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일본언어문화 [Journal of japanese Language and Culture]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본언어문화학회 [Japanese Language & Culture Association of Korea]
  • pISSN
    1598-9585
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    2002 ~ 2025
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 730 DDC 495
제20집 (22건)
No
1

6,300원

幼少期を日本で過ごし現在は韓国に帰国している男女4名(帰国子女、4名とも臨界期以前に日本語を習得)の言語資料に見られる日本語と韓国語のコードㆍスイッチング(以下、CS)の形態とその特徴を明らかにすることを目的とする。また、1999年度の調査結果(一次調査)と2008年度の調査結果(二次調査)を比較し、言語使用環境の変化がいかに影響を与えるのかについて考察する。まず一次調査では、CSの形態的特徴として、文構造を崩さない範囲で切り替えを行っていることが分かった。また一次調査と二次調査の結果をを比べると、CSの形態には大きな変化が見られなかったが、文中切り替えの中での品詞の切り替えの割合には変化が見られた。品詞ごとに言語が切り替えられる割合よりも句や節を単位に切り替える割合の方が高くなっているのである。これは被験者たちの言語環境の変化が影響を与えたのだと思われる。約9年の時間の経過に伴い、バイリンガルとの接触の機会が減り、家庭内の使用言語は韓国語へと変化した。また、二言語能力の自己評価においても被験者ごとに変化があった。二言語能力は常に変化する動的なものである。日本語使用の機会が減少するに従い、二言語能力にも変化があらわれたのである。したがって、今回の追跡調査で明らかになった帰国子女たちのCSの特徴には、言語使用環境の変化にともなう二言語能力および二言語使用の変化が影響を与えていると結論付けることができる。

2

5,800원

本稿は、日ㆍ韓両国語の「食の文化にまつわる慣用表現」を、比較言語文化学の立場から考察したものである。まず、「食の文化にまつわる慣用表現」を集め、素材別に分類し、全体の様相を見た。次に、民族の文化とアイデンティティと深く関わりを持つ「米」による、「主食部」の「飯/밥」「餅/떡」を用いた慣用表現を、意味とイメージの両面から対照考察し、派生の程度と感情表現との関連を検討した。その結果、次のようなことが明らかになった。慣用表現の出現数からみると、日ㆍ韓両語ともに「水/물」を用いた表現が一番多かった。そして、韓国語の場合、「물」の次に「밥」と「야채」を用いた表現が発達していた。日本語の「飯」は「밥」ほど活発に使われていないし、「味」や「茶」「魚類」を素材にした表現は韓国語より発達していた。「飯/밥」を用いた表現の共通点は、喜怒哀楽の感情と結び付く表現がほとんどなく、「生計」や「苦しい境遇」それから「茶飯事」のように「ありふれたこと」などを意味する表現が共通することと、「飯/밥」ともにマイナス的イメージの表現が多いことである。相違点は、日本語の場合は「すし詰め」や「手弁当」(無報酬で働く、自腹)のように、日本の食文化の比喩から生まれた表現が多いのに対し、韓国語の場合は、長い間食べるための環境が厳しかったことから「밥」が「扱いやすい相手」や「馬鹿」を意味したり、「밥그릇」「철밥통」のように「仕事(飯の種)をめぐる争いや終身雇用を皮肉ぽく表す」といった極端的なマイナスイメージまで派生している。「餅/떡」を用いた表現も喜怒哀楽の感情を表す表現はほとんど無い。意味の面での共通点は、「餅/떡」は「めでたいもの、とても大切なもの」であったため、「餅代/떡값」という表現は「ボーナス」や「賄賂」の意味に派生した点と、「思いがけない幸運」や「欲しいけれど手の届かないものや人」を表す点である。「餅/떡」をイメージの面からみると、「餅」は「専門家」を表す「餅は餅屋」などプラスのイメージを持つ表現が主であるが、韓国語の「떡」は「찰떡궁합」のような一部の表現を除けば、「떡 주무르듯 하다, 떡 되다」などの「マイナス的イメージ」がもっとも強かった。すなわち、「밥, 떡」のほうがもっともマイナス的イメージが強く、派生も活発であることが分かった。

3

6,100원

本研究では欧米の言語を中心とする先進的な外国語教育方法論を検討した成果に基づき、KWICコンコーダンス活用学習の課程を韓国国内の大学における教育環境に合わせ、修正してから日本語教育に実現した教育実践を報告する。授業終了時に質問紙を利用して学習者の評価と感想を書いてもらった結果、特に、用例検索をするに先立って、語彙知識を母語と目標言語の双方向から活性化させることにより学習意欲を高揚する結果となった。今回報告した気づき先行型学習は、研究としてはスタート段階に過ぎないが、コミュニカティーブㆍアプローチ(Communicative Approach)やオーディオリンガルㆍメソッド(Audiolingual mathod)のような外国語教育理論をあまり検討しないで受け入れることにより長い間見過ごしてきた母語の役割を双方向の観点から見直すことができ、今後後続研究が期待される。KWICコンコーダンスを利用した学習活動はまだ教育現場では馴染みのない方法論ではあるが、学習レベルが高くなりにつれ基本語彙だけでは解決できない場面が多く生ずることが予測され、今後さらに需要が高まることが考えられる。今回の報告では学習者の生の声が聞け、そこから得られた評価と感想を質的に検討することにより、量的研究では求められない、詳細がわかった。今後は客観的データによる量的研究の成果を蓄積し、体系的に検討してゆきたい。

4

복합조사「として」와 「で/に」의 치환에 대하여

남영복

한국일본언어문화학회 일본언어문화 제20집 2011.12 pp.79-99

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5,700원

本稿では「として」の基本的な意味ㆍ用法を6つのタイプに分類し、各タイプごとに「として」と「で/に」の置き換えの可能性および可能な場合の意味的、統語的な条件などについて考察してみた。「として」の基本的な意味ㆍ用法を6つのタイプは次のようである。 ① AはBとして(BがAの資格、立場、名目などを表す場合) ② AはBをCとして(CがBの資格、立場、名目、役割などを表す場合)③ AはBとして(BがAに対する判斷の観点を表す場合)④ AはBとして(BがAに対する評價基盤としての觀點を表す場合) ⑤ AはBとして(BがAの行爲を規定する觀點を表す場合)⑥ Aとして(Aが行爲の主體を表す場合)「として」と「で/に」の置き換えが可能な条件は各タイプごとに複雑な様相を呈し、全体的に適用できる一括的な条件を見つけ出すことはできなかった。各タイプごとの考察の結果は本稿の結論のところを参照されたい。

5

日韓両言語のヴォイスに関する中間言語

朴良順

한국일본언어문화학회 일본언어문화 제20집 2011.12 pp.101-121

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5,700원

本研究では、日本語と韓国語のヴォイスの使用実態および習得過程で見られる中間言語のメカニズム、特に「非用」の問題を取り上げた。データとしては、日本で日常生活を行う日韓バイリンガル韓国人中高生に同じ4つの内容をそれぞれ日本語ㆍ韓国語で語ってもらったインタビューデータを用いた。日本語の受身表現と使役表現の生成能力は、滞日期間の差によってその能力の差が見られた。すなわち、使用するかどうかに注目すると、滞日期間の長い生徒の場合には、多く使われていた。しかし、韓国語の場合、話題によってその語彙の使用が決められているため、滞日期間の差が見られず、ほとんど使用頻度は変わらなかった。日本語のヴォイスの習得においては、滞日期間による5つのグループのうち、一番短いグループは「非用」と「使用」によるエラーがともに見られるが、それ以上のグループになると、「非用」と「使用」によるエラーはそれほど目立たなかったため、ヴォイスの形式は習得が進んでいることがわかる。しかし、滞日期間の長いグループでも、ヴォイスのエラーが見られるのは、視点を置き、それによって述語を変えようとする意識が弱いため、談話の展開において「非用」が幅広く見られた。「やりもらい表現」は、日本語と韓国語ともに生産性が高く、共通する部分がある。そのため、「てくれる」を使わなかったエラーが両言語ともに見られた。また、日本語の3項形式と韓国語の2項形式によるエラーは、4名の生徒による個別的なエラーと見られ、全体的な傾向ではなかった。さらに、日本語の「もらう」の影響により、韓国語でのエラーは、「相手」を動作主とし「∼てくれる」だけに限った表現に比べ、日本語での話し手の立場で語ろうとする場合、「∼もらう」を導入しやすくなる傾向が見られた。

6

5,400원

本稿では日本語の受動態構造と韓国語の対応関係を通して、受動態構文に現れる普遍性と個別性を示した。本稿の考察結果は次のようにまとめられる。Ⅰ. 日本語の直接受動態構文は韓国語の受動態構文と準受動態構文に対応して現れる。Ⅱ. 日本語の直接受動態構文とそれと対応する韓国語の受動態構文の間には、形態、統語、意味の全ての側面において特別な相違は見られない。Ⅲ. 日本語の直接受動態構文とそれと対応する韓国語として準受動態構文が現れるのは異なる動詞述語の相違によるものであるが、それにも係わらず直接受動態構文と準受動態構文という異なる二つの構文が対応関係を成すのは、受動態構文に現れる移行の方向性が両構文において共通しているからである。Ⅳ. 日本語の間接受動態構文は動詞述語が自動詞の場合と他動詞の場合に区別することができ、それぞれに対応して現れる韓国語は統語的には能動文であるが意味的には受動の意味を表す他動詞構文と、三項名詞は取れず二項名詞しか取れない他動詞構文である。Ⅴ. Ⅳにおいて、日本語の間接受動態構文に対して韓国語の他動詞構文が現れる理由は、Ⅲで指摘していたように、異なる動詞述語によるものでありが、それにも係わらず異なる二つの構文がそれぞれ対応関係を持つのは、受動態構文に現れる移行の方向性が両言語における各構文において共通して現れているからである。以上のような考察結果から、日本語の受動態構文とそれと対応して現れる韓国語の構文が異なるのは各構文における動詞述語の相違によるものであることがわかる。また、このような両言語における個別性にも係わらず両言語において異なる構文同士が対応関係を持つのは受動態構文に現れる移行という普遍的な特徴の方向性が各構文において共通しているからだと考えられる。

7

6,100원

本研究では韓国語学習者の韓国、韓国人、韓国語に対するイメージとその変化について明らかにするために、2008年6月(前期調査)と2008年12月(後期調査)に初級韓国語学習者を対象として、前期調査でイメージ調査を、後期調査でイメージ変化調査を行った。また、前期調査の結果で因子分析を行い、韓国、韓国人、韓国語に対するイメージの因子を明らかにし、イメージ因子を基準として、前期調査と後期調査の結果を分析した。その結果、第一に、前期調査では、韓国語学習者は韓国、韓国人、韓国語に対して、概ね好意的で肯定的なイメージをもっていることがわかった。しかし、その一方で、韓国についてはやや内向きであるイメージを持ち、さらに、韓国人に対しては、親近感を抱かせるようなイメージをもっていないようであるということがわかった。第二に、後期調査から、韓国語学習者の韓国、韓国人、韓国語に対するイメージは学習によって変化していることがわかった。これらの変化は肯定的なものが多く、韓国語学習によって、韓国語学習者はもともと持っていた肯定的なイメージを強化していることがわかった。さらに、新たに肯定的で親近感のあるイメージを持つようにもなることも明らかにされた。このことから、韓国語を学ぶことによって、韓国語に対するイメージだけでなく、韓国、韓国人に対してのイメージも良くなることがわかった。

8

6,000원

本稿は、韓国における中学校の教科書である『中学校生活日本語こんにちは』(1冊、1種)と『中学校生活日本語』(1冊、8種)にみられる文化(日常生活に関する文化、伝統文化、大衆文化)および言語行動(意思疎通基本表現と関連した日本人の言語行動)に関する記載について調査した結果を報告したものである。調査の結果をみると、文化においても言語行動においても、各々の教科書によって扱っている内容が異なっていることが明らかになった。全体的には、文化については、衣、食、住に関する記述や年中行事に関する記述が多く、伝統芸能に関する記述が少ないことが明らかになった。これは『中学校生活日本語』の文化としては、「生活」に役立つ文化的内容がより重要視されるべきである、という考え方があるのかもしれない。また、言語行動の調査結果をみると、文化の場合より、さらに各々の教科書で記載項目にばらつきがあることが明らかになった。比較的記述が多かった項目は、挨拶、呼称、謝罪、感謝、拒絶(辞退)、あいずち等であった。文化および言語行動に関する教育は、より円滑なコミュニケーションをするために欠かせないものであると思われるが、特に言語行動については、どのような内容を、どのくらい、どのように指導すべきか、定まっていないのが現状であると思われる。このような現状を踏まえ、教科書にどのような項目をどの程度記載すべきか、について十分な検討がなされる必要があると思われる。また、文化教育は日本語教師の役割の一つでもある。今後日本語教師には言語教育とともに体系的な文化教育ができることが求められると思われる。

9

6,000원

本稿ではやりもらい構文になる以前の元になる動詞構文との関係から動作対象(人)への働きかけ性を持たない動詞、すなわり自動詞と物および事柄への働きかけの他動詞構文がやりもらい構文ではどのような「やりもらい」構文を成しており、それぞれの「やりもらい」構文が内部でどのようなヴォイスの構造を成しているかという側面から考察した。その結果、動作対象を持たない動詞構文、すなわち自動詞構文、モノゴトへの働きかけの他動詞構文、動作対象と利益対象が異る構文はやりもらい構文になった時、元になる文に存在していない人物が利益対象として加わることになる。その利益対象は授与態では「ノタメニ」で示される人物であり、受益態ではガ格で示される人物である。受益態において新たに加わる利益対象ガ格の人物は動作対象に行為をするように依頼する人物での性格も合わせ持っていた。また動作対象を持たない自動詞と詞と人への働きかけ性と持たないモノゴトへの働きかけの他動詞は使役動詞となって人への働きかけ性を獲得し、使役やりもらい構文としてやりもらい構文となることができた。このタイプのやりもらい構文には「直接の使役やりもらい」構文と「持ち主の使役やりもらい」構文があった。さらに第三者のやりもらい構文と使役やりもらい構文のヴォイス性を考察すると第三者のやりもらい構文のヴォイス性は「派生」の構造を持ち、使役やりもらい構文のヴォイス性は「対立」の構造を持っていることが分かった。

10

雨森芳州著『交隣提醒』의 語學的 硏究

오미영

한국일본언어문화학회 일본언어문화 제20집 2011.12 pp.215-231

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5,100원

本稿は、雨森芳州著『交隣提醒(1728年成立。以下、本書)について、日本語学の立場から考察したものである。まず、本書では「共」「間敷」「度」のような宛字が、22種、259例使われている。しかしこれらは本書だけのものではなく、本書以前や以後にもよく使用されたものである。ただ宛字の使用が多いのは、本書が公文書であるがゆえに漢字が多用されたため生じた結果であると考えられる。第二に、本書は漢字と仮名を混用して書かれた、日本語語順の文章である。それにも関わらず返讀を要するものが1033例確認される。特に「不」「可」「被」を含む語句が中心である。これは一次的には候文と関連があり、ひいては變體漢文と関連がある。本書は構文の接続と文末の終止に「候」が使われる一種の候文であるが、變體漢文ではなく日本語文である。本書に返讀を要する例が多いことは庭訓往来のような典型的な候文である「變體漢文である候文」の要素が現れたものと判断される。また、その用例が敬語表現とともに使用された例が多いことにも注目すべきであろう。第三に、本書では漢語の右側、あるいは左側に振り仮名を記入したところが78例確認される。振り仮名の内容が朝鮮語の場合が7例で、日本語の場合、右側に記入された例が63例、左右共に記入されたものが8例ある。朝鮮語や外来語で読まれる語を明示するために、あるいは比較的難読の四字漢語に振り仮名を記入したものについては、その記入の意図が納得できるが、振り仮名の記入が必要不可欠であったとは考えられない例も少なくない。第四に、漢文に訓點が記入されたもの22例について考察した。朝鮮の文書や中国の古典から引用したものが7例、強調のためと考えられるものが5例あり、残りの9例はどちらにも属しないものである。用例を内容の面から見ると、「正当な根拠あるいは正しい指針の提示」および「前の内容の要約」が多い。これは漢文の持つ簡潔性や権威を通じて文体上の集中と伝達の効果を意図したものと考えられる。

11

遇攝의 中古漢語 音韻變化 再考 - 日本吳音 字音直讀資料를 통해서 -

李京哲, 宋在漢

한국일본언어문화학회 일본언어문화 제20집 2011.12 pp.233-251

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5,400원

本稿では、日本吳音の字音直読資料を中心に、遇攝の模韻、魚韻、虞韻の中古音の音韻構造及び、その変化について考察した。その結果をまとめると次にようである。1)模韻は、吳音資料で-o形が主流を成しているが、-u形が多数混在している。よって、その中古音に対する解釈も、o、u、uoなど学者によって様々である。uoとみる見解は模韻が開口韻であるので妥当でなく、oとかuとしてみるのもo形とu形との混在を説明できない。2)模韻は、「主母音+韻尾」という構造を持つ二重母音のʌuであったと判断される。模韻をʌuとして再構すると、吳音における-o形と-u形の混在、万葉仮名のオ段及びウ段の混用、唐代以後uへの変化などの緒問題が解決できる。3)中古音の多音字から判断すると、模韻は、上古音ɑkから入聲韻尾kが脱落して南北朝期に陰聲韻ɑuとなり、それが高母音化してʌuになったと考えられる。4)開口3等魚韻は、主母音ʌが介音iㆍïと韻尾uという高母音の間に挟まれ、高母音化がさらに進んでïʌu/iʌuからïəu/iəuに変化したものと考えられる。5)開口3等虞韻は、魚韻と違って、ïʌu/iʌuから主母音ʌが介音iㆍïと韻尾uに吸収されïu/iuに変化したものと考えられる。

12

「なんか」の変化と文法化

李妙煕

한국일본언어문화학회 일본언어문화 제20집 2011.12 pp.253-272

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5,500원

本研究では、「なんか」の用法の変化と多機能化、つまり、語彙的機能から取り立て助詞の機能と談話機能を持つようになったものを「文法化」の現象として位置づけ、これらの機能がどのようにかかわって変化してきたかを考察してみた。「なんか」は「なにか」の転として、『日本書紀から「不特定のものを指示する」という代名詞的用法として使われており、江戸時代には「ある事物や事態を指定しえないまま、しかるべき言葉を模索する気持」ということを表す用法になり、このような用法から発展して副詞的用法になったと考えられる。明治以後、副詞的用法は急激に増え、現代まで使われている。また、室町末期には「かなんか」「やなんか」の形として例示の用法として使われているが、明治以後、「か」や「や」が落ちて取り立て助詞化し、話し手の低い評価を表す用法も持つようになって使われている。特に、「なんか」は近代において会話文中での比率が92%であり、このような口頭語的性格から談話機能が生まれ会話で頻繁に使われていると思われる。以上のように、取り立て助詞「なんか」は、その語源には代名詞「なんか」が持つ「不確定な指定」の意味が含まれており、そこから、主観化して話し手の低い評価を表す文法機能を持つ取り立て助詞になったと考えられる。また、統語的にも格助詞との上ㆍ下接が自由にできるなど、明治中期には、完全に取り立て助詞化して文法化したことが観察できた。なお、「なんか」は副詞的用法と談話機能の用法の二つの用法を持つ場合もあり、このことは談話機能の用法が副詞的用法から文法化したことになる証拠であると思われる。用例からみると、談話機能の「なんか」は、昭和初期、会話文で生まれ副詞の影響をうけ意味の漂泊化をへることで文法化したことがわかった。文法化は歴史的言語研究において重要な方法の一つになっており、現代語文法でも、「文法化」に注目を集まるようになっているから、その重要性はますます高まっていくことであろう。今後、複雑で変遷の多い取り立て助詞について、現代語文法での文法化の方法を適用して考察すれば体系的研究に役に立つ所が多いと思う。

13

4,900원

本稿はアスペクト形式として「てある」形は継続相で、結果の継続を表わしているということを基本的意味と扱っている。そのうえ、派生的意味としてパーフェクトを扱うことにしている。今までの研究では「てある」形の用法を捉えるとき、「ガ∼てある」と「ヲ∼てある」という二つの統語的形式が意味を使い分ける重要な要素になるとみなした。「ヲ∼てある」」形の場合は、動作主が現在化して行為指向的で、前に実現した行為が引き続いて効力を持っているということからパーフェクトを認めている。しかし、「ガ∼てある」形の場合は、対象指向的で結果相を表しており、実現されている行為が引き続いて効力を持っているかについての研究はあまり行われていないのである。本稿では「ガ∼てある」形もパーフェクトの用法を表わしている場合がしばしばあるというのを明らかにした。その根拠として、まず動詞の語彙的特徴として動作主体の意志性があげられる。二番目は前後のテクストを通じて動作主の存在を捉えることができる点である。三番目は前後のテクストとの関係で捉えられる二つの時間軸の存在があげられるのである。このような三つの点から見てみると「ガ∼てある」形もじゅうぶんパーフェクトの用法として説明できたと考えられる。

14

5,200원

日本との交流が活発化し、相互への関心が高まってきた今日、質の高い教育を実施できる母語話者日本語教師(以下母語話者教師を呼ぶ)が求められている。本研究の最終目標は、今後重点的に養成すべき教師の能力を発見し、質の高い教師の養成に必要な教育の方法を探ることである。そのために、韓国における質の高い母語話者教師とはどのような教師であるのかを明らかにする必要がある。その手段として、韓国の大学、特に四年制大学に注目し、韓国人教師、学習者さらに母語話者教師自身に調査を行い、包括的なデータによって韓国の4年制大学が求める母語話者教師の役割及び能力を分析していく。本稿では、韓国の教育環境に適合した質問紙を使用し、韓国の四年制大学に所属する専任以上の韓国人教師及び母語話者教師を対象に調査を行った結果を分析した。調査では、韓国人教師は、母語話者教師にどのような役割や能力を求めるか、母語話者教師は、大学にどのような役割や能力を求められていると認識しているか、についてそれぞれ回答してもらい、その結果を因子分析にかけた。その結果、韓国人教師から抽出された因子は、「授業実践能力」「融和的人格及び授業以外の役割」の「専門性」「韓国文化への理解及び周辺業務遂行能力」「韓国語能力」で、母語話者教師から抽出された因子は、「授業実践能力」「融和的人格」「韓国語能力及び熟練性」「韓国及び大学文化への理解能力」「授業以外の役割」であった。抽出された因子を比較すると、若干の相違が見られたものの、韓国人教師と母語話者教師との認識に大きな差はなく、韓国人教師の求める母語話者教師像を、母語話者教師は概ね認識していることが明らかとなった。

15

複合名詞の意味と形態 -日本語と韓国語を中心に-

洪榮珠

한국일본언어문화학회 일본언어문화 제20집 2011.12 pp.307-324

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5,200원

本稿では、日本語と韓国語の複合名詞を対象に、前項名詞と後項名詞の意味関係を分析すると共に、その意味関係が複合名詞内部の連結要素の想定可能性とどのように連動しているのかについて考察を行った。分析の際は、複合名詞を構成する二つの名詞からなる連体修飾文を基底に想定できるという構文論的立場から意味役割という道具立てを用いて前項名詞と後項名詞の意味関係を分析した。その結果、日本語と韓国語の複合名詞の意味関係には異同が見られ、「場所-対象」「手段-対象」「対象-場所」の意味関係が他と比べ割りと生産的な結合関係であるという点で共通している一方、「動作主-場所」「時間-動作主」「場所-動作主」「所有者-対象」の意味関係は韓国語の複合名詞にのみ現われるという点で異なっていることが分かった。また、このような意味役割関係と複合名詞内部における名詞連結要素の生起如何との相関性については、連結要素の介在可能性により韓国語の複合名詞が二つのタイプに分かれる背景に前項名詞と後項名詞の意味役割関係が緊密に関係していることを示した。

16

5,700원

江戸時代に刊行された噺本には、男の主人公が登場する内容の既存の話を、女が登場する話に変えたりするケースがよく見受けられる。そして、こうした例は西鶴の小説をはじめとする日本の近世小説作品からも簡単に見ることができる。筆者は、近世以前の日本の仏教説話集に見える、男女の対を意識して類話を並べる分類配列意識がこれとよく似ていることに注目、両者の関連性を検討した結果、噺本や西鶴小説などに見える「男女変容」の方法が、実は仏教説話集に見える「男女対応」の分類配列意識から生まれたのではないかという結論に至った。また、日本の仏教説話集に多大な影響を及ぼした中国の仏教経典にもこうした意識が見られることから、その影響を日本の仏教説話集が受け、それがさらに近世初期の噺本や西鶴の小説などに見える「男女変容」の方法にまで繋がったものと推定している。次に、噺本や西鶴の小説などに見えるこうした「男女変容」の方法は、日本文化の代表的な表現技法の一つである「やつし」の主要な方法要素としてその花を咲かせたと筆者は見ている。すなわち、近世初期の噺本に見える初期の「男女変容」の方法は、西鶴の小説を通してさらに洗練され、その後、一風などの小説作家によって「やつし」の方法要素としてだんだん定着したのではないかと考えるわけである。近世初期の噺本と西鶴小説に見える「男女変容」の方法の起源を探っていくと、われわれは近世以前の仏教説話集の男女の対を意識した分類配列意識に辿りつくことができ、そこにに中国仏典の影響が見え隠れする。また、西鶴以降の近世の小説作品を眺望すると、今度は「男女変容」の方法が「やつし」の重要な方法要素として定着していく姿を見るわけである。「やつし」という日本文化の表現技法を解く一つのキーワードとして近世文学作品の中に見える「男女変容」の方法に注目する必要がここにあると言えよう。

17

透谷의 文明論으로 본 現代日本의 危機

矢野尊義

한국일본언어문화학회 일본언어문화 제20집 2011.12 pp.349-366

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5,200원

本稿は現代日本の危機的狀況と明治維新の狀況が類似していることに着目し、現代日本の危機的狀況を脫するためにはどうすればよいのかを考えるためにも明治維新の危機的狀況を生きた透谷の文明論を再度檢討する。著名な透谷硏究者たちが19世紀に書いた透谷の文明論が、現代日本の危機的狀況を豫言していると語っている。事實、透谷の文明論は、あたかも今日の日本の問題のありかを指摘しているかのように現代日本の危機的問題を言い当てている。しかし、事實はその逆であろう。透谷は19世紀という日本が近代化を始めた時期にあまりにも早く日本の將來を見拔いてしまったのである。つまり、鎖國日本は列强の開國要求に対して早急に判斷を下し、自らの力で開國を成しとげ、植民地の危機を脫した。しかしその後、物質的發達のみがあたかも進步であるかのように考えた日本の明治政府と多くの人々は、物質文明だけを文明であるかの如く科學技術の輸入に沒頭した。その結果、物質文明以外の學問である哲學や文學等、精神的學問をないがしろにした。それは日本の進步を止める結果となった。進步が精神的希望とともになされるものだからである。精神文明を失った日本は、その後、戰爭の道をまっしぐらに進むこととなる。當時、人々が國家を超えた世界というものを知り、國民を超えた人類というものを知っていたなら歷史の結果は異なっていたことであろう。現在日本は、もはや物質文明だけでは生きていけない狀況となっている。今こそ日本は、世界に先駆けて國家や民族という槪念を超えて地球を住みかとして生きて行く時である。

18

5,800원

This study is about the relationship between the trend of individualism and anarchism that was prevalent in Japan in the 1910s. It examined how the trend of individualism of that time affected the establishment process of Japanese anarchism theory centering on Modern Thought that Osugi Sakae took the initiative in publishing and in the process or after that, what the aspect of mutual arguments with other thoughts was like. Osugi inherited Direct Action of Syndicalisme by Kotoku Shusui, while actively accepted thoughts of individualistic anarchist, Max Stirner and George Palante including a philosopher of life, Bergson or Guyau and established characteristic anarchism theory and movement theory based on 'the freedom of the individual'. Osugi formalized the combination of individual revolution and social revolution based on individual initiative and spontaneity as "social individualism" and he led the literary circles' movement in the second half of the Taisho times with this anarchism theory. Like this, the value of 'the freedom of the individual', one of the most important characteristics of anarchism theory shows most characteristically from Osgi.

19

4,900원

本稿では共同体の道徳イデオロギーとの関わりを踏まえながら、謡曲『山姥及び浄瑠璃『嫗山姥における山姥のアイデンティティの有様とその変容について考察した。昔話、あるいは口承文芸に現れる援助者並び破壊者という山姥の二重のイメージはそれぞれ大地母神と鬼子母神という女性原型が文芸化されたものであると思われる。これとは異なって作家によって創られたいわゆる制度権文芸に描かれた山姥の姿からは女性に対する社会の価値観や幻想などが窺えると言えるだろう。謡曲『山姥における山姥はグロテスクな老婆の姿ではあるものの社会の道徳イデオロギーとは切り放された自由奔放な存在であり、「人間にあらず」という言葉からも分かるように脱世間で宗教的な昇華を目指す存在である。一方、浄瑠璃『嫗山姥における山姥は老婆ではなく、若い女性で出産と子育てといった母性の役割を果たす人物として描かれている。つまり彼女は夫の遺言を守り、息子の立身出世のために山姥としての生き方を強いられた結果、山姥という鬼畜性を有するようになったわけである。このような彼女の生き方こそ家父長制イデオロギーに基づいた望ましい列女像に他ならない。要するに山姥のメタファーは社会が掲げる女性像と連動しながら中世から近世にかけて性差の超越と仏教的な解脱から性差の固守と儒教的なイデオロギーの完成へと変わっていったものと見られる。

20

切支丹の棄教と「おぎん」(芥川龍之介)

曺紗玉

한국일본언어문화학회 일본언어문화 제20집 2011.12 pp.405-426

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本稿では、江戸幕府の切支丹迫害に至る道程と元和ㆍ寛永の大殉教を調べ、その時代とキリシタン迫害が芥川龍之介の「おぎん」にどう描かれているかを考えてきた。芥川の注目していたのは、キリシタンの中でも庶民であった。キリシタン大名や武士たちは、全国的な禁教政策が進められるにつれて、封建的身分を保つために棄教したのに対して、殉教者が多く出たのは庶民の中からであった。秀吉、家康が自己神格化絶対化を強めていくことにより、絶対唯一の神を信じ、絶対的封建政権の神格や異教との妥協を許さないキリスト教との衝突や対決は不可避なことであった。キリシタンたちが法の秩序を無視し、幕府の命令で死刑された者のためにミサを捧げたことは、儒教倫理に基づいた封建秩序を否定することであった。幕藩の命令に従わず、火焙りや斬首にも身動きもしない庶民の殉教者がたくさん出てくることに恐れを感じた徳川幕府は、キリシタン宗門の存在を許容できなかったのである。こういう時代背景の中で、芥川龍之介は、東西文明の衝突、儒教に基づいた根幹や神道、仏教という宗教文化を揺るがすと言われたキリスト教に注目し、「肉親の情愛」のために棄教する庶民たちの物語「おぎん」を書いた。芥川龍之介の「おぎん」は、元和、寛永の大殉教の時代を背景にしている。この時代には、公式的に四千人以上が殉教した。おぎんのような信仰を持っていた人なら、喜んで殉教の道を選ぶ時代であった。しかし、そこで「おぎん」というころびの物語を、芥川が書いた理由は何であろうか。おぎんは、キリシタンで拷問にも耐えている。孫七は、養父母として、育ての肉親の情を切ることができなく、ころびとなる。確かに日本の精神文化を描いている。しかしおぎんの棄教で終わりであるとは見えない。「杜子春」では、もし、杜子春が地獄で苦しんでいる両親を見ながらも、仙人の命令に従って、「お母さん」と呼ばなかったとしたら、彼を殺そうとしたと言いながら、彼に人間として生きていける生活を与えた。「おぎん」でもころびで終るのではなく、「涙の谷」を歩いていくおぎんに与えられるであろう、新しい可能性が提示されていると考えられる。

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전후 일본 항공기산업의 전개와 현황

최우영

한국일본언어문화학회 일본언어문화 제20집 2011.12 pp.427-451

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In this paper, I will introduce brief history and industrial structure of japanese aircraft industry, and analyze the reasons of recent restructuring of it. After WWⅡ, japanese aircraft industry was revived by efforts of government and industry's enterprises. Japanese government has had a strong will to rebuild the aircraft industry because they believed this industry will take a important role to develop not only the economy of Japan but also the power of 'technology'. This belief made japanese government had a strong influence on the aircraft industry in Japan, and even now. After Japan achieved economic development, even though japanese aircraft industry became to be known as having a high level technologies, it has faced serious problems since 1990's, because of the end of cold war, economic shrinking, fast development of new entrants such as China, and political relationship of her most important ally, U.S.A. But after 2000, realizing that situation will be worse if nothing changed, japan's aircraft industry and government started the restructuring of aircraft industry. Restructuring has been carried out not only in the industry, but also in the whole national decision making system including government organization such as METI and R&D organization, JAXA. Almost at the same time, a few new plans, including MRJ Project, were built to revitalize the aircraft industry. Watching the process of these tries might be necessary to understand, analyze, and anticipate japan and world's future aircraft industry, which this paper is aiming at.

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5,500원

大江健三郎の文学におけるキーワードと言えば「戦後民主主義」をはじめ「谷間の村」、「森の力」、「魂の救済」などが挙げられる。しかし、その中でも「ヴァルネラビリティー(vulnerability)」、あるいは「ヴァルネラブル(vulnerable))」と呼ばれる用語も大江文学において重要な意味を持っていると考えられる。「ヴァルネラビリティー(vulnerability)」とは「脆弱性」や「弱点」を意味する言葉で、より具体的に言えば「傷付きやすいㆍ非難されやすいㆍ攻撃を受けやすいこと」を表す。大江はこの言葉を文化人類学を通して接することになったと思われるが、それをどのように理解し、自分の文学世界に受け入れたのかを究明するのが本論文の目的である。特に大江は1980年代に入ってから「vulnerability」という言葉を頻繁に使うようになったが、その背景には中年男性としての脆弱性を体験したとが起因していると思われる。それで彼は作品の中で中年男性の脆弱性を描く一方、それと同時に主体的に生きていく女性の強靭な生命力に注目した。また子供たちの成長や独立を眺めながら、彼らが「新しい人」として次の世界を作っていくことを心から期待するようになった。このような女性や子供だちをめぐる描き方は、男性の視点を中心に展開されてきたこれまでの小説とは違うものであった。大江は障害を持って生まれた息子の誕生をきっかけに「共生」を主張しつづけてきた。しかし彼の言った共生は、保護者あるいは責任者としての言葉であり、結局それは権威を持つ者としての発言であったと考えられる。そのような意味で大江は中年男性としての「vulnerability」を実感してから、新たな「共生」への世界を広げるようになったと思われる。

 
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