日本語以外には話すことが出来ないことと、日本人や他の在日外国人に自分を通じあわせたいことが大きな比率を占めている。その時、代案文化として新しい日本語と混じりあった日本語、いわゆる「チャンポン日本語」としての韓国語のカタカナ表記とハングル表記とは、在日の生き方の文化を知らしめ、歴史の証言を「在日」として共有したいという欲求であろう。代案文化として新しい日本語と混じった日本語は、新しいバナキュラーの創出である。正しい日本語の表現ではないが、それは在日一世たちを表現する一番適当な表現の手段であり、彼女たちの対抗言語であると同時に対抗談論であると言える。このような対抗談論として、自ら「母語」と「母国語」の呪縛から脱して、彼女たちの創作空間を通して続いて再生産されれば、それは在日の言語として位置付けられ、“新しい言語の新しい声と位置が「母語」を改めて変更させる”のである.
기독시인 야기 주키치의 문학적 자립 -우치무라 간조와의 영향관계를 중심으로-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제19집 2011.11 pp.491-512
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本稿では、日本の基督詩人の八木重吉が如何にして文学的自立を達成したかという点について考察した。特に代表的な基督教の思想家である内村鑑三との影響関係を中心にして考えてみた。多くの近代文学者達が内村からの宗教的影響を受けた後、宗教を排除した文学だけの自立の道を選んだ文学史的現実が日本にはある。このような現実の中で、重吉は文学と宗教の調和を図った詩人である。本稿での考察をまとめてみる。まず、重吉の深淵には内村から受けた宗教的影響が根深く存在しているのを確認した。基督信仰の根幹をなす再臨信仰と贖罪信仰を受け入れることによって、重吉はその信仰の骨格を形成したことが分かった。そして、このような信仰の基礎の上に文学と宗教の調和をはかった重吉の詩作の姿が分かった。これは内村の文学観とは区別されるものである。内村にとって文学は宗教に従属された形態として存在するものと言うことができる。反面、重吉は文学と宗教の内的矛盾から葛藤の時間を経て、宗教と文学の調和をはかった希に見る詩人であった。重吉は詩作の行為を基督の贖いの行為と同一視することによって内的矛盾を克服した。彼において詩を書く行為自体が宗教的行為であることを彼は自分なりの詩的言語で表現したのである。宗教と文学の両立と排除というテーマは汎神論的で無宗教社会として認識されている日本的風土を理解する有効な鍵であると思われる。今後、重吉の文学と宗教の相関性を作品分析を通して行うことを課題として残したい。
4,900원
『万葉集』に殘されている赤人歌は、それに人麻呂歌と類似する表現が多く見られることから、人麻呂歌の縮小再生産にすぎない、と評価されてきた。しかし、人麻呂歌から赤人歌への影響は認められるものの、人麻呂歌との類似性のみに注目した結果、赤人歌の特徵を見逃していたのではなかろうか。そこで、本稿では、人麻呂歌にも赤人歌にも見える「いにしへ思ふ」․「いにしへに ありけむ人」という表現を檢討することによって、赤人歌の特徵を明らかにしたい。まず、「いにしへ思ふ」の表現の見える歌から見てみよう。人麻呂歌である、③二六六番歌は「いにしへ」と話者のいる現在が異質なものとして、①四六~四九番歌は「いにしへ」と現在が同質なものとして、重なり合っている。それによって、各々悲嘆と讚美という話者の心情がより强調されることになる。それに對し、赤人歌である③三二四~三二五番歌は、歌の中で「いにしへ」と現在とが重なり合っていない。そのため、長歌前半の表現から讀みとれる明日香古都に對する讚美の心情と、後半の表現から讀みとれる回想による悲嘆の心情とが、交わることなく歌は終わる。續いて、「いにしへに ありけむ人」の表現の見える歌を檢討してみよう。人麻呂歌である④四九七番歌と人麻呂歌集の歌である⑦一一一八番歌は、三句目までの表現がまったく同じで、三句目の「我がごとか」の表現から、「いにしへに ありけむ人」と話者との重なり合いが見てとれる。それによって、話者の心情は普遍性が獲得される。赤人歌の③四三一~四三三番歌には、「いにしへに ありけむ人」と話者との重なり合いが確認できず、「遠く久しき」ものとして「いにしへ」が歌われている。以上、人麻呂歌では、「いにしへ」と現在との重層化が確認できることを明らかにした。それによって、歌の主題が强調されるようになる。人麻呂歌の「いにしへ」は歌の中で現在を根據づける役割を果たしていた。これに對し、赤人歌では、「いにしへ」と現在との重層化は確認できず、「いにしへ」を懷かしむことそのものが目的化としている。つまり、赤人こそが「いにしへ」を懷かしむ歌人であったのである。
安部公房の小説テクストにおける<ノアの方舟>モチーフの分析 -水と空間表象に表象に見る政治性-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제19집 2011.11 pp.529-549
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安部公房の小説に現れる水の表象は脅威的な運動性を持ち、生と死という両義性を示している。なかでも水の力動性と暴力性を克明に表しているのが、洪水の表象であろう。本論文では、安部公房の文学テクストに描かれている、暴力の水から逃れる舟が、「ノアの方舟」として独特に表象されている点に着目した。先ず、安部の描く「ノアの方舟」伝説の逆転を分析した。創世記のノアの物語は、安部の「ノアの方舟」表象は全く反対のものである。それが、どのように変奏されているかという特徴を確認し、「洪水」の同時代評をたよりにシュペルヴィエルの「ノアの方舟」との関係を検討することで、両者が同じモチーフを使いながら、全く違う結末へ向かうことが確認できる。また「ノアの方舟」の表象が再帰する1980年代前後の日本の社会的文脈における「ノアの方舟」像を確認した。このような読解で、安部公房の描いた「ノアの方舟」というモチーフが、主体が成立し新しい法が措定される転換期の表象であること、国家の外でも内でもない方舟的空間で、帰属も命名もされない場所を生きる他者が主体として成立することの難しさが読みとれる。
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本研究は韓国人の語文学者の立場から『春香伝が日本でどのように受け入れられてきたのかを具体的に考察し、今後日本語に翻訳された『春香伝をどう研究していくべきかを診断することを目的とし、具体的なデータに基づいて日本での『春香伝の受容様相を量的․質的に調べたものである。19世紀末は、明治維新を前後にした日本の東アジアへの拡張時期で、韓日両国の思想と理念が極端的に対立していた。この時期に日本で、春香伝は、より盛んに翻訳、紹介された。なかでも、1882年に日本語で初めて翻訳されて以来、戦争が終わる直線の1938年に張赫宙著、村山知義脚本․演出の『春香伝が日本で春香伝ブームを引き起こした。また敗戦後、1948年に高木東六により『オペラ春香が公演され、日本の音楽会の復興の嚆矢となった。本研究では日本での『春香伝の受容様相を考察した結果、結論および今後の課題を次のように設定することができた。第一、日本での『春香伝の受容研究は主に日本人研究者により研究されてきたが、春香伝の受容が歴史的に激動の時期に翻訳․紹介されていただけに、当時の在日朝鮮人および朝鮮人の視点を考慮した研究が必要である。第二、日本での『春香伝の受容歴史は130年に及び、翻訳された作品だけでも50種に至る。しかし、これまでの『春香伝研究は半井桃水の『鷄林情話春香伝に片寄り、張赫宙著․村山知義脚本․演出の新劇『春香伝、高木東六の『オペラ春香については、あまり研究されていない。そのうえ、これら以外の『春香伝に対する原本の研究および内容的な面での研究も必要である。第三、日本での『春香伝の受容は第2次世界大戦直前と直後に、より活発に行われた。この時期の作品には、どんな形にせよ張赫宙と村山知義が関わっている。また村山知義は張赫宙だけでなく、柳致眞の影響も受けている。そして、柳致眞は李光洙の『一說春香伝の影響を受けており、張赫宙は唱劇歌詞を参考にしている。そして、高木東六は村山知義の脚本を脚色して『オペラ春香を完成する。これらの作品の内容や作家の性向の違い、そして時代的状況などを考慮した比較文学的研究が必要であると思われる。
5,700원
『三四郎』は明治四十一年九月から朝日新聞紙上で連載が始まった。夏目漱石の、それまでの金銭問題を取り扱う作品には、『吾輩は猫である『坊ちゃんといった小説があげられる。『三四郎』以後の作品にも金銭の問題は作品の主題と深くかかわっている。それから『こゝろ『道草』『明暗』といった作品にも金銭の介在で主人公が彼らの運命と向き合わねばならぬ設定がみられる。『三四郎』を解明するのに、美禰子への理解が一つの焦点となるが、野々宮を介さずに美禰子に接近できたのは、与次郎が馬券を買って人の金をなくすという乱暴な行為がもたらしたものであった。滑稽な設定にみえるが、主人公の小川三四郎は三十円の遣り取りを介して現実の世界へと目覚めたのである。三四郎にとっての三十円の借金は解明すべき問題である。他の登場人物、美禰子、与次郎、野々宮、そして広田先生にとってはどういう意味を持つかも関わってくる問題であるが、本論は『三四郎』に描かれた貸借関係に焦点をしぼり、三四郎が現実世界と接触した実態の要因を究明しようとするものである。
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