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가와바타 야스나리 「이즈의 무희」론

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  • 발행기관
    한국일본근대학회 바로가기
  • 간행물
    일본근대학연구 KCI 등재후보 바로가기
  • 통권
    제14집 (2006.11)바로가기
  • 페이지
    pp.77-91
  • 저자
    김순희
  • 언어
    한국어(KOR)
  • URL
    https://www.earticle.net/Article/A56065

※ 원문제공기관과의 협약기간이 종료되어 열람이 제한될 수 있습니다.

원문정보

초록

일본어
川端康成の「伊豆の踊子」を論じる時、必ず言及されるのが物語に表れている「孤児根性」である。周知のように、川端は十六歳になるまでに父母、祖父母、姉までをも肉親達を全部失っていた。このことが作品にも投影されているとして、作家の伝記的な事実から作品を読み解こうとするのが主流であった。さらに、川端自身の伊豆への旅行体験があるがために<私小説>に近いものとして先行研究が行われていたのも事実であった。このような研究状況に疑問を抱いていた近藤裕子は、昭和五十五年「󰡔伊豆の踊子󰡕論」を三回に分けて次のように論じた。(上)では研究史批判を、「(中)における作品論を経て」、(下)に至って「今後の課題とそれに対するアプローチの方法」論を提示したのである。この論をきっかけとして、「語り」の構造に注目することになった。以後平成に入ってからは、上田渡、原善、田村充正、石川則夫らによって<恋愛物語>.<浄化物語>としての「伊豆の踊子」の読みのコードが解体される段階まで来ていた。
 筆者は「伊豆の踊子」が一人称回想小説であることと伊豆旅行体験を念頭において、語る現在における「私」の<記憶>に注目し、語りの構造から論を分析した。語る現在においても鮮明に覚えている「船室」の「真暗ななか」での「生魚と潮の匂ひ」、「少年の体温の温まり」、大量の「涙」が「何も残らないやうな甘い快さ」として「私」に蘇ることで、「伊豆」という場所と共に「踊子」への思いまでが復活して来たのである。筆者は作品「伊豆の踊子」には二つの物語があると思って、主人公「私」の物語を<恋愛の物語>とし、語り手「私」の物語を<認識獲得の物語>と想定して論を展開してみた。その結果、踊子への淡い<恋愛の物語>と差別意識への<認識獲得 の物語>といっても、これらは「伊豆の踊子」の中でしか読みとれないものであることがわかった。つまり二つの物語が収斂される場が「伊豆の踊子」になるわけであった。「伊豆の旅」を終えた「私」を、語る「私」がまるでが「伊豆の踊子」の観客のようになって、語りながら最後の「涙」のカタルシスにまで至る過程を描いたのが「伊豆の踊子」であったのである。

목차

<要旨>
 Ⅰ. 서론
  1. 선행 연구와 연구 목적
 Ⅱ. 본론
  2.1 이야기의 구조
  2.2 「나」와 무희의 이야기
 Ⅲ. 결론
 <參考文獻>

저자

  • 김순희 [ 김해대학 강사 ]

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

간행물 정보

발행기관

  • 발행기관명
    한국일본근대학회 [The Japanese Modern Association of Korea]
  • 설립연도
    1999
  • 분야
    인문학>일본어와문학
  • 소개
    본 학회는 한국, 일본의 문학 및, 어학, 문화, 사상, 역사 등 여러 분야의 연구자 및 대학원생의 연구성과에 관한 자유로운 발표, 토론을 통해 학문발전과 학술교류를 행하고자하는 목적에서 설립되었다. 따라서 본 회는 이러한 목적을 달성하기 위해 학술연구발표회 및 연구회와 학술지 발간, 국내외 관련 학계와의 학술교류, 관련정보의 구축 및 제공 등의 사업을 실시하고 있다.

간행물

  • 간행물명
    일본근대학연구 [ILBON KUNDAEHAK YUNGU ; The Journal of Korean Association of Modern Japanology]
  • 간기
    계간
  • pISSN
    1229-9456
  • 수록기간
    2000~2019
  • 십진분류
    KDC 830 DDC 895

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