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韓日의 歷史對話-和解와 相生을 위한 오딧세이 KCI 등재후보
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제19집 2006.10 pp.15-48
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最近、韓國と日本兩政府は、歷史認識をめぐって極度の葛藤や對立關係を見せている。それは兩國國民の世論を反映した面もあろうが、基本的には廬武鉉大統領と小泉純一郞首相との正面對立からはじまったことと考えられるのだ。一方、兩國の歷史硏究者をはじめ歷史敎育者․市民運動家など、民間レベルにおいては多樣なチャンネルを通じて歷史問題に對する樣々な意見を交換している。これには中國․ヨーロッパ․アメリカの關係者たちも參加して、歷史對話の外延は東アジアはもちろん、世界へと擴張していく推移を見せている。同時に、歷史對話の廣さと深さ、內容と水準も飛躍的に向上している。今後、このような狀況が續けられると、兩國に宿命のごとく垂れかかっている歷史の暗い影をはらいのけることができるかも知れない。 しかし、韓國と日本の歷史認識に對する相互理解が、歷史對話を通じて一直線のように改善されるとは思わない。いまだに韓國と日本は相手の歷史認識を疑い、懸念している。場合によっては、兩國の政治勢力が歷史葛藤をおだてて、ナショナルリズムを强める道をたどるおそれもある。2005年以降の兩國政府の行步がその可能性をうらづけている。したがって、韓國と日本は歷史和解の道を步むというよりは、たかが'凝った負の遺産'をあえてふれないか、記憶から消してしまう方向へ進むと考えた方が正しいかも知らない。 このような狀況の下で、韓國と日本の歷史硏究者․歷史敎育者․市民運動家たちは、今までの歷史對話をより擴大し、共用の歷史敎材を共同で編纂し普及することによって、民間レベルの相互認識を促進しなければならない。一時、敵對關係にあった國家どうしの歷史認識を互いに理解して共有することは、おのずとそうなるものではない。兩國の關係を改善しなければならないという必要性を切におもう人たちが、これを先導し牽引しなければならない。韓國と日本は歷史對話を續けることによって、'歷史の傷跡'を'未來への共榮'へと変えていかなければならない。
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淺川巧の對話精神-朝鮮に對する留保的な視線を求めて- KCI 등재
단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 일본학연구 제22집 2007.09 pp.497-519
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淺川巧(1891ー1931)は1914年、植民地支配下の朝鮮に渡り山林關係や朝鮮工芸などの硏究に携わった人物である。そして「民芸」運動の創始者として知られている柳宗悅に大きな影響を与えた人物でもある。本稿では具体的に第Ⅱ章ではテクストとして淺川巧が韓國ではどのように讀まれているのか、そして第Ⅲ章では淺川巧の思想的基盤がどのように形成されているのか、最後の第Ⅳ章では淺川巧の朝鮮認識が世界構造としての彼の民芸論にどのように反映されているのかについての檢討である。淺川巧と柳宗悅ははじめ報告者と硏究者のような關係から始まっているものの、次第に淺川は民芸論において美的価値判斷の基準になる柳の眼(直觀)とある程度距離を保つようになる。それは淺川の民芸論が、朝鮮の陶磁器という道具を通じてその製作․交流․消費のネットワークに參加することによって得られた、朝鮮人との交涉の結果であったからである。このように淺川が朝鮮の民芸品を媒体にして朝鮮人との交涉に成功したとすれば、それはどのように民芸論のなかに投影されているだろうか。本稿では淺川が朝鮮との交涉を、道具という媒体を通じて行っている点に注目している。こうした道具が世界との關係、他者との關係を考える時に重要な手段になるからだ。淺川巧は柳宗悅が主唱した民芸運動の基本理念を誰より徹底しながら、それらを黙々と實踐に移した人物である。社會的に低い身分の陶工が造る陶磁器から、美が生まれた事實を重視していた柳の民芸論は、倫理美學的な方向へ走ってしまう。これに比べて淺川の民芸論は、モノの名称․用途などの實証的な調査に向かう。こうしたモノの調査の過程で、淺川は多くの朝鮮人からの協力を得る。そして民芸調査において朝鮮人との交涉が何よりも重要だという事實を發見する。淺川はモノをとおしての朝鮮人との交涉をするなかで留保的な視線を獲得することができたのである。
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