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일본학 [The Ilbon-Hak(Journal of Japanology)]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    동국대학교 일본학연구소 [The Institute for Japanese Studies Dongguk University]
  • pISSN
    1598-1134
  • eISSN
    2713-7309
  • 간기
    연3회
  • 수록기간
    1981 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제30집 (11건)
No
1

제국의 교실, 그 안팎에서

이헬렌

동국대학교 일본학연구소 일본학 제30집 2010.05 pp.7-27

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5,700원

The national language (=Japanese) education became one of the defining features of the Kôminka policies in colonial Korea. This paper examines how the Japanese colonial government tried to subjugate all Koreans, including the illiterate and impoverished, by setting up “Imperial Classrooms” outside the school system. Keijo Yamatojuku classrooms intended for children in the areas of Mapo and A'hyon demonstrate the colonial state's ambition to salvage the bottom rung of the colonized population. Through a close reading of Yamatojuku nikki documented by Asano Shigeko who taught at the Keijo Yamatojuku in 1942 this paper seeks to underscore different strategies and dynamics specific to the “Imperial Classrooms” that reached out to the unmotivated, un-desiring and illiterate colonial subjects.

2

번역의 지정학적 실천 - 20세기 전반 동아시아의 경우 -

윤상인

동국대학교 일본학연구소 일본학 제30집 2010.05 pp.29-56

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6,700원

翻訳は言語間、国家間の権力の秩序を形成し、またその秩序を充実に反映するものである。20世紀前半の東アジア国家間の文学の交流においても翻訳は政治的・文化的なヘゲモニーを劃定し、追認した。この論文では20世紀前半東アジア国家間の文学取り引きに働く地政学的な認識と実践について考察したい。日本現代文学の中国語翻訳、金鐘漢及び金素雲による朝鮮近代詩の日本語翻訳の現場にも、政治的な権力関係、または文化的な優劣観念は立ち会いし、翻訳の態度や内容に影響を及ぼした。特に、金素雲の翻訳に著しい日本語及び日本文学ヘゲモニーにたいする従属ぶりは、帝国の権威への自発的な服従であり、なおかつ植民地支配にたいする文化的な支援であった。

3

6,300원

永井荷風は、晩年の代表作「濹東綺譚」が、。佐藤春夫が大正九(1920)年七月から九月にかけて台湾を訪問し、この台湾旅行に基づいた、台湾植民地文学の代表作「女誡扇綺譚」の題名の一部を援用している。「女誡扇綺譚」が発表された当時、台湾における内地人作家から大きな反響を得て、とくに島田謹二の「佐藤春夫氏の『女誡扇綺譚』-華麗島文学志」は、このテクストが持つ「エキゾチシズム」を明確に提示し、この小説を当時台湾における「日本語文学」の最高峰の作品として位置づけた。島田謹二と西川満が台湾における「外地文学」の枠組みのモデルは「プロヴァンス文芸復興」だとわかるが、実際に文学創作の実質的な内容は、日本文学が引いていたフランス文学の脈流を継承しているといえよう。当時、台湾における内地人作家のなかで、台湾文壇に君臨していた西川満が、この「エキゾチシズム」の継承者といわれ、佐藤春夫の「女誡扇綺譚」から影響を受けたほか、「赤崁記」以前、1940年1月に発表された「稲江冶春詞」のプロット、人物設定そして美意識が永井荷風の「濹東綺譚」との類似性も見てとれる。とくに西川満の小説には「色町」と「日陰の女」を介して、その「荒廃の詩情」をかもし出す傾向は、まさに永井荷風文学に通底しているといえよう。佐藤春夫を意識した以上、西川満が佐藤から絶賛を受けた「濹東綺譚」を見逃さぬことは容易に想像がつくと思う。耽美派の系譜をふまえながら、本論文は、永井荷風「濹東綺譚」と西川満「稲江冶春詞」における「近代都市の異空間」と「女性身体」という記号を手がかりとして、両作の相関性を試論する。

4

寝取られ男のモダニズム ― 李箱再読 ―

坪井秀人

동국대학교 일본학연구소 일본학 제30집 2010.05 pp.83-106

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6,100원

李箱(1910-1937)の作品に固定化されてきた国民文学や比較文学の〈正統的〉な方法かをいったん解除することで、新しく読み直してみよう。本稿では朝鮮語/日本語という二重言語性を生き、京城/東京という空間的な二重性にもとらわれ続けた詩人、李箱の作品、特に小説「翼」について、〈怠惰〉と〈コキュ〉(Cocu=寝取られ男)という主題の面から考察した。李箱の作品に見られる主題〈怠惰〉は、20世紀初頭の日本の知を規範化した〈必要〉の思想の系譜から逸脱し、語りの位相においては〈いま․ここ〉の時空を孤立化させ、世界同時的な〈速度体制〉(ポール․ヴィリリオ)に同調するモダニズムの志向を共有する。しかし、語り手/主人公が体現する〈怠惰〉は、不断に更新され続けるモダニズムの〈いま․ここ〉、あるいは〈速度〉から決定的に遅れをとり、語り手/主人公をして、世界的な同期システムからも自ら降りさせてしまうだろう。さらにその〈怠惰〉によって導かれる〈コキュ〉としての主人公の像もまた、同時代のジェンダー闘争言説によって開示された新たな男女の風景をとらえている。李箱文学の〈怠惰〉と〈コキュ〉の主題系の独自な意味を明らかにすべく、武林無想庵や金子光晴などの、〈コキュ文学〉の作品との比較検証も行った。

5

6,700원

その前衛的な技法と実験的方法論によって、きわめて現代的な作家として評価されている後藤明生(1932~1999)には、「生れ故郷」である北朝鮮の思い出と敗戦直後にそこで亡くなった父親への哀悼をモチーフとした初期の作品群がある。それらの物語は、女性を主体にして語られる避難民としての〝おんなこども〟の引き揚げ物語を、一家を率いて祖国へ引き揚げる〝力強い家長〟である父親の物語へと書き換える試みであったということができる。失われた故郷と父とを奪還しようとする物語において、きわめて重要な構成要素をなしているのは「母親の手紙」である。「永興物」と呼ぶことのできる、一連の北朝鮮での体験や記憶を描いた数々の物語に登場するその手紙は、女性の書簡文に課せられた規範に則っているように見えながら、「怒り」の表現である点で、女の書き物からは逸脱している。身体感覚の直接的なイメージを動員してそれに対抗しようとする後藤のテクストは、そこに転倒的なジェンダーを見出すことができるだけでなく、母親の手紙との格闘を通じ、それを換骨奪胎することによって新たな文学言語を獲得したといえるものである。

6

전쟁기 일본영화와 일본인의 자기 인식

유양근

동국대학교 일본학연구소 일본학 제30집 2010.05 pp.137-160

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6,100원

靑木保は戦後の日本人論、日本文化論の流れを否定的な特殊性の認識、歴史的な相対性の認識、肯定的な特殊性の認識などに分類して論じた。日本映画の場合、青木が言っている流れは戦後はもちろん戦前にも適用できると思われる。日本映画の初期から1930年代半ばまでは外国人に珍しい日本の風景や人物、演芸などを撮っていた日本映画はすぐ日本人なじみの説話や歌舞伎を映画化しており自分達の生活や歴史を題材にしている。戦争期(1937-1945)にはこの肯定的な特殊性の認識が帝国主義と軍部に歪曲され戦争の意志を高め、敵意を扇る道具となった。この時期監督たちの対応には三つの類があって、一つは自分のやってきた作品を貫こうとする態度で、もう一つは積極的に国策映画を撮って軍部に協力する態度で、三つ目は戦争や軍国主義とは直接な関わりはないと思われる作品を作っているが、実は観客の心の底で戦争への意志と姿勢を備えるメッセージを含んでいるそういう映画を撮る監督である。いずれにせよ肯定的な特殊性の認識が歴史と状況のなかで歪曲されていることに違いはないと思われる。靑木保の論じる'特殊から普遍へ'という道を歩むためには1960年代日本映画に起った批判と戦争責任論、主体の問題などをもう一度考え直すべきである。

7

10,200원

本稿の目的は、日帝強占期朝鮮において唯一の「大学(university)」として君臨してきた京城帝国大学にかかわる資料を紹介したうえ、その性格を明らかにするところにある。植民支配が終った以後, 京城帝国大学は韓国の学界だけではなく、日本の学界においてもすっかり「忘れらた存在」にすぎなかった。京城帝国大学は韓国側からすれば清算されるべき植民主義の遺産に見なされていたし、日本側からすれば忘れたい「植民地帝国」の記憶であったからである。京城帝国大学とかかわる資料もまた同じ運命であった。大学史の構築のためには絶対に欠かせない大学文書は、すでに大半が「支配の證據」を隱蔽するため燒却された。また、わずかながら残った資料は「親日の證據」にみなされていたためそれに近づきにくいところもあった。こうした点を考慮すれば、1990年代以後、本格的に進んできた京城帝国大学の研究の意義は、散らかっている資料を通じて、「忘却の領域」にとどまっていた京城帝国大学の記憶を取り戻す過程にほかならなかった。本稿では先行研究の成果をも踏まえながら、京城帝国大学の性格を明らかにするのにはどのような資料が必須的であるのかを明確にしつつ、これによって具体的に何が明らかにできるかを紹介した。したがって、本稿では様々な資料を大学設立にかかわるもの、大学理念にかかわるもの、大学運營にかかわるもの、大学構成員にかかわるものに分類して考えてみたしだいである。

8

7,200원

『平家物語』は、戦後の早い時期から中等教育の教科書に用いられ、長期にわたって授業が行われてきた。しかし、『平家物語』の学習指導に関する史的考察は、十分になされていない。ここでは、学習指導の史的展開を4期に分け、考察を加えた。まず、(1)学習者の定位と学習指導の模索期(1945年~1970年)である。この時期は、『平家物語』の特色を生かし、生徒の主体的学習を導き出す学習指導が模索された。また、(2)主体的に取り組ませる学習指導の追究期(1971年~1978年)には、戦後の高等学校における、『平家物語』の本格的な教材化が行われた。この教材化に基づく授業実践は、主体的な学習を引き出し、学習方法を身につけつつ平家物語を深く読む学習を切り拓くものであった。次に、(3)音声表現による学習指導の展開期(1979年~1988年)には、音声表現を取り入れた単元学習に基づき、多様な学習指導が展開し、さらに人間性の回復を求める指導も見いだされた。(4)主題を軸にした学習指導の充実期(1989年~1998年)には、単元学習への関心の高まりを反映し、主題を軸にした学習指導が充実した。人間性の回復を求める実践、未来創造に関わる実践も前期に続き見いだされた。上記の展開には、①学習者の主体的学習の追求、②古典観の変化、③学習者の実態に基づいた古典教材の開発、④『平家物語』の群読、⑤声の復権、人間性の復権を求める古典教育が背景に見出される。

9

7,500원

本稿は、中越大震災により全村避難を経験した新潟県長岡市山古志地区を対象とし、その生活の再建や移転の過程を通して、災害についての民俗学的研究は特に社会理論と関係付け、展望する必要のあることを主張する。従来の民俗学は、村落社会を重視し、伝承母体概念や村落領域論に結実される社会理論を蓄積してきた。だが、組織や空間的象徴を重視するその静態論的アプローチは、現実の村落社会や災害に対処する人々の様相を対象化する上で限界がある。被災した山古志地域の3つのムラの移転と再生の過程からは、ムラの社会的境界が拡張され、様々な外部の人がムラの維持に関わっていることを確認できる。本稿では、この現象へ動態論的にアプローチし、離村者や準区民がいかにムラと関わり、その関係がどのように形成されたかについて明らかにする。この事例をもとに、結論部においてはムラの維持をめぐる新たな「共同性」を理論的に検討し、その混淆的かつ複雑な態様を「重層的コミュニティー」と呼ぶ。社会理論と災害の民俗学は、これを対象化することで、今後の展望をより積極的にはかることができると論じた。

 
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