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7,300원
Since the defeat of Japan in 1945, Korean residents in Japan were still existed. They were minorities and symbol of discrimination. This is not the enumerating historic fact but an important start point to create alternative view of how the discrimination had been issued throughout personal experience and discernment. In this sense, it is clear that Korean residents in Japan are genocide and trauma being. Without mentioning comfort woman, compulsive haul, and minority discrimination, it is historical fact; Genocide which experienced in colonial era, all the governing traumas from defeated in 1945, nationality problems, education, welfare, and the right of residence. Division of politics has been distorted tool to regulate a society of Korean residents in Japan with trauma, kidnapping, repatriating. Additionally, it is a reality that trauma by Japanese government's sate violence and trauma from both sides of Korea. In particular, the discrimination of Korean residents in Japan were irrelevant to Korea, Korean and Korean peninsula. Eventually, this is concluded in scorn and discrimination consciousness for whole Korean nations. By history, when past affairs should be rearranged, discovered then those of who suffer from illness of mind could be vented and historical external injury be healed. In fact, historical healing can be divided by personal, country, and society. Especially, personal healing process separated but those of who suffered trauma cannot get out of the past or severe scene can be repeated. In addition, the past constantly turned back so that they face the fate which block the future. The historical fact, the Korean residents in Japan, is an alternative composition for East Asian community in stream of times. The core living place, Chosun-chon, is symbolic space conserve historicity and nowness. However, this place also can be living trauma space which are projected by division politics. With this, division politics should structurize national trauma by separation and it is living social organism which creates Korea in Japan.
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本稿では日本敗戦後から単一民族国家志向が確立定着する1950年代半ばまでにおける保守系政治勢力の在日朝鮮人認識を検討した。保守系政治家は露骨な差別的発言を行う者もいたが、日本帝国の一員としていたという経緯やアジア近隣諸国との関係を重視するべきであるという理由から在日朝鮮人処遇に対する配慮を主張する人びともいた。しかし占領期の多くの時期において政権を担当していた吉田茂は、在日朝鮮人の権利を認めようとせず、彼らの国外追放を企図するといった態度をとった。これは共産主義への警戒や治安維持を理由としていたが、同時に吉田が植民地支配の加害を直視せず、アジア近隣諸国との関係よりも米国との関係を重視する姿勢と関係していた。そして、講和条約後に在日朝鮮人が「外国人」となり、外国の共産主義者と結びついた在日朝鮮人が治安を乱しているという認識が広がるなかで、歴史的経緯やアジア近隣諸国との関係を踏まえて在日朝鮮人処遇の配慮という一部の保守系政治勢力にもあった主張は少数意見に留まった。このことが戦後日本における在日朝鮮人の社会的排除の一因をなしたと言える。
3.11 이후의 일본사회 변동과 ‘마이너리티’ - 부흥을 위한 국가와 개인의 문제 -
동국대학교 일본학연구소 일본학 제36집 2013.05 pp.65-92
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6,700원
本論考では、阪神․淡路大震災と東日本大震災における災害を比較し、その違いと同質性を考察してみた。阪神淡路大震災の場合は筆者が直接仮設住宅を現地調査したものから「官」主導の復興が被災地の住民に、直接手が届かない政策を実施することを明らかにした。それは、仮設住宅の移動経路、実際の生活者を調査することで、マイノリティー政策を垣間見ることが出来た。それは「国家」対「個人」の間を考えさせる「震災」であった。ところがそれが東日本大震災の時にも「反復」されていた。津波の被害地はもちろん福島原発の被害から「地元へ」戻れない「被害者」たちの意見とは別の形で「国家」主導の復興は進めれれていた。または、「災害後」社会を語る言説は「脱原発」対「原発用語論」にぶつかりながら、国家の「復興」政策は進めれ、社会の言説は創られていた。それは、外国人をも含む被害者の直接的な意見を含むものではなく、国家的レベルに於ける「棄民」政策であったのだ。住民及び当事者の意見を「排除し」、国家システム的「町づくり」は、災害に見舞われた住民不在の「排除」政策であり、日本人を再構成する「言説政策」であることを改めて考える必要があるだろう。危機状態から生成する「権威」による国民創出論理であり、その国家の論理に入れない被害者は「排除」の対象として「再編する」危険を含んでいて、それの超克なしには、震災の復興とはいえないし、人間復興は成し遂げられないであろう。
역도산과 내파하는 쇼와천황 내셔널리즘 ― 미야모토 데루 「역도산 동생」론 -
동국대학교 일본학연구소 일본학 제36집 2013.05 pp.93-122
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宮本輝の短編「力道山の弟」は、昭和天皇が亡くなった1989年1月7日前後に書かれ、天皇が亡くなった後の1989年3月号の「小説新潮」に掲載された作品である。勿論、単なる時期的な一致だけではなく、「力道山」という戦後日本を象徴する人物をはじめ、小説の中に登場する戦争世代と戦後世代、中国と日本、父の死と次の世代の門出、過去の回想と評価などは同時代の天皇と天皇制を議論する時に出てくるキーワードと多くの接点を確認することができる。しかし、同時代に天皇の戦争責任を追及する人やその家族までに脅迫が相次いでいたことを考えれば、小説の中に天皇を直接に登場させることなく、むしろ「天皇の次に有名」だった力道山を登場させたことはとても興味深い。小説は1988年の現在の「私」が父の遺品の中で発見した「力道粉末」の封筒をきっかけに、1958年に「力道山の弟」を名乗りながら、秘薬を売る香具師をめぐる思い出を戦後世代の「私」と戦争体験世代の父の視点を交差させながら描いている。大事なことは戦後世代の「私」にとっては、力道山の弟はパワーを象徴する戦後日本の身体である反面、戦争体験世代の父にとっては中国人の友達である「高万寿」を忘却させる存在として描かれている点である。そして、こうした世代間の認識の差は、昭和天皇が亡くなった後に見られる戦争体験世代と戦後世代の共通の天皇観を沸騰させる。体験の差はあるものの、両方の世代における天皇とは、「病気の家族(父親/おじいさん)」として受容されており、このような図式は「天皇の拒否=非日本人」という排除の図式を内包している。従って、こうした天皇観は、結果的に日本の戦争責任問題を忘却させることになる。しかし、小説「力道山の弟」は中国人「高万寿」と結婚した日本人の女性が戦後日本の高度経済成長を象徴する力道山の弟と関係を持つことを批判的に描くことにより、日本の高度成長と引き替えに戦争責任を忘却しようとする問題を追及しようとした。そして、これを同時代の文脈から考えれば、昭和天皇の死を前後にして沸騰する「天皇の受容=日本人」という昭和天皇ナショナリズムを内破しようとしたとも言えるのである。そして、小説の中には力道山の国籍に関する具体的な記述はないものの、特定の人物が発するメッセージを特定の人達が受信できるシークレットメッセージという側面からすれば、小説の中で日本人の中にさりげなく登場する「朝鮮人の老婆」と力道山がよく行く店が戦後の在日朝鮮人を強く連想させる「ホルモン焼き屋」だったという設定は、力道山の両犠牲を浮上させる記号として機能しているとも言える。シークレットメッセージの両犠牲は戦後世代の「私」には「五寸釘」のトリックが分からなかったのに、戦争体験世代の父にはそのトリックが分かってしまうというエピソードにも見られる。すなわち、小説「力道山の弟」はシークレットメッセージに見られる受信/切断という構造を作品の様々なところに配置することにより、同時代の昭和天皇ナショナリズムに内包されている「天皇の受容=日本人」という排除の図式のトリックを内破しようとしたのである。
사카구치 안고를 통해 보는 ‘점령’ - 검열을 통해 본 「백치」,「 전쟁과 한 여자」, 「속 전쟁과 한 여자」
동국대학교 일본학연구소 일본학 제36집 2013.05 pp.123-150
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本稿は、占領期に発表された坂口安吾のテクストを通して、当時の検閲がいかに働いたかを検討することによって、戦後日本の言説が創ってきた「占領」表象を考え直すことを目指す。これまで安吾は、戦後GHQが日本にもたらした自由の表象としてよく言及されてきたが、二〇〇〇年代にプランゲ文庫が一般に公開されることによって、安吾もGHQによる検閲から決して自由ではなかったことが知られるようになった。この場合、安吾のテクストが検閲されたことの意味を、「純粋」な文学作品の文学性を損なう、検閲する側の「攻撃性」から説明することは、安吾の文学性を理解する上でも、又占領期の検閲を理解する上でも決して望ましいのではない。こうした認識上の問題を相対化するために、本稿では検閲の問題を、もっぱら検閲がどのように文学作品を削除し、壊したのかという観点から眺めるのではなく、検閲がどのように文学作品の表現を許していくのかという観点をもって考察する。その具体的な方法として、本稿では、検閲によって実際に削除された「戦争と一人の女」のみならず、〈削除および発行禁止対象のカテゴリー〉に当たる部分がある「白痴」や「続戦争と一人の女」をともに取り上げ、占領期における検閲の問題を考察する。結局安吾は、占領期に対し、それを単に新しい自由の空間として表象しようとしたのではなく、大日本帝国の検閲とGHQの検閲が交差する空間であり、「民主主義」と「自由」に代表されるGHQの理念と、その実践方法としての検閲とのあいだの矛盾で揺らいでいた空間として表象していることがわかる。安吾にとって「占領」とは、検閲を人間が生きる上で必ずついてくる条件として深く考えることを可能にした機会であったが、だからこそ、彼のテクストは今日われわれの「自由」の問題を考える上で非常に重要であると考えられる。
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19世紀半ば以後、世界資本主義体制に編入され、国民国家を成立させていく日本では、積極的に西洋文明を対面し、それを吸収しようとした。日本人の接した西洋文明の実像は、主にヨーロッパ近代都市の巡歴を通じたもので、日本近代都市の形成もまた、西洋の経験から大きな影響を受けながら行われた。開国以後、日本の代表的な西洋文明体験としては、1871年から1873年に亘って欧米12ヶ国へ派遣された岩倉使節団が、広く知られている。しかし、岩倉使節団は近代西洋都市に対する最初の体験ではない。すでに、江戸幕府は1860年の遣米使節団をはじめとして、1867年の遣仏使節団に至るまで、西洋都市を直接訪れる多数の使節団を派遣したことがあったのである。したがって、西洋近代都市に対する日本人の認識を解明するためには、幕末使節団の体験から検討する必要があると考える。その中でも、1862年、江戸幕府により最初にヨーロッパへ派遣された文久使節団は、幕末の代表的な西洋都市体験として、明治政府から派遣された岩倉使節団に比肩されるものである。本稿では、約10年の隔たりを持ちながら西洋都市を巡歴した、文久使節団と岩倉使節団に対する比較検討を通じて、明治維新を前後に、日本の西洋文明および近代都市に対する認識の実態やその差異を確認しようとした。特に、西洋都市に対する日本使節団の認識を都市の基盤施設、都市文化、都市問題の三つの側面に分けて分析․検討した。幕末維新期の使節団は、様々な施設を見聞しながら西洋都市に対する認識を深めることができたが、彼らの認識が日本での近代都市の造成においてストレートに反映されたことではない。近代都市に対する調査が使節団の主な目的ではなかったし、都市計画の担当者が使節団に加えなかったことを考えば、当然なことかも知れない。しかしながら、近代都市に対する使節団の体験と認識は、日本の都市改造事業の推進者たちのそれらとあまり異ならながったため、日本の現実を考慮した上、取捨選択されたり、時代的必要により変容されていったと言える。これについては、これから研究を深めていきたい。
6,600원
本稿ではこれまで理論的に各分野の地方自治を研究していた先行研究とは異なった文献研究と実証調査を行い、自治意識体系を明らかにした。そこで韓日両国の一般住民、公務員に対して、年齢別に意識の違いと共通点が何かをアンケート調査を通じて調べ、明らかにする。アンケート調査をもとに地方自治意識の相対的な特徴を明確に究明し、韓国地方自治が進むべき方向を模索することに本研究の目的を置いて調べた。また、韓国の昌原市と日本の山口市の一般住民と公務員に分けて二つの集団の自治意識を相対的に比較分析した。したがって住民参加制度で住民監査請求制度、住民訴訟制度、住民投票制度は、住民召還制度、住民発議制度、行政情報公開制度は日韓両国の一般住民と公務員の両方の意識に違いがあることが分かった。しかし、住民監査請求制度、住民訴訟制度、住民投票制度は、住民発議制度で、日韓両国の一般住民と公務員の両方で最も高く現れた意識の割合には差があったが、最も高い項目は同じ質問を選択し、両国が共通の関心を持っている同質性を示した。
주택 명칭의 위상론 ― 일본 주택의 속성에 따른 위상차를 중심으로
동국대학교 일본학연구소 일본학 제36집 2013.05 pp.207-237
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本研究は、社会言語学的研究方法を取り入れ、日本語の和語、漢語、外来語といった語種に付与されたイメージが住宅名にどのように影響しているのかについて分析․考察したものである。詳しくは日本の地方都市にある住宅を様々な社会的属性よって分類し、その住宅名に使われた語種と多様な社会言語学的要因との関係について分析し、日本語の語種が住宅の内的․外的属性によってどのように現れ、どのような意味を持っているのかについて考察した。 考察結果は、以下のようにまとめられる。 一つ、住宅名における語種と住宅の所在地域は相関連関性を持つ。住宅名は都市部と工業地域、農村地域によって異なる語種が使われる傾向があり、これは地域住民の年齢や住宅の類型の差などが反映された結果であると考えられる。 二つ、住宅名における語種と住宅の規模は相互連関性を持つ。住宅名は住宅の面積によって、それぞれ「表意的で簡潔」という漢字語のイメージ、「洒落で高級感がある」という外来語のイメージを反映し、その名称を採用していると考えられる。 三つ、住宅名における語種と住宅の建設․運営主体は相互連関性を持つ。公共的な目的で建設․運営されている住宅においては主に漢字語が使われ、これによって 「専門性」、「代表性」、「公共性」、「伝統」、「信頼さ」などを現わしていると考えられる。 四つ、住宅名における語種と住宅の種類は相互連関性を持つ。社宅や社員․学生寮などにおいては、漢字語の「優れた可読性」、「保守性」、「表意性」を、団地住宅においては、固有語の持っている 「親しさ」、「団らんさ」を、アパートにおいては漢字語の「実用性」、「視認性」を、マンションにおいては外来語の持っている「現代性」、「異質性」、「都会的感性」などのイメージが用いられ、それによって住宅のアイデンティティーが形成․強化されていると考えられる。 五つ、住宅名における語種と住宅の建築時期は相互連関性を持つ。住宅名の表記は「漢字語→外来語→固有語․複合表記」の順に変化してきたが、これは建物の様式と構造の変化、語種自体の位相の変化、社会的認識の変化を語種を通じて反映した結果であると考えられる。 このような結果は、住宅が位置した地域や規模、住宅の種類、建築時期と運営の主体などの属性と住宅名に使われた語種は単純な表記としての機能や役割にとどまらず、商業的なネーミングの一要素として機能しているということを示す結果であると言える。
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