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일제 강점기 후치자와 노에(淵澤能惠: 1850~1936)의 조선에서의 활동
日帝強占期淵澤能恵(1850~1936)の朝鮮における活動
간행물
일본학
KCI 등재후보
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권호(발행년)
제35집 (2012.11)
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페이지
pp.53-89
저자
普原百合
언어
한국어(KOR)
URL
https://www.earticle.net/Article/A274928
원문정보
초록
일본어
本稿は淵澤能恵の日帝強占期における教育活動と各種団体活動並びに朝鮮観を考察したものである。能恵は江戸幕府の終焉と明治維新という激動の時代に下級武士の家柄に誕生した日本人女性である。約3年間の米国滞在で英語の習得に励み、現地でキリスト教の洗礼を受け帰国した。その後朝鮮へ行くまでは各地の女学校で英語教師等に従事した。朝鮮へは日露戦争中の1905年に渡航し、以来1936年に死去するまでの約30年を京城において韓国女性教育及び各種団体活動に従事した。淑明女学校はキリスト教を母体としてはいなかったが、能恵は学生達と共に学校に寄宿しながら、自らの行動と基督教信者として信仰的雰囲気をもって接した。しかし学生運動に際しては問題を直視し、積極的な解決に乗り出すといった行動や、朝鮮女性たちが置かれていた現状への直視という姿勢は弱かった。団体活動においては主に日本キリスト教婦人矯風会朝鮮部会会長及び同会京城支部長としての活動が中心であったが、同団体の朝鮮部会での活動は日本本部のような廃娼運動への積極的な運動展開を見せるには至らず、主として極貧者への米配給等の慈善運動に留まった。能恵は朝鮮において常に女学生らと共に生活することに努力したが、それは自身の内面奥深くにあったキリスト教信者としての信仰心がその基礎となっていた。内鮮融和について能恵は渡瀬常吉が日本の朝鮮植民地化を言論において支持表明し、宗教家は内鮮人の一体化を図るセメントの役割をし、内鮮融和を推進すべきとの見解とは異なるものであった。能恵のそれは朝鮮人と日本人との結婚を政策的に行うというよりも、キリスト教信者としての深い信仰心と人類愛に由来するものであった。能恵はいち早くキリスト教信者となるなど開明的な女性であったが、良妻賢母主義に基づく女性教育を行った。これは学監就任当時の博学多才で世に大きく飛躍する女性よりも、家庭に留まる女性像を求めた発言にも現れている。こうした思想は学校での学生指導のみならず、矯風会日本本部の活動のように廃娼運動への積極的姿勢を見せなかったことにも現れている。
목차
1. 머리말
2. 생애와 주요 이력
3. 도한과 활동
4. 노에의 조선관
5. 맺음말
참고문헌
要旨
저자
普原百合 [ 이화여자대학교 사학과 박사과정 수료 ]
참고문헌
자료제공 :
네이버학술정보
간행물 정보
간행물
일본학
[The Ilbon-Hak(Journal of Japanology)]
간기
연3회
pISSN
1598-1134
eISSN
2713-7309
수록기간
1981~2026
등재여부
KCI 등재
십진분류
KDC 913
DDC 952