국내 소장 중국 秦 · 漢代 와당의 제작기법 고찰 - 유금와당박물관 소장자료를 중심으로 -
한국기와학회 한국기와학보 제4권 2021.12 pp.70-98
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瓦葺き建物と本来無縁であった北アジアの諸民族は、建国に際して漢民族の瓦作りを受 容しながらも、独 自の着想や理念に基づいた瓦を創製し、瓦作りの発展に貢献した。本稿は、その歴史に ついて遼西夏金 蒙元代の軒平瓦に焦点を当てて報告するものである。①まず遼は10世紀初めに、そ れまで意識が低か った軒平瓦の装飾性を向上させるために、「上方包み込み技法」によって瓦当面を拡大 させた段顎の軒平瓦 を創製した。北宋は10世紀後半にその影響を受容した可能性がある。また北宋は「折り 曲げ技法」と「上方笵 型施文法」を組み合わせた技術で新たな軒平瓦も製作し、これは1126~1127年の靖康の 変で金軍によって 開封から皇族とともに連行された瓦工人によって金の領土内へも伝えられたが、南宋滅 亡とともに途絶えた。 ②つぎに仰臥式垂尖形軒平瓦(いわゆる滴水瓦)の創製についてである。北宋は11世紀 前半に伏臥式垂尖 形軒平瓦を創製したと推定され、これは『営造法式』の記述とも整合する。そして西夏 は11世紀中葉に宋の伏 臥式垂尖形軒平瓦を改変して仰臥式垂尖形軒平瓦を創製し、続いて金は12世紀前葉に属 国となった西夏 の仰臥式垂尖形軒平瓦を仰臥式扇形軒平瓦に改変して西夏との差別化を図ったと考えら れる。西夏を滅亡 させたモンゴルは仰臥式垂尖形軒平瓦を受容し、元明清はそれを継承した。以上の 軒平瓦は「下方笵型 施文法」と「包み込み技法」を組み合わせた技術で製作されているので、最初に北宋は この技術を高麗から 受容したのかも知れない。③軒瓦の瓦当面と丸平瓦部が鈍角をなす接合技法は、金ま では出現しておらず、モンゴルか元が創製したといえる。李氏朝鮮はこれを明から受容したが、専用の成形台を創製した。④屋 根の大隅降棟端を磨羯魚形棟飾瓦で装飾するのは遼と北宋から開始され、鴟尾から鴟吻へ、獅子龍 面文鬼瓦から垂獣へと変化した。隅棟に国家的理念に基づいて小型動物形棟飾瓦(『営造法式』の走蹲 獣)が複数配列されるのは宋から開始され、元からは猴烏頭有翼神獣が新たに加わった。『営造法式』によ れば、建物の等級によって走蹲獣の数は増減する。⑤北魏以来、黒色研磨処理した波状重弧文軒平瓦が 最上位であったが、遼では緑釉の波状重弧文軒平瓦が陵寝建物用として加わり、宋では緑褐釉とともに黒 色研磨の上方笵型施文軒平瓦が最上位となり、西夏では緑釉の仰臥式垂尖形軒平瓦が、金では緑釉龍文 の仰臥式扇形軒平瓦が、モンゴルでは緑釉龍文の仰臥式垂尖形軒平瓦が最上位となり、元ではそれを内 黄釉外緑釉に発展させた。⑥以上の軒平瓦の変革が朝鮮半島と日本へ与えた影響について考察した。元侵 攻後の13世紀後葉の高麗では仰臥式扇形と垂尖形の折衷形軒平瓦が製作され、琉球では高麗から扇形軒 平瓦が直接移入され、そして日本では山口市だけで大内氏によって14世紀に高麗から瓦工が招聘されて垂 尖形軒平瓦が製作された。中国では政治経済的に唐宋変革があり、それは瓦にも影響しており、そのこと は高麗と鎌倉時代の日本における古代から中世への変革期においても指摘できる。
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