「から」と「ので」を教える場合にいつも遭遇するのは、日本人社会の現実の使用が、教室で教わったとおりではないという学習者の不満であると富田(1991)は言う。その原因の一つを「永野論文以降の研究の主観/客観の区別の代案の多く─私の論理/対象の論理、またphenomenal knowledge / structural knowledgeなど─が、結局は主観/客観の区別に還元できてしまう」と指摘する岩崎(1955)の問題意識に見ることができる。 本稿では、主観/客観の区別に還元されない道具立てとして、意味論的接続と語用論的接続という次元の異なる捉え方を援用することを提案する。つまり、多くの先行研究で大同小異に言及されている「から」の「強すぎる感じ」と「ので」の「和らげる感じ」というものの根本的な性格の違いをどこに求めるべきなのか、また、「から」と「ので」の使用条件として必ず引き合いに出される文体(だ体/丁寧体)に絡む問題をどう捉えるかについて、「から」には命題性が、「ので」には待遇性が特徴づけられることを指摘した。また、以下の引用の如く、接続語を捉える概念の違いは、結局のところvan Dijk(1981)の接続を捉える二つの次元に行き着くものであり、同時に、意味論的接続と語用論的接続という次元の異なる捉え方の援用によってのみ、「から」と「ので」の微妙な違いを説明できることを述べた。 言葉を用いる実際の言語使用において、「から」と「ので」という似たような選択肢を使い分ける基準は、何かを伝えるための発話者の趣が、命題寄りなのか、聞き手寄りなのか、というレベルの差として捉えるべきことを認めてはじめて両者の違いの説明がつくものなのである。 An adequate theory of natural connectives involves both a semantic and a pragmatic account. At the first level they represent all kinds of connecting relations between ‘facts’(the values of propositions), and at the second level they represent more the relations between speech acts. Thus, connectives may function as semantic or pragmatic connectives. 自然言語の接続語を扱う適切な理論は、意味論的説明と語用論的説明の両方を含む。第一の次元では、接続語は「諸事実」(命題の真理値)間のあらゆる接続関係を表示し、第二の次元では、それよりも発話行為間の関係を表示する。よって、接続語は意味論的または語用論的接続語として機能することができる。(vanDijk,T.(1981)StudiesinthePragmaticsof Discourse.(p.23) 日本語は筆者訳。)
한국일본언어문화학회 [Japanese Language & Culture Association of Korea]
설립연도
2001
분야
인문학>일본어와문학
소개
본 학회는 일본어학 및 일본문학은 물론, 일본의 정치, 경제, 문화, 사회 등의 일본학 전반에 걸친 연구 및 일본의 언어, 문화를 매체로 한 한국과의 비교 연구를 대상으로 하고 있다. 본 학회는 회원들에게 연구 발표 및 정보 교환의 기회를 부여하고 나아가 한국에서의 바람직한 일본 연구 자세를 확립하는 것을 주된 목표로 하고 있다.