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3次元假想空間を利用した日本語教育 ― 異文化理解への新たな試み ―
동일어문학회 동일어문연구 제21집 2006.02 pp.1-8
※ 원문제공기관과의 협약기간이 종료되어 열람이 제한될 수 있습니다.
日本語教育の新たな試みとして日本のお茶の水女子大学と韓国の同德女子大学が米国CRG(Created Realistic Group)が開発した「VXInteractive Distribited Learning Client(以下、CRGと表す)」というシステムを用い、3次元假想空間を利用した海外遠隔授業を行った。韓国ではこれまで様々な形で異文化教育が行われてきたが、CRGによって韓国にいながらにして日本にいる学生と一緖に授業を受け、意見を交換し、文化交流の場を持つことができた。日本文化を「知る」から「理解する」へ行くために何が必要か。ある文化事項について、その背景と理由を知ることではないだろうか。実際に日本人学生とコンピューターの畵面を見ながら,同じ空間の中にいる感覚で,音声を通じて異文化理解を深めることができる點では,CRGは適している。ただし,これから技術的な面での補充が求められる。今回の遠隔授業が実験で終わらないようにするためには,何よりも大学でのシステムの構築が必要であり,このような授業形態をどんな形で授業に取り入れるのかを決めなければならない。そして,日本人学生の役割や彼らの招集をどうするか考えなければならないだろう。
新聞は現代人にもっとも多く読まれている読み物のひとつであり、最近では、韓国語を日本語に訳して新聞社のホー厶ページなどに掲載したりもしている。新聞記事は、ある事件を正確かつ迅速に伝えることが主な目的だが、同時に分かりやすく、読みやすい内容となっていなければならない。 本稿では、記事文をより分かりやすくするためにはどのような"短文化"の方法があり、また短文化した場合にリーダビリティーがどのように変化するかについて考察してみた。連体修飾構造をなくした時や、もともとの記事文が長い時ほど短文化によるリーダビリティーの向上幅が大きいことが分かった。
本稿では、他動性と使役性に関する定義を取り上げ、他動性の原型を表す形式は有対他動詞であり、使役性を表す形式は「(さ)せ」であることを見た。そして、他動性と使役性の類似点と相違点を他動詞文と自動詞文の使役文の対立に基づいて説明を試みた。他動性と使役性の類似点は、両者に働きかけと変化の二つの出来事が存在し、両出来事には因果関係が成り立つということである。相違点は、働きかけの対象である「を」格名詞句の性質を分析することでは説明できない例を取り上げ、視点を主語へ移して、主語の事態成立へのコントロールの範囲の違いで説明した。他動性を表す他動詞文は主語のコントロールが働きかけと変化の両段階に及ぶことを表す形式であり、使役性を表す使役文は主語のコントロールが働きかけの段階には及ぶが、変化の段階には及ばないことを表す形式である
測定対象の定義(構成概念の定義)から日本語能力試験の問題点を考える
동일어문학회 동일어문연구 제21집 2006.02 pp.45-62
※ 원문제공기관과의 협약기간이 종료되어 열람이 제한될 수 있습니다.
本稿では日本語能力試験の問題点として構成概念の定義(測定しようとする対象を決めること)に原因があることを指摘した。日本語能力試験の以外の構成概念の定義方法について見た結果、これからのテストの構成概念の定義方法は相互作用的(能力+場面)であるべきことが分かった。そして、一般的熟達度テストでは熟達度尺度を利用することにより相互作用的に構成概念を定義することが可能ではないかと提案した。
森山(2005)では、認知言語学的観点から日本語の格助詞の意味構造と習得との関係が考察されている。本稿はこの成果を日本語教育へ応用することをめざしたものである。多義語に関する認知言語学的研究は、現在の教科書や辞書が示しえていない語のプロトタイプ的意味やスキーマ的意味などの意味構造を明示的に示すことができ、その習得や教育に役立つであろう。意味・用法が類似の格助詞の違いを教えるには、まず各々のプロトタイプ的意味をはっきりさせ、違いを明確にし、その上でそれらの意味拡張がどのように動機づけられ、どの程度まで行われているかを明らかにするとよいであろう。また、認知言語学ではプロトタイプ的な意味・用法の習得が早いとされていることから、これを日本語教育に応用し、プロトタイプ的な用法を先に提示し、それが定着した後に、拡張的用法へと進んでいくことが望ましいと推測される。さらに、拡張的用法を教える際に、拡張の動機づけや共有する意味(スキーマ)を提示しつつ教えることが望ましいであろう。最後に、認知言語学が第二言語教育へ提言すべきこととして、ボトムアップのプロセスの重視、言語運用の重視、意味のカテゴリー構造の明示、語彙学習的側面の重視、認知能力発達に対する配慮、百科事典的な背景知識の重視、言語類型論的特徴の重視などを挙げた。
本稿は、2003年度に韓日文化交流協会から発行された『日韓地方自治団体間交流実態調査報告書』をもとに、韓日間の地方自治体における国際交流の実態を把握し、分析を試みた。 2003年現在、韓国内の14の広域自治団体・50の基礎自治団体(計64団体)が日本の地方自治体と交流締結をしており、人口や規模、地域特性(特産物や風土など)の類似性・地域の活性化や発展のため・距離的な近さなどから締結を結んでおり、公務員の相互派遣や訪問などといった人的交流やお互いの経済発展を目指した経済交流などを中心に、交流を進めていることが分かった。 しかしながら、予算の問題などもあり、単発的な交流に留まっている団体が多く、双方の異文化理解を促進するような効果が得られていないことが推察された。また広域自治団体と基礎自治団体とでは、交流に対する認識や問題点も異なっていることが分かった。 この地方自治団体の交流を日本語教育の観点から考えると、これらも一つの学習リソースとして提示し活用できる人材、及び行政と連携を図ろうとする努力が必要であると考えられる。
「水仙月の四日」には宮沢賢治が一生の課題にした自然と宗教、人間というテーマがよく表われている。 賢治の故鄕の東北地方の花巻の冬を背景にした自然、雪の精霊の雪童子が子供の命を救うということで自然が人間を救うということを象徴的に表している。また、賢治が一生の信念として信じた人間と自然を繋ぐ中間の存在としての法華経の世界を通して、自然と人間、現実世界と理想世界を繋ぐ大事な役割として宗教を表現している。 作品の題目の中に表われた水仙月の意味を賢治が故鄕に戻ってから故鄕で希望に溢れた再出発、すなわち<イーハトーブ世界>に向けた 童話創作を意味しているという面で考察した。 最後に作品の中に登場する三色の象徴性について研究した。白色は自然を象徴する色で、赤色は生命と躍動する未来を象徴的に表している。青色は法華経の経典を象徴している。作品の中ではやどりぎを通して表現していて、信仰、希望、信賴を强調していたと考える。 自然と宗教から出発した賢治の童話世界が幻想と現実という空間を飛び越えて、一つの新しい世界を創造する。それは正に<イーハトーブ世界>であり、このような認識を賢治文学の再出発という視點から研究した。
本論文は、1930年から1940年にかけて、植民地下朝鮮での日本語教育の実情について探ってみたものである。 本研究の基本的な視点は、言語の持つコミュニケーション機能が日本語教育にいかに反映されているのかを当時の「話し方」教育における教授法の問題と結びつけることである。したがって、「国語(日本語)」という規範の位置を朝鮮人に対するコミュニケーション問題との関連のなかで示すために、とりわけ、1942年、『国語文化講座』第6巻「国語進出編」に掲載の「朝鮮における国語教育」という森田梧郎の論文を主に取り上げた。その結果、発音の問題、語法の問題、内容の問題、教師の問題の四点が、母語をもつ者に対する「国語教育」にまつわる「言語問題」の現象として確かめることができた。この時期の日本語教育は「国語政策」として位置づけられ、まさに第一言語(母語)ではない日本語が「国語」として教育されていく。こうしたイデオロジカルな言語論に依存していた国語論がコミュニケーション問題として現われたことは、音声重視の外国語教授によって、日本語教育の変化の一つであることにほかならない
「女賊」は西鶴の作品『新可笑記』卷五の四「腹からの女追剶」を素材として描いた作品である。原話がある以上太宰が元の話からどのような「自分の世界」を作り出したかという点に注目しながら原話との違いに重点を置いた。まず、重要な違いとして原話では「母にも勧めて」としか書かれていないのに対して、「女賊」の方では出家の覚悟を迫られた母が、「まつさきに黒髪を切り」と出家への一種の主体性を見せる点が指摘できる。ここで問題とされるべきなのは、母娘達の出家への語り手のコメントの仕方である。原話では、冒頭において、いわば諺的な俗説として「物には同気相求むる事善に在り、悪に殊更なり」と「古代の人」の言が挙げられる。が、姉妹の欲心が一挙に発心へと結びつくという話を経ることでこの俗説は最後で引っくり返される。三人の発心は俗説を越える真実のものとして描かれているのである。ところが、この原話と比べると明らかであるが、「女賊」の語り手は三人の出家によってこれまでの罪が許されることに懐疑的である。しかもその罪は「父子二代の積惡」とされ、既に亡くしている父親の悪と娘達の悪を重ねてこれらが共に母娘三人の懺悔すべき罪とされている。ここで当然生じる疑問は、娘達が何故父の罪までも引き受けねばならなかったにか、更に、その「父子二代の積惡」が問題になっているところで、敢えて触れられていない母親の存在はこれにどう関わって来るのか、ということであろう。懺悔すべき罪罪が「二代」にわたっているということが原話の方で特に触れられていない以上、この点はあくまでも作者太宰が作品に付した意味を考えさせる要素となっているはずなのである。このように結末で作者が問題としている点の違いを発端として検討してみた。その結果発心譚としての西鶴の原話における娘達の出家の真実性は、「女賊」にあっては京女の発心の欺滿性を語るために引き合いに出されたものであり、話の中心は出家そのものとは別のところにあったということである。即ち、山賊が自らの悪業を悔い懺悔する発心譚に、敢えて京女の罪への無自覚を対置させ、山賊の悪業とその罪の軽重を問うちる点で、「女賊」は太宰がこれまで他の作品でも繰り返し描いてきた本質的な<悪>の意味を、血筋と主体性の関係において明らかにしたのである。
ひとりひとりの人間が,それぞれの個性を持って存在しているように,一つ一つの語もそれぞれの意味なり性格なりを持って存在している。二人以上の人間が集まってなんらかの社会的な関係を結び付けていくように,二つあるいは二つ以上の語がなんらかの文法的な関係を持って結び付いているのである。 本稿では,動詞と名詞を中心に,結び付いたとき生じる意味関係について述べることにする。只,「早く帰る」が動詞句なのか文なのか,「年取った親」の「年取った」が複合語なのか単一語になっているのか,というような形態上の問題には深く入りしないこととする。ここでは,まず,語,句,文の意味と機能動詞の定義及び諸特徴などを取り調べ,さらに日本語の動詞と名詞を中心にその意味的結合関係について,重点的に研究分析する。
韓国における言語政策や社会的ニーズから見た現代の日本語教育は、交流のための教育理念が主流をなしている。にもかかわらず身の回りにある多様な日本語関連リソースは、教育に取り入れている割合があまりにも低いのが現状である。その理由として考えられるのは、学校教育中心と試験対策中心の日本語教育現場の傾向である。学習者の多様なニーズに応えるとともに多様なレベルの学習要求を満たせる日本語教育にするためには、リソースの積極的活用が求められる。本稿では、リソースに期待できる教育的役割の発見と、とりわけ、人的リソースを活用した「交流」という教授法を取り入れるためのリソース・リテラシーの必要性について論じる。従来の試験中心の狭い視野での日本語教育を克服し、多様なニーズとレベルに応えられる開かれた日本語教育にするためのリソースの活性化に向けての改善策を提案する。
本研究はアニメーションの登場人物の翻訳について実験言語学的な立場で考察していった論文である。本研究では名前の翻訳方法として翻案を支持している。翻案は、名前の意味を解釈し、再創造する作業であるので、本研究では正しい翻案のため先行されなければならない過程である名前のイメージの正確な解釈のために、SD法実験を行った。実験においては、被験者(韓国人107名、日本人106名)に五つの登場人物名を提示し、各名前ごとに15のイメージ項目の形容詞対を見て7段階の尺度で答えるようにした。その結果を分析して次のような名前のイメージと両国間の差をみることができた。 「ケンイチ」について韓国人は、男らしい、おとなしい、老いた、しっかりしたというイメージを感じる。日本人は、男らしいと感じるのは同じだったが、古い、非常に平凡であると感じて性格の評価においては中間という答えが圧倒的であった。「ロック」については両国のイメージに大きな差がなく、韓国人は男らしい、強いというイメージを感じ、日本人も非常に男らしい、強い、活発な、若いというイメージを感じた。「チヨコ」については両国共に女らしい、小さいというイメージを持っているが、韓国人がやさしい、かわいい、若いというイメージを感じるに対して日本人は非常に古い、おとなしい、ださい、老いたというイメージを感じる。「ゲンマ」については、日本人はまず非常に珍しいという反応が最も目立つ点で、そのイメージは男らしい、活発な、強いというのであった。韓国人は男らしいというイメージ以外には目立つ特徴はなかった。「ネプ」は両国共に珍しいという答えが目立った。次は、上の五つの名前のなかで文化差の大きい三つの名前(ケンイチ、チヨコ、ゲンマ)を翻案するための設問調査を行い、「ケンイチ」は철수、민수、영수に、「チヨコ」は순자、미자、영자に、「ゲンマ」は강혁、창민、건태に翻訳するのが適切であるという結果を得た。 今後もこのような名前のイメージ、あるいは音素のイメージを明らかにする研究が続けられると、名前の適切な翻訳の可能性はますます増えると思われる。
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