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사이카쿠(西鶴)의 우키요조시(浮世草子)에서 본 자연 -『본조이십불효(本朝二十不孝)』의 ‘천(天)’의 용례를 중심으로 -
西鶴の浮世草子に見る自然観 - 『本朝二十不孝』の<天>の用例を中心に -

  • 간행물
    日本思想 KCI 등재 바로가기
  • 권호(발행년)
    제24호 (2013.06) 바로가기
  • 페이지
    pp.3-23
  • 저자
    정형
  • 언어
    한국어(KOR)
  • URL
    https://www.earticle.net/Article/A306536

원문정보

초록

일본어
17世紀中後半の近世日本の不孝の諸相を写実的に描くとともに懲悪的結末をもつ『本朝二十不孝』に見える作家の認識は近世期日本人の<天>に関する世界観(宇宙観)を複眼的に内在させている。一つは17世紀東アジアの漢字文明圈に到来した実学的世界観に基づく世俗のレベルでの科学的、合理的、実用的認識であり、自然の道理と理致を考える世界観である。二つは片一方で合理的かつ世俗的な認識では解明できない宇宙の諸相に対して観念的、形而上の観点で理解しようとする思想家や宗教家などの世界観である。三つは先の二つの世界観の外に神話や説話などを多様な方法で内在させつつ創作された文学作品を通じて伝承されてきた怪異的で不可思議の民俗世界の世界観である。西鶴は近世期以前の中国の古典と平安期以後の日本古典の超自然的世界を小説世界の内に導き、これを江戸期日本という人為の世界のなかで相対化する写実的描写を行っている。先行古典文学が持つ超自然的でロマンチクな文学の原初的要素を基盤に近世紀の人知のレベルで描かれる浮世のリアルな不孝の行態を具象化することによって先行古典にみる超自然的現象を相対化する、興味を誘発するレトリックを提示する。そして中世の勧善懲悪的な描写方式ではない、当代人の想像力の世界中に実存でき、納得できるような超自然的な結末方式を行っているのである。西鶴は勧善懲悪的不孝談が一文学作品として面白く読まれる可能性を当代人の世界観を通じて提示している。

목차

Ⅰ. 머리말
 Ⅱ. 근세기 일본인의 자연관
 Ⅲ. 『본조이십불효(本朝二十不孝)』서문에서의 자연관
  1. 『본조이십불효』에서의 자연과 천
  2. 『본조이십불효』서문 2용례에서의 천(天)
 Ⅳ. 『본조이십불효』개별 작품 8용례에서의 천(天)
 Ⅴ. 맺음말
 <참고문헌>
 要旨

저자

  • 정형 [ Jhong Hyung | 단국대 일어일문학과 교수, 일본문학, 일본사상. ]

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

    간행물 정보

    • 간행물
      日本思想 [일본사상]
    • 간기
      연3회
    • pISSN
      1229-9235
    • 수록기간
      1999~2026
    • 등재여부
      KCI 등재
    • 십진분류
      KDC 153 DDC 181