切支丹の棄教と「おぎん」(芥川龍之介)
절지단の기교と「おぎん」(개천룡지개)"
표지보기
발행기관
한국일본언어문화학회 바로가기
간행물
일본언어문화
바로가기
통권
제20집 (2011.12)바로가기
페이지
pp.405-426
저자
曺紗玉
언어
일본어(JPN)
URL
https://www.earticle.net/Article/A280424 복사
※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.
저자의 다른 논문
5,800원
구매하기
인용하기
관심논문등록
원문정보
초록
일본어
本稿では、江戸幕府の切支丹迫害に至る道程と元和ㆍ寛永の大殉教を調べ、その時代とキリシタン迫害が芥川龍之介の「おぎん」にどう描かれているかを考えてきた。芥川の注目していたのは、キリシタンの中でも庶民であった。キリシタン大名や武士たちは、全国的な禁教政策が進められるにつれて、封建的身分を保つために棄教したのに対して、殉教者が多く出たのは庶民の中からであった。秀吉、家康が自己神格化絶対化を強めていくことにより、絶対唯一の神を信じ、絶対的封建政権の神格や異教との妥協を許さないキリスト教との衝突や対決は不可避なことであった。キリシタンたちが法の秩序を無視し、幕府の命令で死刑された者のためにミサを捧げたことは、儒教倫理に基づいた封建秩序を否定することであった。幕藩の命令に従わず、火焙りや斬首にも身動きもしない庶民の殉教者がたくさん出てくることに恐れを感じた徳川幕府は、キリシタン宗門の存在を許容できなかったのである。こういう時代背景の中で、芥川龍之介は、東西文明の衝突、儒教に基づいた根幹や神道、仏教という宗教文化を揺るがすと言われたキリスト教に注目し、「肉親の情愛」のために棄教する庶民たちの物語「おぎん」を書いた。芥川龍之介の「おぎん」は、元和、寛永の大殉教の時代を背景にしている。この時代には、公式的に四千人以上が殉教した。おぎんのような信仰を持っていた人なら、喜んで殉教の道を選ぶ時代であった。しかし、そこで「おぎん」というころびの物語を、芥川が書いた理由は何であろうか。おぎんは、キリシタンで拷問にも耐えている。孫七は、養父母として、育ての肉親の情を切ることができなく、ころびとなる。確かに日本の精神文化を描いている。しかしおぎんの棄教で終わりであるとは見えない。「杜子春」では、もし、杜子春が地獄で苦しんでいる両親を見ながらも、仙人の命令に従って、「お母さん」と呼ばなかったとしたら、彼を殺そうとしたと言いながら、彼に人間として生きていける生活を与えた。「おぎん」でもころびで終るのではなく、「涙の谷」を歩いていくおぎんに与えられるであろう、新しい可能性が提示されていると考えられる。
목차
1. はじめに 2. 元和の大殉教 3. 寛永の「島原の乱」 4. 「おぎん」における殉教の心 5. 「流人となれるえわの子供」の心 6. おわりに [參考文獻] <要旨>
키워드
元和の大殉教
島原の乱
芥川龍之介
おぎん
切支丹の棄教
저자
曺紗玉 [ 조사옥 | 仁川大学校 日語日文学科 敎授, 日本文学 ]
간행물 정보
발행기관
발행기관명
한국일본언어문화학회
[Japanese Language & Culture Association of Korea]
설립연도 2001
분야 인문학>일본어와문학
소개 본 학회는 일본어학 및 일본문학은 물론, 일본의 정치, 경제, 문화, 사회 등의 일본학 전반에 걸친 연구 및 일본의 언어, 문화를 매체로 한 한국과의 비교 연구를 대상으로 하고 있다. 본 학회는 회원들에게 연구 발표 및 정보 교환의 기회를 부여하고 나아가 한국에서의 바람직한 일본 연구 자세를 확립하는 것을 주된 목표로 하고 있다.
간행물
표지보기
관심저널 등록
간행물명
일본언어문화
[Journal of japanese Language and Culture]
간기 계간
pISSN 1598-9585
수록기간 2002~2025
등재여부 KCI 등재
십진분류 KDC 730 DDC 495
이 권호 내 다른 논문 / 일본언어문화 제20집
함께 이용한 논문 이 논문을 다운로드한 분들이 이용한 다른 논문입니다.
0 개의 논문이 장바구니에 담겼습니다.
장바구니로 이동
계속해서 검색하기