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다자이 오사무(太宰治)의 문학연구 -기독교관을 중심으로
太宰治の文学研究 -キリスト観をめぐって

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  • 발행기관
    단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) 바로가기
  • 간행물
    일본학연구 KCI 등재 바로가기
  • 통권
    제36집 (2012.05)바로가기
  • 페이지
    pp.199-218
  • 저자
    전수미
  • 언어
    한국어(KOR)
  • URL
    https://www.earticle.net/Article/A175580

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원문정보

초록

영어
In Osamu Dazai's work, many quotations from Bible attract people's attention. Why did Dazai quote many parables from the Bible? To investigate this, 'Dazai Osamu and Christianity' had been studied continuously. Such that, Christianity is the fundamental keyword for understanding Dazai's literature. Dazai met the Bible thru interacting with a unique Christian organization such as 'nonchurch activists.' Dazai's guilt for his unfaithful, twists and turns of stormy past might be part of their motives. In the meantime, his hypocritical behavior, anxiety, fear and etc. had been turned into a commitment of changed appearance, behavior and mind thru the character of Christ. He heard surprising words which had never been told from the Bible and realized the unexpected wonderful world thru it. So, Dazai quoted words from the Bible in order to apply the learned truth from the Bible into his works and wanted to convey the messages of truth to the readers. Therefore, the Bible was studied focusing on the consideration of the messages. Whether Dazai read the Bible in the gospel or in the commandments is unimportant. In addition, whether his real life was truly sincere or not is not an issue to argue about. Dazai thought the reality he couldn't practice in his life was identical to the other people facing. Therefore, Dazai wanted leave his work quoting Christ in order to confession of himself as a confession of faith and leave a trail of Christ. Dazai thought Christ was his mentor, and tried to run toward the mark of Christ. Hence, Tsukamoto torajiui's 'Bible knowledge' magazine which had lead Dazai to the Bible will remain as a task which would require more thorough research.
일본어
太宰治の作品には聖句を用いた作品が非常に多い。作家生活16年間約150編あまりの作品のうち、聖句が用いられた作品は60作あまり、及び聖句ではないかと思われる言葉や、神について述べた言葉を用いられた作品を合わせると全作品の半分に至る。太宰はどうして作品に聖句を用いたのであろうか。それを究明するために、‘太宰治と聖書’又‘太宰治と基督教’についての研究が活発に進んできた。それほど基督教は太宰文学を理解することにおいてより根本的なキーワードになっているからであると思う。 ‘愛といふ単一神を信じたく内心つとめてゐた’太宰が、世の中にありふれている有名な思想家の格言や故事成語などから引用してもいいことばが多くあるにもかかわらず、聖書の言葉を敢えて引用したのは、彼は聖書からただならぬ真理を見付けたからではないかと思う。聞いたこともないことを聞き、全く期待もしなかったことを聖書を通して悟り、その真理を作品に持ち込んで何かのメッセージとして伝えようとしたのではないか。この論考は、そういったメッセージについての考察を中心として太宰と聖書研究を試みる。太宰は無教会主義というキリスト団体の人たちとの交流を通してキリストに接した。無教会主義はとても聖書的な面が強い団体であることに注目しなければならない。太宰が聖書から認識したものは果たして何であろうか。太宰は聖書を通して自然さを感じてから、彼の文学世界は自然と人工、即ち神と俗世の二つの世界が明確に二つに分けられたことを認識したのである。太宰が聖書に接した動機については、非合法運動の離脱からくる裏切者認識が作用したからではないかと思うのが、一般的な見方である。すると裏切者認識というのは結局罪意識から生じるものではないか。聖書との出会いは罪から始まるのだという。キリスト教のはじまりは罪の問題がその根本になっているからだという。太宰は聖書の世界を通して罪意識から逃れる希望の光を見つけたと言えよう。太宰が作品にはじめて引用した聖句は‘偽善者’である。この言葉は自分と世間の人々に投げ掛けた言葉であると思うが、当時太宰の極めて波乱万丈な過去や現実は彼をどんどん首絞めていく状態に追い込んでいたが、ちょうどその時聖書のキリストというメントを通して自我省察や自愛の機会を迎えることになる。自虐から自愛へと考えが変わった太宰は、当時は戦時であったにもかかわらず旺盛な創作活動をして、‘無報酬の行為’である純粋なキリストの愛を目指していたし、‘明日のことを患うな’という‘言’をしっかりと捕まえて‘新郎の心で生きて’いこうと念入りをしたりした。太宰は聖書を通してキリストを知った。ひたすらキリストだけにすがった。人間らしい人間になる人格をキリストから学びたかったであろう。それから太宰は作品を通して自分で悟ってきたキリストのことばを信仰告白書としてキリストの痕跡をのこしたかったであろう。無教会主義と「聖書知識」についてのより詳しくて綿密な研究を今後の課題として残す。

목차

Ⅰ. 서론
 Ⅱ. 기독교입문
 Ⅲ. 자연의 의미
 Ⅳ. 기독교관
 Ⅴ. 결론
 【參考文獻】
 <要旨>
 Abstract

저자

  • 전수미 [ 대림대 겸임교수, 근대문학 다자이 오사무 ]

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

간행물 정보

발행기관

  • 발행기관명
    단국대학교 동아시아인문융복합연구소(구 단국대학교 일본연구소) [Institute for Convergent Humanities in East Asia (ICHEA)]
  • 설립연도
    1995
  • 분야
    인문학>일본어와문학
  • 소개
    일본연구소는 일본의 언어, 문학, 역사, 정치, 경제 등 인문, 사회과학의 제 분야에 관한 종합적인 연구를 통해 한국에서의 일본연구의 발전에 기여함을 목적으로 한다.

간행물

  • 간행물명
    일본학연구 [The Journal of Japanese Studies]
  • 간기
    연3회
  • pISSN
    1598-737X
  • eISSN
    2465-8448
  • 수록기간
    1997~2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 십진분류
    KDC 730 DDC 492

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