2025 (48)
2024 (51)
2023 (49)
2022 (46)
2021 (50)
2020 (54)
2019 (59)
2018 (54)
2017 (59)
2016 (71)
2015 (82)
2014 (99)
2013 (84)
2012 (88)
2011 (87)
2010 (61)
2009 (39)
2008 (33)
2007 (40)
2006 (44)
2005 (31)
2004 (31)
2003 (35)
2002 (10)
4,900원
本稿は「との」の意味機能を考察し、前接する連体修飾節の中で連体述語の形式に焦点を当てる。そして連体述語と「との」との構文構造を探ってから、最後に連体述語と「との」の意味的な制限または特徴について明らかにすることを目的にする。まず、「との」の意味機能は「という」より制限されて主に「引用」に限られ、「単なるつなぎ」の意味機能は不在なので根本的に省略することができない。更に「との」は直前に置かれる修飾部の構文として原則上に節を受けなければならないが、節である修飾部の形は極めて自由な形態である。直接話法や間接話法などが来られる上、名詞述語の場合は構文構造には比較的自由である。つまり、修飾部+「との」+主名詞の構文構造の中で、修飾部に属している連体述語の語尾である「だ」は省略しても意味上では機能していて元の形であったのと解釈が変わらないのである。ところが、{修飾部+「との」+主名詞}の構文構造で修飾部の連体述語の語尾の「だ」を揃えたとしても、すべて文として成り立っているわけではない。形態としては自由とはいうものの、修飾部全体の命題内容は節として纏まらないと成立できない。そして、最後に「との」の前に置かれる連体述語の内、形容詞の連体述語の場合、属性を表す特性形容詞が主に使われると言えよう。
物を借りる場面における日本語指導の観点 -韓国人中上級日本語学習者の誤用の傾向から-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제17집 2010.10 pp.43-60
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5,200원
本稿では借りる場面における韓国人中上級日本語学習者の言語行動の誤用を分析し、その誤用の傾向から以下のような日本語指導の観点を提示した。借りる場面を取り上げて日本語を指導する場合は、(1) 「借りる」と「貸す」の意味のみならず、韓国語との相違を踏まえた「貸す+てくれる/くださる」の練習も十分行わなければならない。(2) 「借りる人、貸す人、所有の移動の明示」を好む日本人、「借りる人⋅貸す人⋅所有の移動の非明示」を好む韓国人、それぞれの行動パターンを理解してもらった上、三項動詞で表現する練習が必要である。(3) 補助動詞としての授受表現の習得が重要である。(4)日本語の「∼よう/ましょう」は、韓国語の「∼자/ㅂ시다」と違って、「借りる人」は使わず、「貸す人」のみが使う表現であることをはっきり認識させる。 (5) 談話の構成や丁寧度の調節を十分練習させる必要がある。本稿で提示した日本語指導の観点は、具体的な場面で現れた学習者の誤用の傾向から見い出しているという点で意義があると思う。今後はこのような観点を生かして、韓国人中上級日本語学習者向けのテキスト作成や教室活動モデル作りに取り組んでいきたいと思う。
4,900원
明治期における朝鮮語会話書には、日本語に精通した韓国人の手によるものも存するが、日本人により編述されたものがほとんどで、その日本語は初期のものであるほど当時の口語を即時に反映するとは言いにくい面もあるが、会話書であるため口頭語を基調としており、近代語の成立と発展過程が窺える。そこで、本稿では、明治期朝鮮語会話書における日本語の性格の一端を窺い知るため、その変化や入れ替えが激しいといわれれる程度の甚だしさを表わす副詞を中心に調べ、どのようなものが用いられており、またどのような推移をみせるかについて考察した。 明治期朝鮮語会話書に用いられた程度副詞の異なり語数は総42語で、明治全期期を通じて、朝鮮語会話書によく使われる上位の10つは、「大層⋅余リ⋅大変⋅マコトニ⋅甚ダ⋅非常ニ⋅ヒドク⋅実ニ⋅一番⋅全ク」で全体の75%に及ぶ。その時代に推移による変化をみてみると、江戸時代からの系統を受け継いだ会話書が多い明治10年代の会話書に用いられた甚だしさを表わす副詞には保守的な傾向が窺え、明治20年代の以降のものから使用した種類は多くないものの、口語性のある新たな程度副詞に入れ替えられている。明治30年代と明治40年代の会話書には、当時他の口語文で使用した程度副詞とほぼ一致しているなど、明治後期朝鮮語会話書の口語資料としての価値を物語っている。明治期朝鮮語会話書において明治20年代になりその勢力を伸ばしていく「大層」と「大変」の被修飾語について検討した結果、「大層」と「大変」が修飾する語の性質も様々で、動詞は外的運動⋅内的情態⋅事態を、形容詞や形容動詞の場合に感情⋅属性⋅評価⋅頻度にいたるまで品詞や品詞の性質に関係なく幅広い使用例がみられ、あまり制約がないことから多く使用されたものものとみられる。今後は、それらの語の意味⋅用法の差異の分別は極めて複雑微妙でそれを明確に説明しわけることはとても困難ではあるが、朝鮮語会話書のハングルを対訳を手掛かりにし、さらに調査範囲を大正、昭和期まで拡大して検討してみたい。
이탈리아 대학생의 일본 및 일본어에 대한 의식 -로마대학을 중심으로-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제17집 2010.10 pp.77-98
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5,800원
本稿はイタリアの大学生の日本語学習者と非学習者を対象に実施したアンケートの結果に基づいて「日本と日本語に対する意識」について考察することにする。国際交流基金が行った2006年の海外日本語教育機関調査の結果によると、世界中で2,979,820名が日本語を学習していると報告されている。その中でイタリア5,074名と集計されている。まずイタリアの日本語教育の全般的な状況を簡単に調べ、日本⋅日本語に対する意識をともに考察することに目的がある。より正確に考察するため実態調査を通じて得た資料に基づき、イタリア(ローマ大)の大学生が持つ「外国語に対する意識」、「将来性がある外国語」、「日本語の学習目的」、「日本語に対するイメージ」、「日本のイメージ」、「日本に対する情報入手」、「日本の関心分野」について考察する。日本語を学習する目的には国や教育段階によって様々な理由があるが、最も大きい理由には、日本が「経済大国」であるという点が挙げられるであろう。しかし次第に日本は「経済大国」を超えて「文化国家」として海外に発信しつつある。このようなところに焦点を当て、日本は世界各国に単純に日本語だけではなく日本の様々な分野を通じて日本に対するイメージ向上と日本語学習意欲を鼓吹しようとしているのが分かる。そこでイタリアの日本語教育がどのような方法で実施されているかを考察し、日本についての情報入手と関連した調査項目に対する回答を通じて日本語教育が日本語と同時に日本、日本人、日本文化などの発信とともにどのように教育されているかについて見てみた。またこのような教育がどれくらいの効果があるのか、そして日本という国の理解とイメージにどのような影響を及ぼしているかについても考察する切っ掛けになると考える。
집단지성으로서의 CMC 언어에 관한 고찰 -한국과 일본의 CMC 커뮤니티에서의 집단어의 형성과정-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제17집 2010.10 pp.99-121
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6,000원
本研究は、コンピューターを媒介にしたコミュニケーション環境で使用されるCMC言語を「集団における特定の規範によって形成し、CMC全体に拡散した新しい規範言語」という観点からCMC集団語の形成過程とその背景について考察したものである。具体的には韓国と日本の匿名掲示板サイト(「ディーシーインサイド」、「2ちゃんねる」)のテキスト資料を対象にして、(1)CMCでの集団とは何なのか、一般社会における集団とはどのような関係にあるのか、(2)このような集団が言語の形成と拡散にどのような形で関係しているのか、(3)CMC集団語と既存の集団語との共通点や相違点はどのようなものがあるのか、(4)集団による知識体系としてのCMC言語にどのような言語社会的意味があるのかについて分析⋅考察を行った。その結果、次のようなことが分かった。(1)CMC集団語は、インターネットメディアの登場とともにメディアの特性に相応したCMC言語を背景に発生し、既存社会の秩序で逸脱した集団による下位文化として位置する。(2)CMC集団語は、CMCメディアの特性を最大で活用しているコミュニティーグループによって発展し、集合知として言語形成に関与している。(3)CMC集団語は、先導的なコミュニティーから他コミュニティーへ拡散し、言語の形成と使用においてこの先導的なコミュニティーが言語権力として作用している。その結果、CMC集団語は、CMCにおける新しい言語規範としてある言語形式を再規範化する。
5,800원
本研究では、日本語と韓国語の初対面二者間の会話における「中途終了型発話」の使用様相をポライトネスの観点から考察した。 以下に、その結果を改めて簡単にまとめる。まず、「中途終了型発話」は、日本人の初対面二者間会話において全体発話の15. 9%、韓国人の初対面二者間会話においては11.8%使われており、「中途終了型発話」は韓国語に比べ、日本語に使用割合が高かった。日本語における「中途終了型発話」は、韓国語に比べ、より積極的なコミュニケーション機能を果たしていることが窺えるところである。また、「中途終了型発話」は日韓両言語ともに年上、年下、同年齢の順と年齢の差のある対話相手に使用割合が高かった。言語形式によって人間の上下関係を表わすことを避けるために、年上や年下の年齢差のある対話相手に対して、対話相手への待遇態度が明確ではない「中途終了型発話」の使用が多くなったと解釈できる。年上に対しては心理的な距離感を縮めるためのポジティブ⋅ポライトネス⋅ストラテジーとして、年下に対しては尊重するという配慮を表わすネガティブ⋅ポライトネス⋅ストラテジーとしての機能も果たしているとも考えられる。一方、日韓両言語ともに、発話文末においては対話相手への明確な待遇態度を示すスピーチレベルが同定できない「中途終了型発話」の使用によって対話相手への待遇態度をぼかしているが、日本語では発話文全体のスピーチレベルの使用において、対話相手との年齢差から生じる上下関係を反映した言語使用をしており、韓国語では「尊敬語等」の使用において、年齢という上下関係を反映していた。このように日韓両言語ともに「中途終了型発話」を使用によって、対話相手との年齢差から生じる上下関係または対話相手への待遇態度を明示してはいないが、非明示的には対話相手への配慮を表わそうとしているのである。さらに、日本語の場合、韓国語に比べ、「中途終了型発話」とヘッジとの共起率も高く、より方略的に使われていることが窺えた。以上のような「中途終了型発話」は日韓両言語とも具体的な使用様相は異なっていても、対人配慮を表わしながら、円滑なコミュニケーションを行うための一種のポライトネス⋅ストラテジーとして機能していると言えよう。
5,500원
本稿は日本中世キリシタン文献にあらわれる「神」の呼称を対象としてその語義変化について考察したものである。室町時代の語彙を考察するにあたって、その時代の言語を知る上で特別に重要な文献はキリシタン関係の資料である。キリシタン資料は十六世紀後半から十七世紀前半にかけて來日したカトリック宣教師たちが、キリスト教の布教のため作成したもので、そのなかには日本語をローマ字で記した文献がある。その中には天草版イソポ物語平家物語金句集等をはじめとして、当時のキリシタン文学の代表的であるぎやどぺかどるこんてむつすむん地等の宗教書がある。これらの資料は狂言などの文献とともに当時の日本語を知る為の貴重な資料である。このように中世から近世の転換期に生まれたキリシタン文学は、キリスト教の伝道を目的として書かれたものであり、従ってその主題や素材はキリスト教的な色彩を帯びている。本稿ではキリシタン語彙の中で、キリシタンにとって重要である「神」の呼称の語彙を対象として、その意味と特質、語義変化を歴史的に考察した。「神」の呼称の語彙はキリシタンの資料の中でどのような意味に用いられたか、中世のキリシタン宗教書と日本文学書と比べどういう相違が見られるのか、この語の類義語はどうであるか、などについて考察した。又、キリシタンの資料の中で特殊な意味用法に使われた用語の「神(でうす)」の呼称についてその語義変化をキリシタン資料を中心に考察して明らかにした。又、キリシタン用語の「神(でうす)」の呼称の意味の変遷にはその類義語である「天」との関係もあって、その系譜についても考察した。教育の場においては語義変化を大体的にまとめて語彙史の研究と日本語の教育に利用すれば効果をあげると思われる。しかし、まだ体系的研究には残された課題が多くて「聖書」との対照は今後も引き続き研究して行く考えである。
5,800원
本稿は、類似した意味⋅用法を持つ様態「そうだ」と「ようだ」の違いを考察したものである。両形式は類似した意味⋅用法を持つために日本語学習者にとっては習得が困難であることが予想される。類似した複数の形式を学習する際は、目に見える形で違いを学習者に提示することが有用であるが、本稿では様態「そうだ」と「ようだ」を学習者に提示する際に有効と思われる両形式の違いや特徴を明らかにしようとした。その手法として、前接する語と意味⋅用法の関係が他のモダリティ形式より比較的まとめられている様態「そうだ」を中心に据え「ようだ」と置き換えてみて意味の通る文になるかどうかを検討した。小説の中に現れた「そうだ」を「ようだ」に置き換え、意味の通る自然な文になる場合、または非文になる場合にどのような特徴があるかを考察する。中畠(1991)は動詞に接続して推測⋅予測を表す「そうだ」において、条件節が「そうだ」よりも前に現れた場合は「ようだ」に置き換えられず、動詞に「ている」が接続して状態性を帯びた場合は「ようだ」に置き換えられるといった指摘をしているが、本稿でもこれらを支持する結果が得られた。また、話者の勘を表すような「そうだ」は「ようだ」で置き換えられないという文脈的な特徴も得られた。この点は菊地(2000)の主張にも重なってくる。他にも、形容詞に接続する「そうだ」は属性形容詞に接続すると推測の意味を表しやすく「ようだ」に置き換えられる場合が多いのに対し、感情形容詞に接続すると様態の意味を表しやすく「ようだ」には置き換えにくいといった特徴があった。本稿で得られたこれらの特徴が「そうだ」と「ようだ」の教授法の開発にもつなげられるものと考える。
6,000원
This study, based on the Language Planning Theory, aims to understand the degree of discriminating words referring to the disabled and to suggest alternative expressions which could replace these words. First of all, the degree of discrimination by a non-handicapped person when using an address term toward the disabled was clarified. Second, a comparison was made between the attitude of subjects in their 50’s and university students toward the disabled. Finally, alternative expressions were presented and the preference degree according to the patterns of the alternative expressions was made clear. The results are the following: (1) The use of vulgar terms with a strong discriminating meaning was largely observed. Most of them refer to intellectual capacity, and university students are more sensitive to such vocabulary. (2) The alternative expressions for discriminatory words can be classified in two types: current terms of disability and paraphrase. (3) Paraphrase was chosen as a strategy to avoid the use of the sound 'chiche',which may have multiple meanings. That is, it might be a result of the resistance to use the word "physical" with the meaning of "delay".
5,400원
本稿は、日本語の構文成分としての漢語の性格を明らかにしたいという問題意識から出発している。漢語は、本来外国語である中国語が日本語に流入し、現代日本語においては欠かせない要素となっている。本稿では構文成分としての機能の特徴をとらえやすいという理由で、文中で助辞がついて(助辞がつかない場合も含め)副用語として機能するものを考察対象とした。データは、明治の言文一致期以降明治末期までの近現代語形成期の各ジャンルから漢語副用語を採集したものを使った。南不二男の先行研究を参考に漢語副用語を描叙、判断、提出、表出の四つの段階における現れ方によって分類し、さらに文の重層的な構造のどの層ではたらくかによって<事柄の副用語><状況の副用語><陳述の副用語>に三分類した。その結果、そこに含まれる漢語副用語の出現形態の傾向から、事柄的な性格のものから陳述的な性格が強いものになるにつれて∅型の出現が多くなる傾向が指摘される。すなわち、直接述語の用言を修飾する<事柄の副用語>には、漢語副用語と述語との緊密さを表す標識として助辞ニ、ト⋅トシテを伴った出現形態のものが多いが、直接述語にかからないで事柄全体または命題全体にかかる<状況の副用語><陳述の副用語>は助辞が脱落した∅型が多い傾向がみられた。
5,200원
本稿では意志の有無⋅強弱という性質が言語現象の用法を究明するのに働いていることを説明した。意志とは目的のはっきりした考えやあることをしたいという思いなどを表す語であり、文における意志性とは動作主と話し手との関わりあいにより、その意味をはっきりさせる役割をする。話し手の意志によって使い分けられる文は、数多くあるが本稿では、格助詞や接続助詞の意志性が文においてどのように働いているのかについて調べた。なお、文における意志性を、ある対象や動作に対する話し手の焦点であるという観点から考察し、この話し手の焦点によって話し手は文らしさに関わる格助詞や接続助詞を選ぶという原理について考察した。文における意志の意味に関與するのは話し手、聞き手、動作主などが挙げられるが、各々の関係のあり方をより綿密に探ることによって真の意志の意味や性格を究明することができると考える。なお、本稿で、聞き手である話し手が求めている対象のことを「焦点(focus)」であるという立場から見て論を展開した結果、次のようなことが分かった。話し手の求める認識の対象に、「が」格が使われていないのは、話し手の強い意志が動作主体になる聞き手に対する配慮に欠けるように作用しかねないためである。なお主格を表わす「の」は前の名詞と後ろの名詞との密接な関係を表わすため、話し手はいつも二種類の名詞を同じ性質のものか関係のある性質として眺めている。その際、話し手は当然、話し手の焦点がぼけるような要素を除去し、結果的に「の」格と修飾される名詞句が離れすぎる場合は「の」格が使えない。話し手は格助詞が含まれている名詞句に対する強い認識を持つ場合、述語を省略することもある。さらに、格助詞が変わる場合、もとの文になかった他動詞が出現する現象は格助詞が文のムードに積極的に関わっているためでもある。接続助詞においても後件に話し手の意志の有無⋅強弱という性質によって使い分けられており、これが一つの事柄を表すのに複数の表現を存在するように働いている。なお動詞と補助動詞が表す意志性には主語や話し手の動作主に対する認識が深く関わっていることを明らかにした。
「がな」「かな」の呼応関係について -室町末期から江戸初期までの口語資料を中心に-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제17집 2010.10 pp.249-269
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この論文は希望の「がな」と詠嘆の「かな」の呼応関係を室町末期から江戸初期までの口語資料の中で、どのような形で現れるのか、また、文の中ではどのような働きするかについて調べてみた。「もがな」から変遷した希望の「がな」の場合、中世以降には、「願はくは」「あはれ」などの第1グループと呼応して多く使われるようになる。しかし、これは中世末期になると、希望の意として使われる例は少なくなり、そのかわりに不定を表わす語句に付いて、その表現のあり方について、漠然と不定のままにおく意を表わす副助詞的用法の「がな」が多くなることが明らかになった。また、中古から使われはじめた詠嘆の「かな」の場合、中世末期になると、「ああ」「あはれ」「さて(も)」などの第2グループが先行して使われる例が多く見られる。この詠嘆の「かな」は室町末期から江戸初期までの口語資料の中では、多様な用例が見られるし、また, 会話文に多く見られることが分かった。なお、詠嘆の「かな」が第2グループと呼応して使われる用例は会話文に多く見られることが明らかになった。さらに、清⋅濁音の表示が明確ではない捷解新語では、この第1グループとの呼応と第2グループとの呼応が希望の「がな」と詠嘆の「かな」との区別の手がかりになることが分かった。
日本語のシテと韓国語の고/어서に関する 対照考察-<時間的継起>を中心に-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제17집 2010.10 pp.271-290
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5,500원
日本語の接続助詞シテの用法には、二つの動作の先行⋅後続の関係を表す<継起>用法があり、これは前件と後件に因果性のある<起因的継起>と、因果性のない単なる時間的関係を表す<時間的継起>に分類できるが、両用法は連続したところがあり、従来の研究では明確な規定がなされていない。そこでまず本稿では、文脈上「∼したために」に置き換えられないシテを<時間的継起>と規定し、先行研究の意味用法を再分類した。この<時間的継起>のシテは韓国語のいくつかの形式に対応され、中でも従属的連結語尾とされる-고と-어서に一般的に対応される。-고は特定の意味機能を持たず前件と後件を形式的に繋げただけであり、一方-어서はそれ自体に<原因⋅理由>を表す機能があるとされてきた。そのため、意味用法としては、前件と後件が単に時間的な先後関係を表す<時間的継起>のシテと対応する韓国語接続詞は-고であって、-어서は対応し難いと考えられる。そこで本稿では、どのような条件下で<時間的継起>を表すシテに-어서が対応するのかを観察し、また<時間的継起>を表すシテと-고の違いは何かを探ることで、<時間的継起>を表すシテのもつ意味的様相を考察した。その結果、<時間的継起>を表すシテは、<時間的前後関係>と<制約的前後関係>に下位分類できることが分かった。前者は、時間的順序だけを表し、前件の動作が後件の動作に何ら影響を与えない順次関係である。後者は、前件の動作が後件の動作の前提となり、前件が後件を手段⋅方法や場所、時間などで制約する継起関係である。-어서は<制約的前後関係>にのみ対応するのが確認できた。つまり、-어서にはそれ自体に<原因⋅理由>を表す機能があるため、因果性のない順次的な<時間的前後関係>のシテとは対応できないことが明らかになった。-고は<時間的前後関係>と<制約的前後関係>共に対応し、<時間的継起>を表すシテと同じ意味用法をもつように見られる。しかし、-고は特定の意味機能を持たず、前件と後件の事態をただ羅列したにすぎないが、一方シテは完了を表す「つ」に由来し、シテ自体に前件の動作を終了し、後件の動作に移すといった順次的機能をもつ点で-고とは意義が異なる。
일본어 경어의 청자배려에 대한 사적고찰 -捷解新語의 문말형식을 중심으로-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제17집 2010.10 pp.291-313
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6,000원
本稿は中世末期から近世にかけての日本語の様子がわかる捷解新語の原刊本、改修本、重刊本の文末形式を調査⋅分析し日本語の敬語の丁寧語化の過程と聞き手に対する話し手の配慮との関連などを明らかにすることを研究目的としている。捷解新語の対話体の文末形式は「非丁寧体」「まるする」「ござる」の三つにわけられる。原刊本では非丁寧体の例がもっとも多く見られ、「まるする」「ござる」の順に表れた。「非丁寧体」の敬語の使い方は古代敬語に属するもので、話し手は敬意の対象に対しての敬語の使い方を考えることが優先的で、聞き手に対しては配慮に入れてないのである。原刊本では尊敬語の動詞の命令形がたくさん使われるなど古代敬語の一面が見られる。一方、「まるする」は尊敬語についた例はごく僅かで、謙譲語にもついているが普通語にもっとも多くついている。崇める対象に対してはっきりと敬語使用の目的を持つ尊敬語は他の要素の付加なしで使われるが、一般的な事柄や自分のことを話すときはことばを丁寧にするため「まする」や「ござる」を付加し聞き手への配慮を表している。つまり、聞き手を意識した聞き手敬語としての用法は中世末にすでにあったが、当時敬語意識がはっきりしている尊敬語には及ばなかったものと見られる。改修本では「非丁寧体」は減少するが、「まする」は大幅に増えている。また、「まする」は尊敬語、謙譲語など多様な動詞の種類に付くようになり本来の敬意の対象とは別に聞き手への配慮による現代語の聞き手敬語に近づいたことがわかる。なお、「まする」は「ござる」と結合して現代語の聞き手敬語「ございます」の源流の形になっている。なお、重刊本ではより現代語の用法に近づき聞き手配慮による敬語の使い方の広がりを見せている。重刊本では現代語の「ます」の形態も終止形として登場している。このように捷解新語の原刊本、改修本、重刊本の対話体における文末形式の分析によると、中世末期にはすでに尊敬語などのあがめるべき相手に対する敬意以外に聞き手への配慮も敬語要因になっていたし、近世では聞き手への配慮がもっと重んじられるようになっていることがわかった。しかし、聞き手敬語としての「まする」は形態も用法も現代語に類似しているが、まだその変化の過渡期にあるといえよう。
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アスペクト的に継続性を表わす現在形を持たない日本語において、ル形とタ形またはテイル形を使い分けながら、現在を表わす法則を明らかにすることは、意義のあることと思われる。発話時現在を表わす条件として、継続性を持つ動詞が発話時をまたぐ場合は、ル形で発話時現在のことを表わすことができる。現在パーフェクトは、派生的に結果ㆍ効力のアスペクト的継続性を持って、現在の状態をも表わせる。しかしどこまでも過去の動きであることが原則である。またムード的に見る場合、タ形はある出来事に対する、話し手の期待度ㆍ関心度を強調し、喜びや驚きのニュアンスをかもし出すことができる。ル形を使うと、関心度がうすれ偶発的で、どこか他人事のような表現になってしまう。始発の局面を捉えた「ランナー、走りました」は、完成相過去でもなく、現在パーフェクトでもない、現在を表わす特別な表現と言える。しかしその局面が、発話者にとって関心の焦点を持つ動きに限られる。動作と同時の発話とは、出来事時点、設定時点、発話時点の三つの時点が同時になる発話である。また設定時点の位置を、開始限界(=動作の成立)に設けるか、終了限界(=結果の成立)に設けるかにより、二通りの発話が可能である。また、それにはその動きを目撃していることが前提条件になる。予測できない動きの場合はその動きがどんな動きなのか、識別する段階を経なければならない。しかしそれは人間の脳においては瞬時になされるがゆえ、出来事時点と設定時点が「密着」しているとした。結果が予測できる場合、発話の始めだけが同時に発話できるのであり、言い終わるときにはすでにその動作は終わっている。ものの変化や動作が動き出したのを、まるごと目撃した時の発話は、その変化や動きと同時の発話ができる。この場合、動作の成立後そのまま継続している動作をも、タ形で表わすことができる。これはテイル形を使うと時制の逆転のため、タ形でしか表わせないのではないかと思われるが、その直後に限られる。またこれをムード的に捉えると、ル形を使うと余裕のある動きや、鈍い動きを表わし、タ形を使うと、鋭く速い動きや決定的瞬間などの臨場感を、効果的に表わすことができることがわかる。発話時の動きを捉えた発話は、その動きが瞬間的か継続的か、また発話者にとって関心がどこにあるかにより、タ形を使うかル形を使うかが決定づけられていることを見た。現在を表わす発話は、ほんのまたたく間の発話であるにもかかわらず、厳格なテンスとムードの法則性によって発話されている。
5,200원
以上台湾における啄木短歌の受容について考察した。台湾では主に教育に従事する教員たちを対象にする雑誌臺灣教育は、明治三十四年七月に台湾教育会によって創刊された。拙論はこの臺灣教育に掲載された三行書き短歌を検証することを通して、啄木の短歌はどのように受け入れられているかについて整理して見た。我が国では、1945年に終戦を迎えてから、すでに60年以上経っている今日でも、台湾各地において「台北歌壇」を始め「台南短歌会」、「コスモス短歌会」台湾支部会、「歌林短歌学会」台湾支部会などの短歌活動が続いており、毎週或は隔週で勉強会を開いているようである。植民地台湾においては、植民地の教育政策は総督府の同化政策の一環として重要視されていた。植民地時代にきちんとした日本教育を受けた人にとって、日本語は母語のようなものだと言えよう。彼らのような戦前生まれの親日派は日本語族とも呼ばれている。終戦後生まれの世代から見れば、過去殖民地とされた国の立場で、日本の短歌に親しむことは、非常に理解し難い現象だと言わざるを得ない。ただし、周知のように、歌人としての啄木は、三行書きの生活派短歌で注目され、彼の代表歌集一握の砂と悲しき玩具は当時の歌壇に大きな反響を呼んだ。啄木はすでにグローバル作家として研究されつつ、国際的に愛好されている。啄木の短歌が植民地時代より愛唱されて、よく手本とされているようであることには、啄木研究者としては嬉しい限りである。台湾における日本語時代の啄木三行書き短歌の受容について、今後も調べ続けて行きたいと思う。
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相撲における女人禁制とは女性が土俵に上がれないことをいう。現在、本場所中の大相撲の土俵に女性は上がれないことになっている。これまで授賞という目的で元内閣官房長官森山真弓氏と、元大阪府知事太田房枝氏が土俵に上がることを相撲協会に願い出たが、女性という理由ですべて断られた。相撲協会によれる、「大相撲は神事に基づき、女性は土俵に上げないという伝統がある。その伝統を貫きたい」ということであった。神道思想に基づく女人禁制は、女性を不浄なるものと定め、神の宿る聖域と決めた場所に女性の立ち入りを禁ずることをいう。相撲においては土俵を聖域として、女性の立ち入りを禁じているのである。しかし、相撲の歴史を紐解く限り、この女人禁制の伝統の存在を確認することができない。むしろ、史書に初めて相撲の文字が登場するのは采女による女相撲の記録であり、土俵がつくられる江戸時代以降においても女相撲などが盛んに行われるなど、女性たちは土俵に上がっていたのである。つまり、1300年以上もの相撲の歴史の中で、女人禁制の伝統といわれるものは、比較的最近になって成立したものであることがわかる。明治以降近代化が進む中、相撲は裸踊りをする野蛮なものであり、文明開化の邪魔となるという視線を浴びせかけられ、存続の危機に置かれていた。しかし、天覧相撲をきっかけに、明治政府との結び付きを深め、日本固有の伝統文化を温存している相撲、日本を代表する神聖なる国技相撲として生まれ変わり、復活を遂げる。その過程で醜悪で俗物的なものをすべて切り捨てる必要があった。すなわち女相撲や合併相撲において、女性の裸体を見せ物にする相撲の醜態さは、神聖なる国技相撲にとって大きな妨げとなった。女性を何とか土俵から追い出さねばならない。女性を土俵に上げないための大義名分が必要となった。そこで持ち出してきたのが女人禁制という伝統であった。つまり、土俵における女人禁制は、相撲の国技化の過程で相撲の生き残りという目的のために付け加えられた神道の伝統であるといえる。
다무라 도시코(田村俊子)의 『그녀의 생활(彼女の生活)』론 -젠더의 한계를 중심으로-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제17집 2010.10 pp.377-395
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本稿はジェンダーの限界を中心に田村俊子の彼女の生活を考察した論である。田村俊子として小説創作の盛り上がった時期である1915年、中央公論に発表した彼女の生活はほぼ百年が過ぎて「フェミニズムのバイブル」と呼ばれながら再評価されることになったのである。田村俊子はこの作品を通じて、男女相克の問題を性差から探そうとした努力が見つけられる。性差を、特に現実感のある家事分担に焦点を合わせたのは今日、よく取り上げられているジェンダーの問題と関わりがあると言える。彼女の生活は表面的にはジェンダー克服が可能のように見えるが、社会風潮のため、伝統的なジェンダー構造から避けられないのである。優子のジェンダー克服過程が、かえってジェンダー構造が強化されるような形として終わる。優子の生活は百年前あたりの女性の生活だけではないことが、現代日本と韓国の女性のジェンダー構造を把握する過程でわかった。これは女性の労働現実が韓国と日本の場合が類似している調査結果によるのである。このような結果は両国の類似な結婚制度とジェンダー意識を持っている社会的な認識によるものと言える。田村俊子は彼女の生活で、時⋅空間を越えて性偏見と呼ばれるジェンダーバイアスという問題が解決されていない現実を物語っている。
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本稿で扱う太宰治の「魚服記」という作品は、1933年3月海豹という同人誌創刊号に発表された作家の文壇デビュー作である。この作品は太宰が上京後、金銭援助やアジト提供などの手助けをしていた左翼関連運動から断ち切ったのち、初めて発表した作品として、多くの注目を浴びてきた。それまでの太宰の習作とは異なって、生家津島家を含む私生活は直接描かれておらず、「魚服記」には父親と二人で山奥に暮らすスワという15歳の少女の姿が描かれているが、このスワの生き方は父親による受動的なものであったと読み取ることができる。しかし、スワは学生の死を目撃することで、生きる意味を考えるようになり、父親や自らの生き方について疑問を抱くようになる。この疑問はスワと父親の間に亀裂を生じさせ、その後のある日、父親によって犯されたスワは滝に投身し、小鮒と化した(自らは大蛇であると考えているが)スワは滝壺へ向かうのである。このスワと父親との一連の出来事で最も注目すべきことは、投身や滝壺行きがスワにどのような意味をもたらすのかであろう。これらを解明するために、スワにとっての父親の存在意義や、スワの変身が描かれる四章のもつ特殊性、三郎とスワの変身場面の比較を通して、スワの意識の中に変身や死というイメージが内包されていたのかについて考察を試みた。この考察の結果として、父親によって受動的な生涯を送ってきたスワの滝壺行きは、物語の中で唯一彼女の選択による行動として描かれており、これは、自らを大蛇として認識しているスワの「救い」として読み解くことができるということが指摘できよう。
女楽の色彩表現に表われた六条院の秩序 -「赤」⋅「青」⋅「高麗」の象徴性に着目して-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제17집 2010.10 pp.415-433
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平安時代は色彩の黄金時代と称せられているし、源氏物語の作者は人物造形や場面の創作に色彩を効果的に利用している。本稿は、常識を踏まえつつも、同時にそれから離脱する、紫式部の色彩利用の態度を意識しながら女楽における色彩が象徴する意味について考察を試みたものである。女楽は絵合場面と同様に天徳四年内裏歌合を準拠とするゆえ、赤青の対比が著しい。ところが、絵合が内裏で行われた源氏側と藤原氏側との対決という、いわば公の行事であったのに対して、女楽は六条院という光源氏の私邸で行われた私的な行事であった点において差異がある。それゆえ、物語は晴れの場における赤青の対比と身分との関係を踏まえながらも、それにバリエーションを施すことが可能であったのではないかと思われる。歌合などの両方が競い合う場面における赤と青は、赤=左=尊/青=右=卑の意識により区別される。ところが、このような色彩観念は、女楽においては、赤色が身分の高い方に与えられる色である通念が当てはまらない点、赤色の濃淡により、紫の上⋅明石の女御⋅女三の宮の人格と成熟さに差等を設けている点、また、明石の御方に関わる青色が彼女の美質を際立たせている点において変容を見せる。さらに、青とともに用いられている「高麗」の表現は、異文化を体現する明石の御方の優れた資質を表象し、女楽における青色が出自の身分の劣位を表す色に限らないことを裏付けている。即ち、女楽には青に対する赤の優位を認めながらも出自による身分差を無効にし、且つ、青が劣位のイメージから掛け離れて人物の美質を示すなど、新たな色彩感覚が発揮されていると言えよう。身分と符合しない赤青の色彩観念は、衣配りの場面においてもその一端を窺うことができる。ただし、衣配り場面における赤青の対照が、光源氏により領導される六条院の秩序と女君らの個性の象徴であるのに対して、女楽の赤青は女三の宮を迎えることにより浮彫りになった出自の身分と六条院独自の秩序との齟齬を見せている点において異なっていると思われる。
시가 나오야(志賀直哉)문학의 배반하는 여성 -「아라기누(荒絹)」와 「사사키의 경우(佐々木の場合)」를 중심으로-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제17집 2010.10 pp.435-450
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志賀直哉の文学に現れる裏切る女性のイメージの形成は作家の実母が若い時に死んでしまったことと、成就しなかった恋愛経験によるものと思われる。母の早死と恋愛への挫折の喪失感が裏切りへのとつながっている。女性の態度は純粋で、恋人に誠意を持っている姿を見せてくれる。「荒絹」の荒絹は自分の本業である機織に精を出しながら、主人公阿陀仁との恋の成就を願っている。阿陀仁も同じく荒絹の立場を十分理解し、会えないことも我慢している。「佐々木の場合」も佐々木の恋人の富は佐々木の意見によく従い、お嬢さんの子守としてその役割をこなしている。佐々木は阿陀仁とは違って弱くて胆力のない富の行動に非難したりもするが、富のなすこと自体を非難してはいない。両カップルは二人の関係に確信を持っているかのように思っている。言葉としてだけではあるが、男女は約束の関係を結んでいるからである。しかし、「荒絹」では山に住んでいる女神の存在、「佐々木の場合」では小さいお嬢さんの介入で二人の間にトラブルが起こる。女神はあえて挑むことの出来ない存在であるから、しゃがれた声の男性として姿を変え男女の前に出て来る。お嬢さんは火傷をしてしまい、富の総ての関心を佐々木から奪ってしまう。しゃがれた声の男もお嬢さんも大した存在のようには見えないが、呪いの存在として一気に関心を取ってしまうのである。その呪いの結果、荒絹は蜘蛛に変身させられ、富はお尻の肉をお嬢さんにとってあげる身体的変化をさせられるのである。身体的変化だけによるものではないが、結局、体の変形という形で恋人との別れが決まるようになるパータンは同じである。身体の変化の過程を経て、男性から離れ裏切る女性が一時の志賀の作品に現れる。数的に多くはないが、作家自身恋愛に対する恐れと挫折感を覚える時期に登場した興味深い女性像といえる。
メディア上の<韓国>イメージ -日本における韓流ドラマの消費の観点から-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제17집 2010.10 pp.451-466
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「韓流」は日本における韓国イメージが「政治的関心」から「文化的関心」へと変わる第二の展開の構築とも言える。(ソウルオリンピックを前後とする)第一の展開の時は、直接に韓国を訪れた日本人観光客がメディアの代わりに韓国情報の情報源として活躍したとすると、「韓流」ブームによってテレビ局から放映される多数の韓国ドラマが彼らにとって新たな情報源として働くようになったのである。ドラマ上に映し出された<韓国>イメージは、「どこかに置き忘れてしまった何かを思い起こす気持ち、古くさいところもあるけれどそれがどこか懐かしく今の日本にない良さがある、親を大事にする気持ち、目上の人に対する礼儀、祖先をうやまう気持ち、など今の日本人が忘れかけているものを、思い出させてくれるもの」である。都会の生活を描いている「日本のトレンディドラマとの類似性」から「いま⋅ここ」を生きている日本との時間的な距離を感じずに見られる。一方、韓国的特徴をよく反映した「親を大事にする気持ち」、「目上の人に対する礼儀」、「祖先をうやまう気持ち」、それから「家族をキーワードとするホームドラマ」的な要素は見ている人に心地よさを感じらせる。今の日本には見えなくなってしまったその思いを「韓流」ドラマから再び見つけることができるという安心感が、難攻不落とも思われていた日本に「韓流」ブームの形成および持続を可能とさせたのであろう。ところが、そういう流れの中で築き上げられた(「韓流」ドラマ上の)<韓国>イメージは果たして現実の韓国社会のそのものであると言えるのだろうか。「韓流」ドラマを通して提供された<韓国>イメージは韓国でありながら韓国ではない。何かを特に強調し、その意味で「美化された韓国像」になっている。近年作られた諸ドラマの企画意図には「現代人が忘れかけている時代」や「家族」という共通のキーワードを喚起させるものが含まれている。視聴者の共感を第一に考えて制作するドラマがあえてそういう内容を取り扱っているということは、理想的な<韓国>イメージを懐かしむきざしが韓国社会にも既にあったということである。
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本稿では、本格的に律令国家が成立される、平安時代に入る間際、9世紀の日本霊異記の考察を通じて、当時「律令」と「実情」との乖離、婚姻制とジェンダーとの関係、さらに古代社会における女性性、ジェンダー構造を探ってみた。3.1では、平安初期、女性自ら性関係を開始する用例をあげてみた。女性側から気に入る男性を選択し、求婚して結婚にいたる説話から、当時女性の男性に対する選択権、求婚権がある程度、認められていたと考える。3.2では、日本霊異記(下巻18話)と同じ説話の今昔物語集の言説(巻14第26話)との比較により、霊異記当時には存在していなかった、女性の持つべき性道徳観念が今昔物語集ころには芽生え始めていたことが分かる。霊異記には男女平等な性関係や女性の性欲に対する自由な考え方が存在していたのである。3.3では、従来、関口裕子氏と服藤早苗氏らが「妻方居住婚」として挙げておられる用例の再考察を通して、夫婦同居の例ではなく、当時もっとも一般的であった「通い婚」の用例として相応しいという論を展開した。3.4では、平安初期の女性の男性との権力構造、ジェンダーを解明するために、女性の財産所有権に関する事項を探ってみた。さらに、上巻31話の説話によると、婿への財産譲渡は妻である女性の意思がもっとも重要であり、女性の家の財産が夫に分配される場合は、もっぱら妻の女性の意思によって左右されたと考えられる。3.5においては、女性の生産労働及び男女の労働分担に関して考察してみたが、平安初期においても、労働の能率性を上げるため、幼少の時から男女性別による性的分業が分けられていた。本稿を通して、男性との性愛関係における女性の選択権⋅意思決定権、求婚権など、結婚に対する女性の主体的意思発揮に関する事項をはじめ、当時女性の性欲に対して、男性同様、人間のもっている本来の欲望としてみなされていた点などが推測できる。これらは当時男女関係においては、未だに女性の社会的な性役割、つまりジェンダー意識がはっきり芽生えていなかったと考えられる。
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日本の萩で作られたハングル茶碗は、17世紀初めに活躍した朝鮮陶工の李勺光の作品だと推定される. そこに書かれているハングル文章が、時調の形式をとっていて李勺光はハングルのみならず時調まで作れる相當たる水準の驅使力を持っていたと思われる。その內容は望鄕の詩でもなく, 活動に制限された自分の状況を嘆く悲しい詩でもなかった。それはただ紫木という朝鮮出身の武士が夜中に友人の李勺光の家(或は村)を訪問し、相互情を深めたことを歌に表現したことである。紫木は李勺光と同じく壬亂の際、捕虜となり、萩では武士として拔擢された渋木十右衛門成尙のことを指す。李勺光は萩焼きの開祖として知られている人物である。その反面今日まで知られている彼の作品は殆んどない。そして彼の作品の性格と特徴について分かる術がなかった。こうした意味からすると、萩焼きのハングル茶碗はとても貴重な作品だと言わざるを得ない。特にこのような作品が日本人によって國立中央博物館に寄贈し韓國に保管、展示するようになったのは、韓日の文化交流においても大変有益のあることだと言
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本稿では、「黒壁」(1894⋅10、12)、「義血侠血」(1894⋅11)、「聾の一心」(1895⋅1)、「夜行巡査」(1895⋅4)、「貧民倶楽部」(1895⋅7)、「取舵」(1895⋅1)、「貧民倶楽部」(1895⋅7)、「怪語」(1897⋅7)等、泉鏡花の初期作品を中心に、紅葉によって添削された原稿を考慮に入れ、鏡花の初期作品における人物造型の特徴を明らかにし、その意味について考察を行なった。鏡花の初期作品において特徴的なのは、「夜行巡査」や「怪語」等において、他者や社会に対して冷淡な態度を見せ、妥協しようとしない「職務」、「責任」の観念を背負っている極端な人物が描かれる一方で、それとは正反対の他人に積極的に関わろうとする好奇心旺盛な人物たちが描かれていた点である。この二つのタイプの人物像は、ともに森田思軒が翻訳した外国の作品から影響を受けたものであるが、この時期の鏡花は紅葉の門下ではあるものの、少年時代から親しんできたそれらの作品から受けた影響から完全に抜け出ていなかったと考えられる。また、この時期には鏡花独自の人物像および方法が確立していなかったと判断される。それは、人物を描き出すのに「冷然と(して)」、「機械的に」等、幾つかの類型的な表現を繰り返し用いていることから察せられる。 所謂鏡花の観念小説とは、素材、内容、および人物において様々な模索が行なわれていた初期の試みの一つとして捉えるべきであろう。従来の文学史家のように、観念小説を軸にして鏡花の初期小説を説明しようとする見解は改めねばなるまい。
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本論文は、聖徳太子伝の有力な発信地であった四天王寺と法隆寺の創建説を、聖徳太子伝の文脈から捉えようといいう試みである。四天王寺と法隆寺の創建に関しては建築史⋅美術史の分野で「史実」をめぐる数多くの論考が積み重ねられてきたが、本論文では、「史実」を確定するのではなく、聖徳太子伝の世界において、寺院の創建がどのように「記述されたか」という点に焦点をあてて検討を進める。そもそも、この二つの寺は、日本書紀編纂の時点で既にその起源が曖昧になっており、それが、新たな創建伝承を生み出す母体となった。また、日本書紀や縁起類には、矛盾する内容も含まれており、それぞれの寺で独自の解釈が施されていた。特に、曖昧な資料しか遺されていなかった法隆寺では、自らの寺の起源を遡らせる言説が中世になって登場し、寺の権威を高めようとしていた。
사카구치 안고(坂口安吾)의 「요나가히메와 미미오(夜長姫と耳男)」일고찰 -설화형식의 의의-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제17집 2010.10 pp.543-561
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本稿では坂口安吾の説話小説の一つである「夜長姫と耳男」を分析し、ここから現れる安吾の美意識、現代作家である安吾が説話形式を採択した意図について重点的に考察した。これは他の安吾の説話小説の分析と研究に続くのであり、安吾研究においての形式と内容との結び付け方につながる点で不可欠な作業だと思われる。坂口安吾の文学方法の研究において形式と内容との相関関係から説話文学に内在する安吾の文学方法とその特質、安吾の美意識とどのような関係を持っているのかについて注目する必要がある。一般的に説話形式には三人称であるが、この作品では一人称の視点から物語が展開していく。また呪術のイメージを持っている大蛇の意味とそれの説話形式という形式面との関係について考えた。その後、この作品で美の象徴である夜長姫の無邪気な笑顔と彼女のグロテスクな行動の両面性から安吾の提示するメッセージも分析した。安吾は永遠なる美しさのために人間の持つべき慎み、畏敬という姿勢の重要性が強調できるパラドックスを取り入れた。パラドックスとどのような残酷、荒唐無稽も許し入れる説話形式という昔話のフォームは作家が意図した文学方法の装置だったのである。そういうわけでこの作品の特性と意義が一層深く見極めることができたといえよう。
유미리의 『8월의 저편』론 -등장인물들의 디아스포라로서의 한(恨)에 관하여-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제17집 2010.10 pp.563-584
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『8月の果て』は、主人公の雨哲との雨哲一族が、近代朝鮮の植民地支配下および解放後の混沌とした政局の中で、朝鮮⋅中国⋅日本にバラバラに暮らしながらディアスポラとして味わった離散の苦痛を描いたものである。多くの先行研究は、作家柳美里が在日コリアンとして取り上げ、韓国的な恨(ハン)に関係付けている傾向が見られるが、筆者は、柳氏は植民地支配と差別として看做される在日コリアンというより、祖国を離れた祖国喪失者の空虚感と痛みを抱えている広義のディアスポラとして考える方が妥当であると考える。本稿は、それを踏まえた上で、8月の果ての主要登場人物の生き方を通してみたディアスポラの恨(ハン)について考察した。小説の中心軸である雨哲は、マラソンランナーとしてオリンピックに出場出来なかった恨、弟や子供を亡くした恨、そして、植民地宗主國の全てを受け入れて生きていくしかなかった恨を背負いながら悲劇的な人生を送る。彼の弟である雨根もまた、自分の目標でもあったプロレタリア革命の実現を達成出来ず恨(ハン)を抱いたまま殺されてしまう。そんな雨根を慕っていた金英姫は、斡旋ブローカーに騙されて慰安婦になり、雨根と愛し合えなかった恨(ハン)や、他人の名前で生き、純潔を守れなかった恨(ハン)を抱いている。他にも、雨哲の女達が、暗い歴史の犠牲者になって恨を心に持ったまま消えていった。このように重要登場人物一人々々がディアスポラとしての恨(ハン)を背負っているのである。そして、それが作中人物として登場する柳美里によって恨(ハン)が解かれる。例えば、雨哲と雨哲の女達の恨(ハン)は、柳美里と巫子の口寄(シッキムグッ)を通して死者の話を聞いてあげる方法で、李雨根と金英姫の恨(ハン)は、二人が霊魂結婚式を挙行、極楽浄土へと昇天することができたことによって、解かれるのである。このことから8月の果てに登場する人物におけるディアスポラとしての恨(ハン)は、柳美里によって昇華したと言えよう。小説の最後まで生存している柳美里もまた、自分のルーツとディアスポラとしての恨(ハン)を認め、そのシコリから脱皮することができた。また、小説の最後に書かれている自由!とは、雨哲や雨根が言うような権力の前で抵抗する自由ではなく、抑圧されず、逃げる必要もない人生を送るという真の意味での自由を意味し、ひいては彼らが恨(ハン)から解放されたことを意味すると考えられる。
식민지시기 경성에서의 ‘취미’ -재경성(在京城) 일본인의 이념화 변용과정을 중심으로-
한국일본언어문화학회 일본언어문화 제17집 2010.10 pp.585-605
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1905年以後、ソウルに流入した植民知識階層は「新渡来者」と呼ばれた政策的植民者たちであった。「新渡来者」の定住が始まりながら在朝鮮日本人たちの、朝鮮での生活に対する態度に変容が起り始めた。それは朝鮮を一時的な渡航地、または短期滞留地として見なしていた感覚から日常的生活空間、または定住地として見なす認識への変容であった。この際、在朝日本人たちにとって直ちに切実となった要求条件の一つは、自分達の余暇生活が楽しめる趣味、娯楽施設の助成であった。このことは朝鮮に対する日本人の空間認識が変化したことを意味し、彼らが朝鮮で新たに企画することを通じて朝鮮の再場所化がどのような理念のもとで成されたかが見て取る。特に「植民地朝鮮の縮図」である京城の建設は、在京城日本人の「趣味」生活を考慮する中で企画されたものであり、このような側面はこれまで「京城」に関する既存研究では等閑視された観点でもある。本稿では植民地期京城における「趣味」がそれを呼び出す主体=在京城日本人の欲望に沿って時期別、少しずつ異なる理念を強調しており、その理念的使用の変容過程は京城という場所を巡った彼らの主体形成の過程とも密接に連動していたということを明らかにする。植民地期全般に渡って京城で刊行された日本語雑誌朝鮮及満州(前身の朝鮮を含める)、朝鮮公論などに対する検討を通じて、「趣味」の理念的使用が時期別に如何なる変容過程を示しているかを統合的に見てみながら、在京城日本人たちが「京城」をどのように再編しようとしたかを捉えてみた。1910年代は「趣味」の場所としての京城建設という企画のなかで、在京城日本人が「公共的趣味」の談論を通じて朝鮮人と既存の日本人居留民に対する「風俗改良」を理念的に図ったということが最も大きな特徴として挙げられる。1920年代は「大京城」建設の談論が盛行するなかで、「官」が構想する公的な趣味施設が形成し続けられながら、個人的嗜好に沿った自発的な趣味生活も多様化され始めた。個人的「趣味」への分化現象は、その分、京城という場所が在京城日本人にとって慣れてくる過程として理解できるし、1930年代の「消費」される京城で彼らは様々な消費文化と同時代のモダン風の流行を個人的趣味の次元で享有し始めた。
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