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일본학 [The Ilbon-Hak(Journal of Japanology)]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    동국대학교 일본학연구소 [The Institute for Japanese Studies Dongguk University]
  • pISSN
    1598-1134
  • eISSN
    2713-7309
  • 간기
    연3회
  • 수록기간
    1981 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제32집 (10건)
No

기조강연

1

在日朝鮮人を考える 一 過去・現在・未来

尹健次

동국대학교 일본학연구소 일본학 제32집 2011.05 pp.7-20

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4,600원

2

在日コリアン・犠牲者として 語られることの意味

鄭大均

동국대학교 일본학연구소 일본학 제32집 2011.05 pp.21-40

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5,500원

3

재외국민 국정참정권과 재일동포사회의 변화

김웅기

동국대학교 일본학연구소 일본학 제32집 2011.05 pp.41-84

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9,100원

本稿は、在日韓国人が直面している在外国民国政選挙権をめぐる諸般の論点を整理し、その実施に伴う在日韓国人社会の変容はいかなるものであるのかについて論ずることを目的としている。また、在日韓国人が国政選挙の結果に与える影響は如何のものであるかを予測し、参政権の行使によって何を得ることができるのかに関する方案を提示することも併せて行う。以上の目的のため、2章において、これまでの韓国内における在外国民参政権付与に対する反対論理と在日韓国人、故李健雨氏の取り組みによって始まった訴訟闘争の過程を、3章では国政参政権付与に対する既存の在日韓国人社会における懐疑的な反応と民団の変化の兆候について、それぞれ論じている。そして、4章では在日韓国人、特に日本の植民地支配に伴う移住者である、いわゆるオールドカマーが韓国国政選挙においてどれほどの影響力を持っているのかについて検証を行い、最後に韓国における国政参政権の行使によって、韓国と日本において何を獲得するべきなのかについて論じている。在外国民に対する参政権付与に最も消極的だったのは外交当局である。その理由は兵役や納税といった内国人の義務に在外国民が拘束されないことによる反感や権利獲得に伴うアイデンティティの強化が居住国社会への定着の妨げになると共に、過度な母国への期待を招くというものであった。憲法裁判所は一度はこの主張を採用し、李氏の主張を退けている。しかし、李氏は自らの家族を原告団に参加させるなどして再度提訴を行った。この審理においては、兵役を終えた在日韓国人が原告団に加わるなどして政府の主張に反駁すると共に、在日「国民」としての権利不平等の是正を訴えた。その結果、ついに2007年に違憲判決を勝ち取ることとなったのである。この判決は世界各地の在外国民から歓迎されたのであるが、唯一、在日韓国人はこれに困惑した。その理由は民団を中心とする、日本における外国人地方参政権獲得運動の障害になるという憂慮である。甚だしくは、在日韓国人が今後も日本に定住する以上、日本国籍を取得することなしに、韓国の国政参政権ではなく、日本のそれを獲得するべきという主張さえも存在している。2010年末、民団支援金に対する前年比約75%削減という2011年度政府予算案が提示が行われた後、国会で同30%削減が可決(予備費を獲得して最終的には現状維持)されるという事態に直面した民団は、この経験を通して政治力行使の重要さを学習したことから、今後、国政参政権に対する従来の消極的姿勢からの変化が予想される。しかし、利益の最大化という側面からして、民団が特定政党に対する支持を行う可能性は極めて低いといえる。在日韓国人に占めるオールドカマーとニューカマーの割合は本稿の試算ではそれぞれ74.5%(353,067名)、25.5%(120,532名)であり、今後、変化が予想されるものの、現時点ではオールドカマーが在日韓国人社会において多数を占めている。また、この数字に2011年11月に行われた在外国民選挙模擬投票のうちの日本での投票率である61.4%を反映させた216,815名をオールドカマーの予想投票者数とした場合、中国やアメリカに暮らす在外国民のそれよりも大きいことから、オールドカマーが在外国民のうち、最大勢力となる。これは15代、16代大統領選挙における当選者と次点者の票差の55.4%、38.0%に相当し、18代国会議員比例代表選挙での政党間における当選者配分の基準となる基数の約68%を占めるという、大きな影響力を持っていることが確認された。ただし、以上の試算は資料上の制約があることから、限界を伴うものであることを指摘しておく。最後に本稿はオールドカマー在日韓国人が国政参政権によって何を獲得することができるのかについて対案の提示を行っている。それは日本と韓国それぞれにおける権益に分けることができるのであるが、日本での権益としては、自国民保護の強化、民族教育権や地方参政権獲得、差別や偏見是正のための韓国政府による、より積極的な支援をあげることができる。一方、韓国における権益としては、在外国民として処遇されることによる不利益の是正をあげることができる。具体的には内国人と在外国民という分類自体の解消、教員免許を取得しても小中高教員採用から除外されることや、教育当局が大学の国際化度を評価する際に外国籍者の採用数を基準としていることから、在米や在中など、居住国国籍を所持している同胞が有利な反面、韓国国籍者である在日は排除されてしまう問題、韓国内の金融機関による融資差別などの是正などをあげることができる。さらに、韓国社会における在外同胞に対する否定的認識の改善や進行過程にある他文化社会化の流れにオールドカマーの価値観を反映させるため、在日を含めた在外同胞に対する理解を促す教育を韓国内において実施することを求める必要性がある。これらの問題はこれまでオールドカマーが日本において行ってきた権益獲得運動の対象と同様のものである。韓国におけるオールドカマーの権益問題については、これまで実質的に検討や主張がなされたことがなかった。しかし、自国において沈黙するというのは、日本における権益獲得運動の歴史に矛盾している。国政参政権が各地の在外国民に一律に付与され、民団による陳情という既存の方法が通用しなくなることが予見されていることからも、早急に対策が立てられるべきである。韓国国政選挙権という制度は、オールドカマーによる現在のような曖昧な姿勢が一切考慮されるものではなく、すでに制度として始まっているのであり、「選択せず」という選択はもはや不可能なのである。

4

在日コリアン女性と、生き延びる思想、

鄭暎惠

동국대학교 일본학연구소 일본학 제32집 2011.05 pp.85-106

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5,800원

在日コリアン女性は、近代的アイデンティティ概念で語るだけでは理解することが困難である。経済的にも文化的にも搾取されながら、いかに「自己」を生き抜くことが可能になるか。生の哲学、生きのびる思想を独自に編み出すしかない。人はパンのみで生きるにあらず。他者とともに尊厳をもって生きる途を切り拓く、その途をいかに見出すか、在日コリアン女性3人の実践をみる。

5

7,000원

在日朝鮮人は関東大震災時の虐殺事件に見られるように日本人から迫害を受けてきた。それは日本人民衆が朝鮮人を危険視していたためでもある。本稿では日本人民衆の間に存在していた朝鮮人に対する危険視がどのように形成されていたかを新聞報道や人口移動のあり方から考察した。そこでは以下のようなことが確認できた。まず19世紀末から1920年代初めにかけて朝鮮人の抗日運動はかなり頻繁に報道されており、そのことは日本および日本人に危害を加える存在としての朝鮮人像の形成に寄与した。しかも1920年代に入ると日本内地に危険な朝鮮人が入り込んでいることが報道されるようになっていた。そして、関東大震災直前の時期は朝鮮人の日本渡航が急増し、特に東京地方への朝鮮人流入は著しかった。このことが関東大震災時の朝鮮人に関するデマを浸透させる素地となったと考えられる。そして、その後においても行政当局は「内鮮融和」や「内鮮一体」を宣伝したものの、当局自身も当然、朝鮮人を警戒し続けたし、民衆レベルでも日本人の朝鮮人に対する危険視は薄らぐことはなかった。そのことは日本帝国の危機である戦争末期には露骨に表出されていた。

6

6,100원

現在までコリアンディアスポラ文学(ロシアと中央アジアの高麗人、中国の朝鮮族、在日コリアン、在米コリアン、在カナダコリアン、南米コリアン)は祖国の激甚な政治經濟的な變化と居住国の政治ィデオロギーの中で境界人の位置を多様な形で形象化した。その中でも在日コリアン文学は民族的/脫民族的グルスギを通じて多様なデイアスポラ意識を形象化してきた。言わば草創期の在日コリアン文学の中心に位置する金史良、張赫宙、金達壽、金石範をはじめ、中間世代の作家である李恢成、李良枝、金鶴泳、梁石日、そして最近の柳美里、玄月、金城一紀などの文学がそれである。その中でも、特に日帝强占期の負性と解放以後の主體性回復の間で苦惱した在日コリアンの立場を文学的に描いた李恢成文學は、歷史と民族、政治と理念をもとにする民族的グルスギを守りながらも拡張された形のディアスポラ意識を強調したという点で獨創的である。李恢成が“樺太、札幌、東京、韓国の慶尙道”などに安着地を求めて移動し続けたように、彼の文学世界は“樺太、朝鮮、日本の三つ巴のせめぎ合いが想像力の原理となってふき出”され、構築された越境的視座を強調したのである。特に小説󰡔流域󰡕に形象化される旧ソ連圈の高麗人たちの意識に內在された流民意識と故鄕(祖國)への回歸意識はそういう人間の普遍性と開かれた世界觀を象徴的に表わしているといえる。一方、そういう李恢成文學の脫境界的なディアスポラ意識は在日コリアン文学のディアスポラ意識を象徵的に表わすと同時に、世界文學としての文学的意味も盛り込んでいるともいえる。

7

한류와 자이니치

이향진

동국대학교 일본학연구소 일본학 제32집 2011.05 pp.161-194

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7,600원

The fever of the Korean Wave in 2004 was a social phenomenon in the Japanese national media. However, daily airings of Korean TV dramas and appearance of idol groups on TV, Kimchi fried rice on an elementary school lunch menu or the popularity of weekend trip to Korea to young women and so on are no longer surprising news. Also, it is not difficult to meet teenagers who frankly talked about their Korean ethnic origins. Students enrolled in classes about Korean society, culture or history often reveal that their interest in the country was piqued by their enjoyment of Korean dramas, films, or K-pop, or their mothers are great fans of Korea dramas. Many are quick to add that their Japanese idols or famous film stars are also ethnically Korean. Only a few years ago, Japanese popular culture icons of Korean descent often hid their ethnic origins. For instance, Rikkidozan, a legendary pro- wrestler in post-war Japan, never admitted his ethnicity and his Korean roots were only revealed posthumously. Similarly, Chang Hoon, a famous baseball player, tried to hide his Korean ethnic origin in public. In those days, using a Korean name was a symbol of resistance against racial discrimination. However, nowadays, a resident Korean's ‘coming out’ is hardly shocking. On the contrary, the media's changing attitude seems to make many ordinary resident Koreans feel more comfortable in using their Korean names and disclosing their national identities. In this way, the popularity of the Korean Wave proves the power of popular culture to change and challenge racial discrimination in multicultural Japan. This study will discuss these changing perceptions of Koreans in Japan. It will examine the Korean Wave and the transnational cultural flows between Japan and Korea and focus on the changing attitudes of Japanese and Koreans toward resident Koreans and their national identity.

8

‘민족주체’를 호출하는 ‘재일조선인’

조관자

동국대학교 일본학연구소 일본학 제32집 2011.05 pp.195-222

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6,700원

日本の戦後において在日朝鮮人は、複数の民族名(在日韓国人、在日コリアン)と国籍(朝鮮籍、日本国籍、韓国国籍)を有してきた。そのなかでも在日朝鮮人という名前は「民族主体」表象し、戦後の歴史において「責任の主体」を呼び掛けるものであった。本稿ではまず、在日朝鮮人の民族名と国籍の歴史的な変容を追跡し、名前を呼びだし/呼び掛けられる関係のなかで働いている権力の関係を分析した。また本稿では、90年代後半から「コリアン」という名前が拡大するなかで「在日朝鮮人運動」が危機に直面していると捉えた。日本の「偏狭なナショナリズム」が活動するなかで、在日朝鮮人を媒介にして「民族主体」を呼び掛けるような運動は不可能となった。2000年代から在日朝鮮人運動は民族的な「抵抗」を表象できなくなり、その民族言説はディアスポラ研究に乗り換えている。本稿ではこのような歴史的な変容において欠落している「知的な課題」を提示しようとした。

9

영산강유역의 前方後圓墳 피장자와 그 성격

연민수

동국대학교 일본학연구소 일본학 제32집 2011.05 pp.225-259

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7,800원

榮山江流域の前方後圓墳の被葬者は在地首長說がもっとも近いという結論に到達した。榮山江流域が百濟から壓迫されはじめる熊津遷都の後、この地域社會の首長達は內部的な結束し、自立を摸索する。これを象徵するのが前方後圓墳であり、その大きさを極大化させるモデルとして倭系古墳の外形的樣式を導入した。これはこの地域と北九州勢力との長年にわたった交流の結果である。同時期に蟾津江, 洛東江流域の加耶地域も東西の强大國によって侵蝕される危機的な狀況であったため、その餘波が榮山江流域にも及んだ。前方後圓墳の存在が百濟に対する自立の誇示であり、地域社會の內部的な結束を高める政治的宣言でもあり、首長層を中心とした共同體社会の危機狀況を脫出するための最後の抵抗でもあった。このような努力にもかかわらず、榮山江流域は百濟の武力の前に、吸收されてしまうという悲運を迎えた。加耶地域の高靈 金海, 咸安よりも生産性が高かった廣大な立地條件を備えたにもかかわらず、6世紀2/4分期を越えずに、解體されてしまったのは求心的な役割をする强力な盟主の出現がなかったからである。

10

일본 축구중계 오디언스의 실천행위에 관한 고찰

오현석

동국대학교 일본학연구소 일본학 제32집 2011.05 pp.261-286

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6,400원

本稿は現代社会で日本人がナショナルな表象に対する実践行為をどのように行われてているのかについて論じたものである。現代社会でのナショナリズムは、無意識的に、あるいは常識的な意識の枠組みで日常生活の中に溶け込んでいるものである。本研究ではこのようなナショナリズムを「日常のナショナリズム」と呼んでおり、その概念を中心に議論したものである。このような「日常のナショナリズム」は、国家代表のサッカー中継を通じ、ナショナリズムの無自覚的な生産・再生産に重要な役割を果たす。オーディエンスがサッカー中継に対する実践行為を行う際は、そこに「自己」と「他者」という線引きが自明視され、自国に対するアイデンティファイが自然に行われる。本稿はこのようなメディアの条件で、視聴行為を行う日本人のオーディエンスに対する経験的な研究を試みたものである。本稿は、オーディエンスがナショナルな表象に対する実践行為を行う際、どのようにアイデンティティを構築していくのかを検討した。その結果、オーディエンスの解釈はナショナルな表象に対する順応的な読みのみではなく、能動的な読みも行うことが明らかにみえた。このような結果は、ナショナリズムが単純にイデオロギーの産物ではないことを意味するだろう。つまり、国家代表のサッカー中継に対する実践行為は、「日常のナショナリズム」に対する実践行為であるが、そこで構築されるナショナリズムは必ずしもイデオロギーとして機能することではなく、オーディエンスの能動性も含まれていることを考慮すべきである。

 
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