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일본학보 [The Korean Journal of Japanology]

간행물 정보
  • 자료유형
    학술지
  • 발행기관
    한국일본학회 [Korea Association Of Japanology]
  • pISSN
    1225-1453
  • 간기
    계간
  • 수록기간
    1973 ~ 2026
  • 등재여부
    KCI 등재
  • 주제분류
    인문학 > 일본어와문학
  • 십진분류
    KDC 913 DDC 952
제57권 (44건)
No
31

일본어로 번역,소개된 한국문학의 번역현황조사 및 분석

윤석임

한국일본학회 일본학보 제57권 2003.12 pp.473-490

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5,200원

本硏究は1886年から2002まで日本で飜譯·出版された韓國文學について事例分析と內容分析を行ったものである. 韓國文學の日本語飜譯は政治的·歷史的な狀況とは不可分であった.解放以前までは古典文學の飜譯が主をなし,解放以後から1960年まではブロレタリア文學の影響を受けた在日文學者による北朝鮮の政權を支持するような理念的な文學小說の飜譯が自立った.1970年から1980年までは東西間の冷戰時代という世界史の潮流と共に韓國の軍事政權に反對する作品が主に紹介された.特に,抵抗詩人である金芝河,尹東柱,金南祚,伸東曄などの詩が多く飜譯され,抒情詩人である金素月,徐廷柱の詩がほとんど飜譯されていなかったのはこのような派絡から理解できる.1984年にソウルオリンビック開催が決定するとともに,1984年には岩波文庫から『韓國短篇小說』を始め,鄭飛石,朴婉緖,李文烈,蔣正一,馬光洙,越廷來,黃石映などの韓國の純粹文學が日本で飜譯·出版された,日本で韓國文學が紹介されはじめて約120年が經った.この時點で,具體的な統計を通して韓國文學の海外飜譯事業を振り替え,日本での韓國文學の海外紹介事業の基礎資料を提示するのが本稿の目的である.

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太宰治의 『佳日』에서 <笑い>의 國策化

李顯周

한국일본학회 일본학보 제57권 2003.12 pp.491-502

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4,300원

太宰の「佳日」の中には,戰爭期の太宰文學によくみられる國策的要素と非트國策的要素という2重構造が描かれている.それは<笑い>による2重構造であるが,健全な銃後生活を明るく描寫するための3姉妹の「笑顔」と世間に迂闊な「私」のハブニングになる<笑い>,さらに戰時下という世相を反映したと思われる「禿頭」という素材は,讀者たちに<笑い>を提供している.この「佳日」にみられる<笑い>による2重構造は,「四つの結婚」の國策映畵の原作として選ばれる原因として作用している.「佳日」の映像化のブロセスの中で,とのように受容·變容されたのかを追求することによって,「佳日」に讀み取れる國策的要素と非國策的要索という2重構造は一層明らかになる.太宰文學を映畵という異なるジャンルとは接觸という觀點から讀み直すことを目的とする.

33

6,100원

詩集「智惠子妙」の詩作品を通じて高村光太郞の精神を理解するため,詩の構造の複合的な相互關係を分析し,綜合し考察する.特に,本詩集に收錄された29籍の詩たちを一つの敍事物として思い,作家の代りの作品內容の提示者である語り手によって提示された內容とその內容の展開過程とを作品の敍述形式と中心構造,事件や意識の檢討,轉換點と轉換樣相に對する檢討という手順により,1人稱「私」の對稱である2人稱「あなた」の意味化過程に注目して考察する. この詩編の語り手は一人稱「私」の意識氣管によりとられた世界を述べているし,一人稱「私」を主な敍述對象にしているゆえに本作品のstoryは「私」に關する話である.「私」は自分が得られた無形のカの「自然」という想界世界の中であなたと一緖に生活しながら僕等の世界を作り上げつつ生きたい.ために「私のあなた」である智惠子は幼ない兒のように眞であり,あの蒼黑い空の円いお月であり,世界を夢に導き刹那を永遠に置きかえようとする月のような存在を「私」の命の糧食としようとした.だが,その主體は自分自身の自己を形成するところへ傾けられた私のエゴ,上に生活苦という問題などは夫婦間の斷絶が招來され,「私」は智惠子からの「私のあをた」の像を喪失することになる.狂って智惠子になくなられる.死の直前,「私」は智惠子がほしがった「レモン」をやる轉換をする.「私」からレモンをもらった智惠子はもとの智惠子すなわち,最初の私の「あなた」にもとされる.が,それは生きている失體としてのものでなく,しなれて万物のような自然になれ,さらに暗い空の明月という「ぁなた」の像としてことであった.

34

4,900원

韓日近代文學における知識人の價値の指向の姿をみるにあたって,夏目漱石が1910年前後の時代の雰圍氣から作り上げた `高等遊民`は廉想涉が1920-30年代の初期の時代雰圍氣を反映して作りとげた`シパサイザ一`ろいろな面から比較される.その對象が大學敎育を受けた知識人で社會の參考とは一定の距離そ置いている一方表面上,社會の發展になんの役割もはたさない無能な姿として表われていることが類似している.しかし`高等遊民`が社會にたいして傍觀者の立場であるとするなら`シパサイザ一`は表面的には傍觀者の姿勢を見せているが陰性的に社會變革に 參與する姿勢を見せていてその違いを見ることができる. ニ回にわたって日本に留學した廉想涉は"日本にいるあいだ夏目漱石の作品を全部讀んで多くの影響をうけた"と自ら告白したことがある.またこのような影響關係をうらづけるようにかれの作品のなかに夏目漱石の文學用語である`遊民`または`高等遊民`という表現が樣 な作品を通じて使われている. 一方,高等遊民には文明批評や美的享受などの文化的,知的な生の姿勢が要求きれるがシパサイザ一の場合はそのような生の姿勢は見られない.廉想涉は夏目漱石の作品から見た`高等遊民`的な生の姿はけっして好ましくないと判斷し,そこから高等遊民のより發展した形態である`シパサイザ一`に着目したのではないかと考えられる.廉想涉文學の`シパサイザ一`と夏目漱石文學の`高等遊民`のいちぅばん大きな違いは社會變革の參考の有無であると見ることができる.

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4,000원

本稿は一九一○年代に釜山へ渡った日本人による文藝活動に注目し,釜山の日本語新聞『期鮮時報』「釜山日報」の演藝欄を中心に基礎的を調査を行った.とくに一丸一○年代釜山における日本人劇團の演劇活動に注目し.劇團,興行主,劇場,舞臺裝置,興行システム,上演形態などにかんする基礎的な調査を行い,演劇をめぐる物質的な基盤と受容する側のみり方の多樣な要素と流動的を形態の部分に視點を据えて考察した.一丸一○年代の韓國において日本文學および演劇飜案が行われる以前から,釜山の劇場では日本人劇團による演劇活動が行われていた.釜山の日本語新聞『朝鮮時報』と『釜山日報』の演藝欄を中心に基礎的調査を行った結果,一九一○年代に釜山に形成された日本人街には,劇場二ヶ所,寄席二ヶ所,活動寫眞館三ヶ所など舞臺上演施設が設けられ,そこでは新派劇,能,歌舞伎,淨瑠璃,浪花節,活動寫眞,大道藝というさまざまなジャンルの公演が行われていた.かれらの演劇は,釜山の劇場が異文化の接觸する場であったように,ニつの異なった言語や文化の觀客層に向かって演じられるとし特徵をもつものであった.また,本論文は日露戰爭前後かから一九一○年代に釜山をはめ,東アジアの地域を移動しながら演劇活動をしていた日本人劇團の存在を取り上け,大衆文化の一部を擔?ってきた日本人劇團活動を日本の近代演劇史のなかに改めて位置づけようとしたものでもある.

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일본어 학습문화에 관한 실증적 연구

강명호

한국일본학회 일본학보 제57권 2003.12 pp.553-565

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4,500원

本硏究は,都市圈H大學生の意識調査を手がかりにして,日本語學習文化と自己評價意識,生活意識,觀光敎科目志向性,そして改善等いかをる關係を構成しているかを檢證するとともに,それを通して日本語學習の在り方に關して檢討を加えることを目的とする.本調査の配布回收方法として,調査質問紙の配布は授業中に調査票を配布し,クラスごとにまとめて回收依賴 する方法を用い.有效回答數については,有效者數125名で,有效回數率は97.7%であった.なお,同答の統計分析には,SPSS10.7を使用した.共通性の初期値を1とした主成分分析(Principal Components) により,後續因子との固有値の差に基づぃて因子を抽出し,日本語學習文化との取り組みとの關係について檢討した. 主要な結果は次のとおりである,第一に,自己評價意識の構成要素の分析を行った結果,依存志向,不安劣等志向,繼續意欲志向,幸運志向,努力達成志向の5因子を,大學生活意識の歸屬意識,勉學志向,交友志向,趣味志向,私生活志向の5因子,觀光敎科目트志向の1因子,そして改善の2因子を抽出することができた.第ニに,日本語學習文化を目的變數とし,個 の構成要索を獨立變數とした重回歸分析を行っ結果,說明力を持つことが見出された.その統計的分析から,日本語の學習をはかるためには,ことに繼續意欲志向と努力達成志向と努力達成志向,歸屬意識と勉學志向,そして革新志向が最も重要であることが確認された. 本硏究では,從來の日本語敎育で看過されてきた學習文化との關係を統計的な分析をもとに探ってみた.硏究成果からいえば,日本語學習文化と自己評價意識,大學生活意識,そして改善との關係を究明することができた.また,各屬性を單位として檢討した結果,入學前の日本語學習有無,日本文化への關心度,そしてクラスごとに有意差が見出された.このことにより,日本語の學習改善を圖っていくための課題と條件を究明することができた.

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일본에 있어서 다평등화의 실태

具見書

한국일본학회 일본학보 제57권 2003.12 pp.567-584

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5,200원

本橋の目的は,同化主義と多文化主義の理論的限界あるいは日本での限界を檢討した後,新しい理論として多平等化理論を提示しをがら多平等化モデ一ルを具體化した上で,日本での多平等化の實態を考察することにある.多平等化モデ一ルは 多文化化(multiculturalization), 多政治化(multipoliticization), 多經濟化(multieconornization), 多社會化(multisocialization) 等として構成されている.多文化化は生活權の平等, 多政治化は政治權の平等, 多經濟化は生存權の平等, 多社會化は社會權の平等 などを求めることを示めしている.現在日本での多文化化ほ 少數民族敎育, 多言語公共サ一ビス,多言語敎育,地域の語學硏修制度,留學生誘致政策 等として表れているし,多政治化は多民族化政策,多民族受容政策,政治的權利と義務賦與政策 等として表れているし,そして多經濟化は入管法改正,外國人勞動者受容政策,外國人勞動市場の形成,日本企業の外國人採用,經濟的支援,技術投資,ODA支援 等として施行されているし,多社會化は各種社會保障制度,醫療サ一ビス,住宅サ一ビス等として實踐されている.この觀點から見ると,日本での多平等化はガイジンの權利をどのように確保するかという問題にかかわるものである.從って,國際化により構築されている新しい社會での葛藤をのりこえるためには 多平等化制度の構築が必須條件となることは間違いない.特に日本が21世紀に國際國家として發展するためには文化的·經濟的·政治的·社會的多變化に對して多平等化を徹底的に實踐しなければならないと思ねれる.

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일본의 소자화(少子化) 문제 현황과 그 대처(정책)방안에 관한 검토

金世坤

한국일본학회 일본학보 제57권 2003.12 pp.587-602

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4,900원

本硏究は,國內の低出産問題の深刻性に對する認識の擴散と徹底しと對比策の用意のために韓트とかなり類似した現況に直面している日本の少子化の現況とその對策を檢討し,我 の現實とどのような點においてその違いがあり,特色があるのかを比較·檢討できる基礎資料を提供する目的で行なわれた.このような目的で少子化の問題に對する認識とその對處方案摸索において時期的にも企劃的にも多少先立った日本の少子化問題に焦點を??て,その國の少子現狀の現況とその原因,特徵,その解決のための政府の支援政策と基本方向,問題解決のための學者らの論議と接近方式等に對して旣存の先行硏究と統計資料等を基に檢]討した.現行,日本の少子化現況は,まず兒童敎育の減少化趨勢が現在までも繼續されながら現在の趨勢では長期的にも持續されるように展望されているということである.また少子化の原因に對する一般的な見解は,未婚化と晩婚化に因るものと知られてきたが,このような見解に加えて晩産化も少子化の原因の一つになるという見解が出ており,そして夫婦の出生力(出産意慾)が低下される現狀が現われ始めているという點などが擧げられる.一方,少子化對策を圍んで論議,問題點として指摘されている點は,出出産率低下の要因が何であり,現行の家族政策や勞動政策を含んだ「少子化對策」が實質的に出産率の向上に效果があるのかどうか,どの程度の費用を投資すれば結局效果が現われるのだろうか?のような具體的かつ綜合的のである.また少子化問題の支援政策に對する接近方式は,從來の單純な育兒支援に對する政策から仕事と育兒に對する兩方向の支援策策に變ってきたことがわかる.最後に,少子化問題の解決は,育兒支援問題や家族構造?の變化,女性達の意識構造,若者たちの結婚觀の變化などとような家族·文化的な要因と結付させながら接近すべきであるが,より根本的な解決のためには,社會的,文化的,經濟的な多樣な背景と幅廣い觀點からその原因と要因を分析し,代案策を講究すべきであることが指摘されている.結局このような少子化問題は,急激に增加している老齡化の問題と關??ずけてその政策方案そ用意すべきであろうが,現在は老齡化問題解決に豫算の多くの部分が集中されている現美に對しても一部の方からはその分配の均衡の問題を提起していることが明らかになる.

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일본에서의 노동시장의 변용과 『프리터』

金泰永

한국일본학회 일본학보 제57권 2003.12 pp.603-616

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4,600원

最近,若年の失業やフリ-タ-をめぐる議論が高まっている.若者層用の急激な變化は日本的雇用システムと雇用者の生活を堡障してきた賃金システムの轉換を決定つける要因となるだろう. 今後,産業構造の變化と若者意識の變化に伴う構造的問題への對廳が重要である.學校から職業への 圓滑な移行のためには,企業內での長期的育成システム,若者の初職選擇への眞劍な取組みやその環境作りのほか,學校,企業,政府が一體となったマッチングが重要である.特に新規學卒については,より廣い範圍の企業へのアプロ一チなどの取組みが必要である. 若者の就業支援政策は,總合的なものでなければならない.このため,政府は若者の健全育成施策についての總合的なフランを作成し,また,施策の總合的評價と檢討の場をつくる必要がある.さらに,敎育,福祉,勞??などの實踐,硏究,行政などに携わる者は分野を越えて若者の健全育成について知的經驗を共有し,多樣性を生かしつつ連携して支援を進めていかなければならないだろう.

40

5,500원

本稿は昭和戰時期における國家總動員體制の展開過程のなかで,日本の國民各層が總動員體制をどのように認識し,對廳したのかを究明する作業の一つである.方法的には,群馬縣木埼町赤堀の地主の個人文書を主に使って一農民の農業經營の變容を追跡し,この課題に接I近した.

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일본의 화장(火葬)풍속의 정착과정 연구

朴銓烈

한국일본학회 일본학보 제57권 2003.12 pp.637-653

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5,100원

本稿は日本の火葬風俗の定着過程に對する現地調査と文獻調査結果をべ一スに火葬場建設に從うニンビ-現象に關連した認識を總合整理することに目的をおく. 今日日本に火葬率が他の國に比べて,非常に高い理由を日本人は傳敎徒が多いためだと說明するが,これは適切な認識といえない.日本に傳敎が入り貴族社會に信仰されるが,日本全人口に比較してみると非常に限定的なものだった.傳敎が庶民社會まで浸透するには多くの時間がかかったが,火葬場が普及しなかったこともあって庶民の火葬は一般的なことではなかった.火葬が一般化された時期はそれほど古くない.明治維新以後,政府は衛生面と土地活用という厚生政策の一つとして火葬を普及して火葬場建設を主導した.もちろんこのような政策の實行に合せて,日本人の火葬を受け入れる精神的背景が存續したことが認められる. 火葬という死體處理法の一つとして火に死體を乘せる葬法だ.土葬に比べて,短期間に死體を破壞して遺骨化するために火による淨化力が,死者の遺體を積れとみる考え方や死靈に對する恐怖感を緩和させるという觀念があった.火葬した遺骨は大きさと重さが顯著に減り,移動と保管が容易になることが火葬の重要な機能だと指摘できる, 現代に都市の擴大と人口の集中などの都市化現象は,火葬風俗を定着さる基盤にたった.その上,火葬場に對する否定的なイメ一ジを克服するための政策と一般の認識の轉換が行われた.特に現代人のニンビ一現象を克服するための當事者の間の眞劍な議論過程と長期間の建設準備,嫌惡感を克服するために工夫された建築,公害防止に撤底した設備などで,火葬場の必要性と嫌惡性調和させてゆく日本各界の努力に注目しないわけにはいかなかった.

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"朝鮮의 흙이 된 日本人"論 再考 - 아사카와 다쿠미(淺川巧)에 관하여 -

李秉鎭

한국일본학회 일본학보 제57권 2003.12 pp.655-668

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4,600원

本論考では朝鮮と日本のむずかしかった時代に朝鮮を愛した日本人の淺川巧について考察してみた.日本では朝鮮の山林や民藝をこよなく愛した日本人として知られている淺川巧.一方韓國では植民地時代に朝鮮を愛した希な일本人として知られている.そして淺川巧が朝鮮で書いた日記(1922-3年)の公開と伴って,今まであまり知られていなかった淺川の朝鮮認識が明らかになった.この具體的な資料を根提に淺川巧の朝鮮山林論や民藝論を新たに讀んでみようとする.筆者は淺川巧をとおして現在の韓國と日本の政治的な問題への配慮や,未來の希望的な韓國關係を語ろうとするのではない.あくまでも日本人として植民地の朝鮮に渡ってきて朝緯の民藝品の美的價値を高く評價した淺川巧という人物の朝鮮認識を再現することにその目的がある.さらに朝鮮の民藝品という美の發見によって觸發された他者としての日本への批判精神が,淺川巧の宗敎的信念によって一貫されたものであった,という事實も明らかにしたい. 淺川巧は朝鮮で亡くなって現在彼の墓はソウルの忘憂里にある.それで高崎宗司の『朝鮮の士とをった日本人淺川巧』(1982年)は今まで多くの日本人に感動を與えてきた.そして淺川巧の故鄕(山梨縣の高根町)と彼が勤めた總督府の林業試驗場(現·林業硏究員)を中心に追慕祭などが行われている.しかしこのような今までの淺川巧についての先行硏究が感動を前提にしたものであったのも事實だ.それで筆者はこのような感動から離れて改め淺川巧の朝鮮認議や世界觀について考えてみるのが本稿のねらいである.

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"새 역사 교과서"와 ≪日本書紀≫

鄭孝雲

한국일본학회 일본학보 제57권 2003.12 pp.669-684

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本稿では最近韓·日關係における問題になっている歷史敎料書問題をいわゆる`新しい歷史敎科書`と日本古代歷史書である≪日本書紀≫そ比較し, その問題點を檢討した.特に古代の歷史書の編纂科程とその背景を探りをがらニつの歷史書の共通點と相違を踏まえて望ましい歷史認識と歷史敎育の方向を提示してみた.その結果を要約すると次のようになる. 歷史の編纂と改修にあたってはその國家の政治的な目的がある.このような觀點から見ると,その時點ごとに各 の歷史的條件が存在すると思われる.古代の歷史書の編纂科程を見ると,自國の政治の安定化を踏み台とし,自國の國家的位相を對外に知らせようとする支配者の政治的な意圖があったと思われる.そして,すでに造られた歷史書を改修する時には對外的な危機という周邊の情勢を利用し,國內の政治を安定させようとする政治的な意圖があることがわかる.このような觀點から考えると,`新しい歷史敎科書` の編纂意圖は日本は古代歷史書である≪日本書紀≫の編纂意圖と關連性をもつ思われる. 敗戰後の日本の歷史硏究を `暗黑た歷史觀`,`自虐の歷史觀` と規定し,`日本國民に自矜心をもたせる歷史` と自讚するいわゆる `新しい歷史をつくる會` の歷史關は,歷史とは何かという歷史においてもっとも基本的,根本的な問題が理解できない集團の歷史と言えよう.自國民の歷史を自己陶醉的な立場から美化し,自分たちの心情的な安樂を謀るために過去を歪曲または,僞造して抹殺しようとする行爲は再檢討しなければならないだろう. 古代のように國家間の交通や情報が限られている時期においての歷史敍述は統治權力の正當性と優越性を强調するために自分たちの一方的を目安をもって記述する場合も許されたが,近代の市民社會を經驗した現代の民主主義國家においては相互共存という問題についての理解と哲學が必要であると考えられる.日本國內の歷史事件と事實についての判斷と記述は日本人の歷史觀や歷史認識に基盤を置かなければならない,何故なら日本人の自主權に關する問題であるからである.

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언론보도를 통해서 본 한일 커뮤니케이션의 갭

曺圭哲

한국일본학회 일본학보 제57권 2003.12 pp.685-696

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本稿ではまず國家間のコミュニケ-ションギャッブを發生させる一般的な要因と,日韓コミュニケ一ションの構造的特徵を探り,2003年に行われた日韓兩國の現職特派員(または經驗者)との事前インタビユ-を通して得た日韓マスコミ報道に對する全全的な印象を論じる.また,KBSとNHKの報道姿勢についての先行硏究の考察を通し日韓のテしビ報道の差異を整理し,日韓マスコミ報道の差異が發生する原因をマスコミとマスコミ報道の受け手側の認識調査を通し少しでも明らかにしていこうというものである.また.日韓の相互認識は水準をより公正なものにするため,日韓のマスコミがしなければならない努力を提案してみることにした.日韓の相互認識を公正なものに改善するため,敢えてマスコミの役割に注目する理由は,日韓兩國民がお互いに對するイメ-ジを持つのに最も影響を受ける情報源を尋わた結果,他でもない「マスメディアからの影響」と答えた人が最も多かったためである.また,日韓で影響力を尋ねる質問には政治家,高位公職者,法曹人,マスコミ,敎育者,宗敎人の中で,マスフミの影響力を最も高いものであると評價し.一般的には,コミユニケ-ションの當事者間の距離が近ければ近いほど,コミュ二ケ一ションの機會は增加し,コミュニケ-ションの機會が增えれば增えるほど,相互理解は增進され良い關係が作られる可能性も高まるのがコミュニケ一ション理論の基本的前提である.しかし,韓國と日本のように被害者と加害者の立場にあった間は接觸の頻度が高まったにもかかわらず,むしろ誤解がさらに深まったり,偏見が固定化されたりする可能性もある.日韓間にはまさに十分だと言えるほどの』の頻繁な相互接觸とコミユニケ-ションの量的擴大がなされてきたが,交流の量的な擴大が必ずしも相互認識の質的な轉換を自ら保障するものではなかった.

 
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