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일본학 [The Ilbon-Hak(Journal of Japanology)]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    동국대학교 일본학연구소 [The Institute for Japanese Studies Dongguk University]
  • pISSN
    1598-1134
  • eISSN
    2713-7309
  • 간기
    연3회
  • 수록기간
    1981 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제33집 (9건)
No

기조강연

1

戦後日本人の韓国観

鄭大均

동국대학교 일본학연구소 일본학 제33집 2011.11 pp.7-27

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5,700원

2

전후 일본의 역사인식 - 전쟁기억과 ‘대동아전쟁’론 -

이규수

동국대학교 일본학연구소 일본학 제33집 2011.11 pp.29-65

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8,100원

この論文では、日本社会の右傾化の雰囲気に便乗して復活の兆しが濃厚な「大東亜戦争」論をめぐる議論を檢討する。まず、日本の敗戦後、侵略戦争をめぐる歴史の用語がどのように使用されており、各用語が持つ意味は何かを考察する。そして今、「大東亜戦争」論が突出されている背景として、日本社会の戦争をめぐる議論の特質は何であり、それが教科書に具体的にどのように記述されているか調べる。正しい歴史用語の使用は、戦後世代の日本人の韓国認識と過去の侵略戦争に対する責任の論理を測る重要な現実的な物差である。この問題を点検することで、日本がアジアに対する戦争責任と戦後補償は度外視して、自国の利益と新たなアイデンティティの確立に没頭するようになった社会的文脈のもとを発見できるだろう。日本とドイツの戰後史は、多くの共通點をあらわしながら展開された。敗戰、戰犯を處斷するための國際軍事裁判、荒廢と混亂のなかで成し遂げた經濟復興、そして高度經濟成長、さらに經濟大國から政治大國への發展などほぼ同じ道を歩んでいる。しかし、侵略された周邊の諸國に対する謝罪と補償など「過去の克服」においては大きな相違点が見られる。日本とドイツの「過去史」をめぐる記憶は、きわめて對照的である。現在、日本の戦争責任や戦後補償が国内外で大きな問題になっているのは、両者の課題が不可分であることの表れである。なぜ今日、戦後補償が問題になるのか、そして一方ではその問題に取り組む人々に対して「東京裁判史観」というイデオロギー的な攻撃がなされるのか、そうしたことを理解するかぎは戦後の日本政治の構造の中にあると考える。ここでは戦後日本政治のあり方を戦争責任の視点から考えてみる。戦後補償の根幹は、日本が被害者個人の人権を侵害したことを認め、国家としての加害責任を明確にし、個人補償をおこなうことである。賠償協定によって国家間で賠償が決着済だとしても、それによっては解決されていないことが認識されねばならない。そのことは国家を人権の上におくのではなく、人間の尊厳を土台にして国家を超えた人間としての連帯を創り出すことである。その連帯こそが戦争をなくし平和を実現するうえで不可欠である。戦後補償は、単に過去を精算することにとどまらず、むしろそれ以上にこれからの日本と日本人がアジアの人々とどのような人間関係を作るのか、その土台となるだろう。だからこそ六〇年前の水準ではなく、今日の、いや将来のあるべき人権の水準にふさわしい解決策でなければならない。それを担うにふさわしい政治主体はどうあるべきか、戦後政治の積極面を継承しながらそれを超えるものをどのように作っていくことができるのか、戦後六〇年の今日、そのことが私たちの前に問われているのである。

3

8,500원

本論文の目的は、戦後日韓関係が日韓会談という枠組みを通じて再設定されるようになったという歴史的経緯が、戦後日本社会の韓国観形成にいかなる影響を与えるようになったのかを論理的に省察することである。関連する先行研究では、いわゆる「久保田発言」や「高杉発言」、またその他の交渉記録を通じ、日本の植民地支配正当化認識を浮かび上がらせる問題意識が支配的である。こうした論点は、会談に表れた日本の韓国観を照射しようとするものであり、そのアプローチでは日韓会談は、単に認識が表れる一種の「場」として捉えられるに過ない。しかし、固有の歴史論理をおびた日韓会談は、それ自体がまた戦後日本の韓国観形成に重要な影響をもたらしたことは、疑い得ない。本稿ではまず、戦後日本の韓国観形成に影響を与えることになったと考える日韓会談の歴史的性格を筆者として四つに整理し、それを軸として会談推進派と反対派がどのような韓国観を作り上げたのかを論ずる。その上で、推進派が戦後日本社会の韓国観形成において、戦前の植民地史観を連続させる役割を果たしたことに対し、反対派は、戦後登場した大韓民国を「歪んだ政治的存在」として認識させることで、戦前の対朝鮮認識とは断絶した韓国観を作り上げたこと、しかし、そうした「連続」と「断絶」の違いはあっても、日韓会談を巡る論理は、戦後も韓国を否定的に捉える視点を提供したという点では、共通したものであったということ、その結果日韓会談という「日韓関係」は、戦後日本社会の韓国観形成に否定的に作用したこと等を論ずる。

4

泉靖一の朝鮮研究 ─ 日本人類学にとっての<戦後>朝鮮

坂野徹

동국대학교 일본학연구소 일본학 제33집 2011.11 pp.107-131

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6,300원

本稿は、〈戦後〉日本を代表する民族学者(文化人類学者)である泉靖一(1915─1970年)の韓国․朝鮮をめぐる研究を検討することを通じて、日本の人類学の朝鮮観について考えようとするものである。植民地朝鮮に設置された京城帝国大学で学んだ泉靖一は、戦前、済州島や中国東北部などでフィールド調査に携わり、日本敗戦後は東京大学教授として、日本の文化人類学をリードした人物である。泉靖一の〈戦後〉の活動は非常に幅広いが、本稿では、まず1950年代初頭に泉が携わった(1)九学会連合による対馬調査(1950․51年)(2)東京在住の済州島出身者調査(1950年)(3)東京都民の人種偏見調査(1952年)の三つに焦点を当て、そこにみられる朝鮮(韓国)観について分析を加える。これらの調査は、敗戦後の日本において在日朝鮮人の社会運動が高揚する一方、朝鮮半島で戦争が勃発した状況下で行われたものであり、そこには当時の日韓関係や泉靖一を含む日本人の朝鮮人観の痕跡が刻み込まれている。こうした敗戦直後の日本人の朝鮮観についての分析を踏まえた上で、本稿では、さらに日韓条約が締結され、再び泉が朝鮮研究に回帰する1960年代後半における泉の朝鮮(韓国)との関わりについて考えていく。以上の作業を通じて、泉靖一そして〈戦後〉日本の人類学における「脱=植民地化」のプロセスについて考えてようというのが本稿の企てにほかならない。

5

7,800원

本稿では、2011年現在の日本における韓流ブームの現状を紹介した上で、それと同時に広がる反韓流現象に焦点を当てている。韓流文化は、2010年のK-POPブームを契機として再び大流行し始め、ドラマだけではなく、音楽、ファッション、化粧品、食品そして、かつて苦戦を強いられてきたエレクトロニクス分野にまで広がっている。もはや「韓国製․韓国発」であることがほとんど意識されない時代になりつつあり、ものによってはそれがむしろ付加価値を持つ場合も増えてきた。こうしたなかで、2011年の夏には東京を中心に「韓流の過剰に抗議するデモ」が起こった。ある俳優のインターネット上の呟きがきっかけとなり、インターネット上の掲示板やブログなどでその抗議の声は広がり、「リアルな社会」での抗議行動となったのである。こうした動きを、既存のマスメディアは正面から取り上げることを避けた。本稿では、一連の「反韓流デモ」についてのマスメディアによる報道とインターネット上の言説を比較した。その結果、マスメディアにおいては、抗議の運動をほとんど取り上げなかったことが明らかになったが、その「無視」は、ある意味では「ネット右翼のナショナリズム」を隠している側面があることを示した。その一方で、ニュース番組や全国紙の報道ではなかなか語られないものの、テレビのワイドショーやタブロイド紙といった、いわば「本音の言論空間」では、依然として「韓流=国策説」に心情的に同調するような言説が流布されており、それがネット空間における「反韓流言説」とも共鳴する大衆的な空気感を形成していることも示した。本題である「日本人の韓国認識」については、韓流ブームが幅広く浸透し、広く受け入れられていることは確かな現実であるが、それをめぐる認識は、日韓関係の量的、質的拡大、複雑多様化、主体の複数化といった現実と相まって、ますます複雑多様な様相を見せているとの結論に至った。ある意味では、グローバル資本主義の文化商品である韓流は、消費のための能力(お金も時間も)を持っている中高年女性から、同じく消費の主役である若い女性へと拡大していく流れを辿ってきた。その一方で、いわば古い日本を象徴する中高年男性には抵抗や躊躇が見られ、そして若い男性世代には無関心を装う戸惑いで受け入れられている現実が見られる。そして、インターネットという匿名の本音の空間では、その抵抗や戸惑いが皮肉という形で表現され、膨張し、抗議という形まで発展していく様相が展開された。以上の分析から、本稿では、韓流文化の流行によって、一概に、日本人の韓国認識が好転または悪化されているとはいえず、日本社会そのものの変化、すなわち階層間格差の深化、ジェンダー関係の力学などの視点から眺めれば、それぞれ異なるリアリティがみえてきて、韓流の消費や対韓国․韓国人認識を巡ってもそのような多様化した社会の現実が見え隠れしているのが実態であると主張した。

6

6,900원

1980年代末から2003年ごろにかけて、インターネットにおける在日コリアンの電子コミュニティがどのような経緯で発達し、消滅していったかについて、主としてハン․ワールド(とくに、電子掲示板HANBoard)とそれに対するヘイトスピーチという観点から、歴史社会学的に整理した。その結果、日本のインターネット利用史の中では、2種類の《グレシャムの法則》――すなわち、(a)レイシズムを不快とする勢力と快とする勢力の衝突で後者がつねに勝利すること、(b)誠実に話をしようとする勢力と、まじめさを引っかきまわそうとする勢力の衝突で後者がつねに勝利すること――が観察されることを指摘した。さらに、「悪貨(a)」の正体は一部のレイシストによる「排除的レイシズム」であり、「悪貨(b)」は大多数のマジョリティによる「同化的レイシズム」であるという推慮を述べた。

7

6,000원

日本語の連体修飾節を囲んだ研究で主名詞は主に修飾節との意味関係や連体述語の文法カテゴリーに関連して究明されてきた。また、従来、主名詞を対象にする研究も形式名詞と連体節との接続形式が主な研究テーマーであった。本稿は日本語の感情を表す名詞が主名詞として機能し、その語彙的な意味合いが主節の述語にどれぐらい影響を及ぼすかを考察し、究極的にはその結果を類型化することを目標にしている。日本語の感情名詞は他の品詞で転成された名詞が多数を占めていて、これは意味や形態的にも自立性が低いということを意味する。したがって、先行文で触れたことがある名詞でも、感情名詞の場合には照応型の形式を付加せずには不完全な文章と解釈されるので日本語の代表的な照応形である「その」が主名詞に前接する形で完成するのである。本稿は上記のように照応形を必要とする感情名詞の構文的な特徴を理由でもって、考察対象として修飾節を持つ主名詞を選んだ。 そして、主名詞の語彙的な特徴が主節術語に及ぼす影響を考察した。その結果、知覚動詞、感覚動詞、存在動詞、発話、伝達動詞、変化動詞といったタイプと類型化することができ、感情を表す主名詞に意味的にふさわしい知覚、感覚といった動詞類が類型を成している。要するに、主名詞が主節述語に意味的に与える影響は看過できないものと結論づけよう。

8

5,700원

本研究は日本近代国家形成時期における警察制度の特徴と日本人が持っていた警察に対するイメージを中心に紹介・考察するものである。日本の近代国家建設と同時に進められた警察制度の導入は、明治新政府の「近代化」施策に対する農民や士族などによる反政府闘争および、「自由民権運動」に対応する形で行われた。そのためにフランスやプロシアの中央執権的警察制度をモデルとした警察機構の整備が進められ、日本の警察は国家警察的な性格を強く帯びるようになった。そして、同時に日本の警察は行政警察業務の一環として衛生・風俗・消防など幅広い分野の領域の業務を遂行していったが、警察は政府が押し進める「近代化」施策を強制する物理的な力として一般民衆の日常生活にまで介入した。このような過度な介入は日本人の反発を招き、警察に対する揶揄、暴行および警察署を襲撃する大規模な暴動まで起きるようになった。特にコレラに対する警察の検疫活動が民衆の反発を深化させる要因となった。警察による強制力を伴う日常生活に対する過度な介入は、しばしば暴力的に行われたため、警察に対して形成された日本人のイメージは恐怖と忌避の対象というものであった。特に明治初期における警察の出身が武士階級に片寄っていた事実は、一般民衆に対する権威的で傲慢な態度で表われ、これは「近代化」施策の尖兵であるはずの警察が却って「前近代的」な性質を強調する結果になってしまった。このようなイメージは警察を蔑む態度に繋がった。当時、警察巡査の生活水準は極めて低く、これも民衆が警察を無視し、冷やかす原因ともなった。一方、自由民権運動を主導していた民権家らは警察に対し一般人に持っていた恐怖、忌避のイメージとは少し異なったイメージを持っていた。民権家らは政治活動に介入․弾圧する警察に対し、民衆の自由を制限する専制政府の走狗、民衆の敵というイメージを持っていたと思われる。つまり、明治政府の近代化施策の尖兵としての役割を担当していた日本の警察は、その強圧的な国家警察および幅広い行政警察の実施のため、日本人に警察の暴力性と前近代性を刻印し、恐怖、忌避、無視の対象というイメージを形成するようになったのである。

9

6,400원

Romance of the Three kingdoms(三國志), written by Luo Guanzhong(羅貫中) in the 14th century, is a Chinese historical novel. In Korea, this novel is widely read as a book teaching the rules of everyday practical life. Although we usually take it for granted that Romance of the Three kingdoms shows the way of conduct of life, such recognition has been accepted since the period of general mobilization. During the period of general mobilization, Romance of the Three kingdoms was translated and published in Japan and Korea. It means that we need to deal with various versions of Romance of the Three kingdoms in the frame of its social and historical context. When Romance of the Three kingdoms was translated into Japanese in the 1920s, it was frequently used to represent premodern images of China in magazines and newspapers. Even some versions of Romance of the Three kingdoms went along with discourses of Greater East Asia Co-Prosperity Sphere(大東亞共榮圈). This suggests there was a possibility that contemporary discourses could be projected into the narration of Romance of the Three kingdoms. Thus, this study regards Romance of the Three kingdoms, especially which was translated during the period of general mobilization, as a meaningful text. Romance of the Three kingdoms could be considered the indicator of sociocultural discourses in the period of general mobilization (1937~1945).

 
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