草梁倭館의 폐쇄와 일본 租界化과정
草梁倭館の閉鎖と日本租界化過程
초양왜관의 폐쇄와 일본 조계화과정
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한국일본사상사학회 바로가기
간행물
日本思想
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통권
제7호 (2004.10)바로가기
페이지
pp.115-149
저자
장순순
언어
한국어(KOR)
URL
https://www.earticle.net/Article/A306348 복사
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원문정보
초록
일본어
本稿は、近代韓日関係の展開過程における近世倭館の性格と、その地 位がどのように変化したかについて考察したものである。検討対象時期は、 1868年の日本における明治政府成立から、1876年の朝日修好条規、そし て1877年の釜山口租界条約の締結によって、草梁倭館が日本の專管居留 地に転換するまでとした。 硏究結果をごく簡潔にまとめると、次の通りである。 第一点は、1873年に明治政府が草梁倭館の名称を大日本國公館に変 更し、外務省直屬に編入した「倭館接收」行爲は、明治政府成立初期 から準備された日本の緻密な対朝鮮侵略意圖の結果であったという点であ る。草梁倭館は朝鮮の対日交涉窓口であった対馬島に対して提供されたも のであり、もし対馬島が交涉窓口としての機能を喪失するならば、倭館の存 続は必要でなくなる。そうなれば、倭館の管理と管轄は、対馬島から朝鮮政 府に還元されねばならず、倭館が位置する草梁地域は、當然釜山の草梁 邑に帰属することにならねばならぬ。それにも関わらず、明治政府は朝鮮政 府に対して何の協議もなく、対馬島から倭館の移管を受け、外務省直轄の 公館としたのである。 第二点は、日本の明治政府は、条約內容を変質させてまでも自分たちの 不法行為を合理化した点である。1876年の朝日修好條規をはじめ、朝日 修好條規附錄、釜山口租界條約など、朝鮮と一連の条約を締結する過程 で、その內容を巧妙に変質させ、倭館地域を日本の專管居留地にしたので ある。その中でも、1877年に締結された釜山口租界條約は、釜山が日本 の專管居留地化するのに決定的な役割を果たしたのみならず、以後の元 山、仁川、木浦、馬山などが日本專管居留地として設定される際や、朝 鮮が西欧列强各国と締結した租界条約のモデルとなったという点からも、特 に注目すべきである。 この問題は、朝日通交體制の改編過程で、近世倭館をめぐる解釈が日 本政府によってどんなに不法的かつ恣意的に行われたかということを垣間見せ てくれる。そして倭館は以後、日本の韓半島侵奪の前哨基地となる運命をた どることとなるのである。
목차
Ⅰ. 머리말 Ⅱ. 일본 메이지정부의 ‘왜관접수’와 조선의 대응 Ⅲ. 왜관의 일본 조계화 Ⅳ. 맺음말 日文要旨
키워드
초량왜관
메이지정부
조일수호조규
조일수호조규부록
부산구조계조약
특별거류지
일본전관거류지
근세왜관
쓰시마번
일본외무성
草梁倭館
明治政府
朝日修好条規
朝日修好條規附錄
釜山口租界条約
特別居留地
日本專管居留地
近世倭館
対馬島
日本外務省
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한국일본사상사학회
[Korean Association For Japanese Thought]
설립연도 1997
분야 인문학>철학
소개 한국일본사상사학회는 일본사상 및 그와 관련되는 분야를 체계적으로 연구하고 회원상호간의 긴밀한 학술교류와 친목도모를 목적으로 1997년 설립되었다.
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2. 학술지 및 연구 논저의 편집간행,
3. 국내외 연구단체와의 학술교류,
4. 본 학회의 설립목적에 부합되는 사업을 실시한다.
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간행물명
日本思想
[일본사상]
간기 연3회
pISSN 1229-9235
수록기간 1999~2026
등재여부 KCI 등재
십진분류 KDC 153 DDC 181
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